せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

六甲を巡る(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて六甲界隈を歩いてみたいと思います。

お地蔵さんと丁石

六甲八幡神社より坂道を登って行くと、斜面に建つマンションに埋もれるようにお地蔵さんと丁石がありました。この先に神社がありそうな気配で、丁石には「一王山十禅寺道」とありました。

神戸大学六甲台本館

坂を上り詰めると、大学の敷地にたどり着きました。大阪湾を見下ろす高台に建つのは神戸大学六甲台本館の建物です。時計台が印象的なこの建物は昭和7(1932)年に神戸大学の前身の神戸商業大学の本館として建てられたもの。玄関のアーチなどが建築当時の流行を今に伝えるようで、何とも美しいですね。

六甲台からの眺め

学舎からは神戸の街並みと大阪湾を見下ろすことができます。天気のいい日は遠く紀淡海峡まで望むことができますが、訪問時は生憎の天気でした。いい景色ですが、はて、そういえば、先ほどの「一王山十禅寺」とやらは…?

一王山へ

次に「一王山十禅寺」の名前を発見したのは大学の構内を出た住宅地の中でした。道標に従って歩いて行くことにします。

一王山十禅寺

住宅地の行き止まりにあったのが一王山十禅寺。臨済宗永源寺派の禅宗寺院です。先ほどの丁石はこのお寺を示していたのです。

一王山十禅寺は天喜5(1057)年に創建されたと伝えられ、千年近い歴史を持つ古い寺院です。かつては高台にいくつもの僧坊が建ち並ぶ大寺院だったそうですが、元弘3(1333)年に赤松円心と京都の六波羅探題の軍勢が戦った摩耶山城の戦いの際に見晴らしのいい境内は陣地となり、壮大な伽藍は焼失しました。現在の位置は後に移されたそうです。もともと寺があった場所は先ほどの神戸大学の敷地であるとか六甲ケーブル山頂駅付近であるとか諸説がありますが、詳しくはわかっていないとのこと。いずれにしろ、先ほどの丁石はかつての寺を指し示していたのでしょうか。ただし、丁石が中世以前のものにしてはちょっと新しいものっぽい所が何だか疑問ではありますが。
十禅寺はその後も何度も兵火に遭い、現在の建物は江戸時代の建築です。周辺は住宅やマンション、大学の建物が建ち並んでいますが、古い地図を見るとかつては細い谷の行き止まりにある山のお寺だったようで、今でも門前に当時の雰囲気を何となく感じることができます。

一王山

お寺の裏の一王山に登ってみることに。山頂には小さな祠がありました。この一王山という名前は十禅寺の山号によるもので、寺の移転後につけられた地名です。では、もともとの一王山はというと、十禅寺のあった尾根を「一の尾」と呼んだことに由来しているとのこと。山中には高野山の遥拝所があるとのことなので探してみたのですが、住宅地の中の森とは思えない鬱蒼とした木々に阻まれて断念しました。これらの木々はこの辺りが開発される前からの古い古い森なのでしょう。

住宅地の中にひっそりと佇む寺院を後にし、六甲道へ坂道を下り降りることにしました。

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六甲を巡る(後編)” への1件のコメント

  1. 本文中に「十禅寺」と表記されていますが、全て「十善寺」の誤りです。
    最初に記載されている道標も、もともとここにあったものでなく、西国街道と石屋川の交差する場所にありました。江戸時代の狂歌師・太田蜀山人は、西国街道を長崎に向かった時の紀行文「革令紀行」の中で、この道標の事を書いています。
    この道標には「十善寺道、川上八町」と彫られています。

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