せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

山陽沿線紅葉めぐり・妙法寺川を歩く(前編)

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少しずつ、冬の足音が聞こえてきたこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回は、秋の名残を求めて須磨区を流れる妙法寺川に沿って歩いてみました。

板宿駅前

スタートは山陽電車の板宿駅
地上のバスのりばから神戸市バスの5系統に乗ります。

禅昌寺停留所

板宿の街中を抜けたバスは妙法寺川が刻む谷へと分け入っていきます。
到着したのは禅昌寺停留所
賑やかな板宿から10分もかかっていないのですが、既に山間の趣です。

妙法寺川

集落の中を流れる妙法寺川は、河川改修がなされているものの、渓谷の雰囲気が漂っています。

妙法寺川は神戸市北区から須磨区を流れ、大阪湾にそそぐ川です。
全長は7kmと長くはないのですが、北須磨の丘陵地区を潤し、下流では板宿や新長田の街がある扇状地を形成し、実はなかなか重要な川です。神戸市西部の母なる川とでも言えましょうか。

禅昌寺の山門

バス停から妙法寺川を渡るとバス停の名前にもなっている禅昌寺の境内に入ります。
坂をのぼりつめると色づいた木立の中に小さな山門が佇んでいました。

禅昌寺は臨済宗南禅寺派の禅宗寺院です。
歴史は長く、創建は延文(1356~1360)年間に後光厳天皇の勅令によって月庵宗光なる僧によって建立されたと伝わっています。この地域では有数の寺院で、中世には室町幕府から寺領の寄進を受け、織田信長や荒木村重からは諸役の免除を受けるなど、数々の庇護を受けました。
因みに、山号の「神撫山」はこの寺の裏にそびえる高取山の古い呼び名です。三韓征伐の際、長田に上陸した神功皇后が座った石を撫でたところ、大きな岩となり、ついには高取山にまでなったという伝説からこの名がついたと言われています。

境内の紅葉

山門を越えて境内へ入るとこの景色。
紅葉は今が盛りです。
風格のある堂宇とのコントラストが美しいですね。

禅昌寺の建立当初の堂宇は豊臣秀吉の三木合戦に巻き込まれて焼失してしまいました。後に秀吉の桃山御殿の建物を移築したのですが、それも明治時代に焼失してしまっています。
現在の本堂は大正4(1915) 年に再建されたものです。
そのせいか、一般的な寺院の姿でありながら、どことなく優美な雰囲気が漂っています。

参道の紅葉

板宿から10分あまりとは思えない静けさに癒されるところですが、妙法寺川はまだ続きます。
名残惜しいところですが、先を急ぐことにしました。

次回、引き続き、紅葉を眺めながら妙法寺川沿いを歩いてみたいと思います。

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