せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

山陽沿線紅葉めぐり・妙法寺川を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、妙法寺川に沿って秋の名残を求めていきたいと思います。

奥妙法寺停留所

禅昌寺から再び神戸市バスに乗り、妙法寺川を遡っていきます。
萩の寺那須神社となかなか興味深いスポットを通り過ぎていくのですが、 またの機会にということで降りるのを我慢します。
谷が開けてきた奥妙法寺停留所で下車。

妙法寺川の流れ

この付近になると妙法寺川は川幅が狭くなってきました。河川改修がされる前であれば紅葉の美しい渓谷だったのでしょう。

妙法寺

バス停から程なくの場所にあるのがその名も妙法寺
地下鉄の駅名にもなっているので大きな寺であろうと思ったのですが、意外に小ぢんまりとした静かな寺院でした。毘沙門天を祭っているため、境内に立ち並ぶ赤い幟には毘沙門天の使いのムカデの紋章が描かれています。

妙法寺の歴史は非常に古く、天平10(738)年に聖武天皇高倉天皇の勅願で行基が開いたとされています。創建時は7つの堂宇と37もの坊舎をもつ大寺院だったのですが、後に荒廃していきました。荒れ果てた妙法寺を再興したのは定範上人なる僧で、承和6(839)年に堂宇を再建しました。平清盛福原遷都の際には都の乾(北西)に当たることから京都の鞍馬寺になぞらえて「新鞍馬」と呼ばれ、神戸市北区の丹生山多聞寺などとともに都の守護として庇護を受けました。

境内の紅葉

境内の紅葉はすっかり見ごろでした。赤い幟もあるおかげで、境内が真っ赤に染まっているようです。

古代には大寺院として栄えた妙法寺ですが、観応の擾乱の際、 観応(1350~1351)年間に高師直軍によって焼き払われてしまいました。この時の破壊は凄まじかったと言われ、元のように復興されたのはなんと江戸時代に入ってからの元禄10(1697)年のことでした。その後、明治時代に入ってからは寺域の縮小が続き、かつての37ヶ所の坊舎も全てなくなってしまいました。
現在は山間の集落に静かにたたずむ寺院です。

妙法寺地区の景色

寺を出て、周辺の妙法寺地区を歩いてみました。 小道が複雑に入り組む集落の中はいかにも山村という雰囲気で、どこか懐かしい景色ですね。かつては周辺にもこのような景色が広がっていたのでしょうが、今は集落のすぐそばまで須磨ニュータウンの団地が迫り、小さな森を挟んだ向こうを地下鉄の線路が貫いて妙法寺駅がそびえています。妙法寺が見てきた長い歴史の中で、この50年間が最も爆発的な変化の時代であったことでしょう。
集落の細道を辿り、妙法寺駅から帰途に就くことにしました。

秋も深まり、冬が近づいてきましたが、山陽沿線の紅葉はまだ間に合います。
今年の紅葉はまだという方、是非沿線を歩いてみてはいかがでしょうか。

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