せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

住吉を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて住吉を歩いてみたいと思います。

御旅筋

阪神住吉駅から山側へ向かうことに。真っすぐ伸びる道は「御旅筋」と呼ばれています。今回は訪れませんでしたが、海側には「御旅公園」なる公園もあるようで、何だか神輿や山車の気配がしてきますね。

本住吉神社

御旅筋を歩いてたどり着いたのが本住吉神社。明石の住吉神社をはじめ日本には多くの「住吉神社」がありますが、その総本社は大阪市の住吉大社とされています。しかし、もともとの由来はこの地であるとされていて、「本」住吉と呼ばれているとのこと。

本住吉神社の境内

あいにくの雨で境内はぬかるんでいます。現在の社殿は阪神淡路大震災で倒壊した後に再建されたもので、意外に真新しい建物です。

本住吉神社の由来を見ていくには、まず住吉の神様について見ていかなくてはなりません。この本住吉神社に祭られているのは住吉三神底筒男命中筒男命表筒男命)と神功皇后です。この住吉三神は『古事記』で伊邪那岐尊が黄泉国から戻った際に行った禊で誕生した神とされ、航海の神として知られています。神功皇后が一緒に祭られているのはというと、古代、神功皇后が三韓征伐として朝鮮半島の新羅に出兵しました。その際、住吉三神が神功皇后の船を守ったという伝説があります。そのためか、神功皇后は住吉三神とともに住吉大神を構成するとされ、多くの住吉神社で祭られています。本住吉神社も神功皇后との縁があるとされていて、三韓征伐の帰途、神功皇后の乗った船が進まなくなり、住吉三神を祭って船を進めたという「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」がこの地であるとされたことが由来とされています。大阪の住吉大社もこの本住吉神社の勧進を受けて創建されたとされていますが、この辺りは諸説があるようです。

西国街道の碑

本住吉神社を出ると、西国街道の石碑を発見しました。西国街道は阪神間では本街道と海側を通る浜街道に分かれていて、この本住吉神社の前を通るのは山側の「本街道」と呼ばれたルートでした。

有馬道

西国街道の石碑から横断歩道を渡ると今度は「有馬道 是ヨリ九十丁」と書かれた碑がありました。一丁が大体100m(109.09m)なので9kmということでしょうか。ここから有馬温泉まで、山越えのルートで大体そのくらいの距離になりそうです。埋め立てなどにより本住吉神社から海は遠く離れてしまいましたが、今も、かつての街道や神戸の海と山を見守っています。

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