せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

脇浜を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、神戸臨港線の歩いてみたいと思います。

HAT神戸脇の浜

阪神高速をくぐった神戸臨港線の線路跡はHAT神戸脇の浜に沿って進んでいきます。集合住宅が建ち並ぶ中を不自然な草むらが続いていきます。神戸の市街地にあってもう10年以上も線路跡が放置されているのは何だか不思議な気がしてしまいます。HAT神戸の供用開始は平成10(1998)年で、当時は真新しい集合住宅の横を時代がかった貨物線が走っていたのでしょう。

集合住宅の名称にもなっている「脇の浜」とはこの辺りの地名の「脇浜(わきのはま)」に由来しています。諸説あるようですが、阪神電車の岩屋駅近くにある敏馬(みぬめ)神社の脇の浜に由来しているとのこと。この敏馬神社も難しい名前から想像できるように長い歴史を持っていて、これまた神功皇后の三韓征伐に由緒を持つとされています。

生田川

HAT神戸脇の浜を通り抜けると生田川の畔に出ました。線路跡はこの場所で川を渡っていたはずですが、真新しい公園になっていてかなり曖昧になっています。

橋台跡

公園の隅にはレンガ造りの遺構が。もともと神戸臨港線の橋台に使われていたそうですが、公園の整備に伴いこの位置に移設され保存されているそうです。

生田川の向こうは

生田川を渡ると倉庫やゴルフ練習場などが建ち並び、線路跡はますます曖昧になってしまいました。

神戸港への貨客を運び、神戸港とともに歴史を刻んできた神戸臨港線ですが、鉄道貨物の縮小によって徐々に衰退し、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けてしまいました。その後、周辺の再開発の計画と合わせて神戸港駅の機能が鷹取駅に隣接して設けられた神戸貨物ターミナル駅に移されることになり、平成15(2003)年、開業100年を目前にしてその長い歴史に幕を閉じることになりました。

神戸港駅は今

線路跡を歩いて神戸港駅跡にたどり着きました。神戸の貨物の拠点だった神戸港駅ですが、現在は公園として整備され、貨物駅の痕跡はありません。上空をポートライナーの高架が横切り、銀色の真新しい電車が時代は変わったとでもいうようにするすると駆け抜けていきました。実は、神戸臨港線はこの先、湊川まで伸びていましたが、それはまた別の機会にと三宮を経て帰ることにしました。

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