せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

西の比叡山・書写山圓教寺へ(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、姫路の書写山圓教寺を歩いてみたいと思います。

圓教寺摩尼殿

山道を歩いていくと急に周りが開け、巨大な建物が姿を現しました。
こちらは圓教寺摩尼殿、書写山に数ある堂宇の中でも象徴的な建物です。
この辺りは書写山の中でも「中谷」と呼ばれる中心エリアです。ただし、摩尼殿の周辺には茶店がある程度で観光地とは程遠い雰囲気です。ちなみに、ロープウェイの山上駅から仁王門などがあるエリアは「東谷」と呼ばれるとのこと。このあたりの名称は何だか比叡山延暦寺東塔・西塔・横川を思わせますね。

圓教寺摩尼殿から

摩尼殿は京都・清水寺本堂と同じ懸造りの建物で、お堂に上がってみると結構な高さがあります。この摩尼殿は焼失後、昭和8(1921)年に再建されたものですが、近代の建築とは思えないような風格があります。

書写山圓教寺は比叡山延暦寺と同じ天台宗の寺院です。その歴史は非常に古く、康保3(966)年に性空上人なる天台宗の僧侶が創建したとされています。当初は性空上人の庵があるのみだったようですが、後に摩尼殿となる如意輪堂が築かれ、寛和2(986)年にこの地を行幸した花山天皇「圓教」の寺号を与えるとともに米100石を寄進。その後にも多くの皇族や貴族の寄進し、その寄進をもとに数々の堂宇の整備が行われて大寺院に発展しました。

西谷の様子

摩尼殿の裏手から山道を歩いていくと、「西谷」と呼ばれるエリアに着きました。こちらで目立つのは広場をコの字型に囲む「常行堂」「食堂(じきどう)」「大講堂」です。いずれも巨大な建物で、深い山の中にこれだけの建物があると思うと驚いてしまいます。中世寺院の雰囲気が残るこのエリアはドラマや映画のロケにも使用されていて、大河ドラマ「軍師官兵衛」や映画「ラストサムライ」の撮影でも使用されました。

食堂

コの字型の正面にそびえる食堂は特に迫力があり、長い二階建ての建物は「ビル」とでも言いたくなります。この食堂はその名の通り僧侶が寝食する住居だったそうです。

食堂からの眺め

食堂は内部を見学できるようになっています。急な階段を上って二階に上がると先ほどの広場を見下ろすことができました。 ちなみに、一階では写経の体験ができます。

この巨大な建物からわかるように、中世の圓教寺は多数の僧侶を抱え、様々な面で播磨の情勢に大きな影響を与える勢力でした。次回は境内を歩きながら中世の圓教寺について迫ってみたいと思います。

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