せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

修験の山・布引山を歩いて(後編)

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新年明けましておめでとうございます。
今年も「せっつ・はりま歴史さんぽ」をよろしくお願いいたします。

生田神社

皆さまはもう初詣には行かれましたか?
写真は生田神社。例年、神戸市内に数多くある神社の中でも多くの初詣客が訪れる神社です。
前回、新神戸駅裏の山の中で力尽きた(!?)はずなのになぜ急に生田神社?と思われるかもしれませんが、のちほど生田神社も絡んでくることになります。

徳光院の境内

前回の続きで徳光院の境内を歩いてみます。
禅宗らしい雰囲気の境内はひっそりとしていて、紅葉の名残が冬の日差しを浴びていました。

多宝塔

境内には多宝塔がありました。この多宝塔はなんと垂水区名谷町の明王寺から移築されたものとのことで、重要文化財に指定されています。

徳光院が創建されたのは明治時代のこと。神戸川崎財閥創始者の川崎正蔵が築いたものです。寺の歴史としては新しいのですが、そもそもこの地は前編で訪れた瀧勝寺と鎮守の熊内八幡神社があった場所です。飛鳥時代にまで遡る歴史をもつ瀧勝寺ですが、戦国時代、松永久秀の軍勢と三好氏の命を受けた淡路水軍の安宅信康が率いる軍勢が戦った「滝山城の戦い」に遭い、さらに荒木村重の謀反に伴う有岡城の戦いの際に焼失し、荒廃してしまいました。現在の場所に瀧勝寺が建てられたのは大正時代になってからとのことです。

徳光院の山門

境内を抜けると山の中に赤い山門がありました。

修験道の拠点だったこの地ですが、さらにこの寺の前にそびえる砂子山にはかつて、冒頭に紹介した生田神社があったという説もあります。伝説では生田神社はもともとこの地にあり、瀧勝寺の創建に伴い山麓の熊内に遷り、さらに、延暦18(799)年に現在の生田の森に遷ったとのこと。生田神社といえば「神戸」の地名の由来にもなったと言われる由緒ある古社です。伝説とはいえ、それがもともとこの地にあったとなると、「神戸」の地名のルーツはここだということになるのかもしれません。

新神戸駅と生田川

山を下り、新神戸駅に出ました。
多くの人が行きかう新神戸駅のすぐそばに、「神戸」のルーツかもしれない場所があるとはなかなか想像できませんね。

今年も、山陽沿線(+α)の知られざる?歴史を巡ってみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

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