寒さも和らいできた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
去年の年末、魚のエイを求めて長田神社を訪問しましたが、山陽沿線には他にもエイにまつわるスポットがあります。
今回は、エイ絡みで江井ヶ島を歩いてみました。
江井ヶ島駅
到着したのは山陽電車の江井ヶ島駅。
昔ながらの道
江井ヶ島駅から、緩やかに自然なカーブを描いた道を歩いていくことに。いかにも昔ながらの道という雰囲気で味わい深いですね。
江井ヶ島海水浴場
街並みの中を歩いていくと、江井ヶ島海水浴場の浜に出ました。
街路樹にヤシの木が植えられていて、どこか南国の雰囲気ですが、今は真冬ですのでむしろ寒々しい景色に見えてしまいます。
この浜の西側が、奈良時代に行基が整備したと言われる摂播五泊の一つ「魚住泊(うおずみのとまり)」のあった場所だと言われています(平清盛が国際貿易港として整備したことで知られる大輪田泊も摂播五泊の一つと言われています)。
江井ヶ島の名前の由来には諸説あるようですが、よく知られているのが、奈良時代に行基がこの地に魚住泊の港を修築した際の話。港に巨大なエイが2匹も入り込んできて村人が困っていたところ、行基が酒を飲ませるとエイは喜んで帰っていったということで、それを由来にこの地を「江井ヶ島」と呼ぶようになったそうです。
行基と弘法大師、豊臣秀吉、法道仙人(播磨の昔話でよく登場する仙人です)は昔話でよく使われる人物なので、個人的には信憑性に少々疑問がありますが、この地の地名の由来には魚のエイが何かしら関わっていたようです。
長楽寺
集落の中に入ってみると、なかなか立派な寺院が。
こちらは長楽寺という浄土宗の寺院です。
ん? そういえば、前回、志方で訪問した寺院も「長楽寺」でしたね。図らずも連発長楽寺になってしまいましたが、もちろん、特に意味はありません。
この寺院も、行基が魚住泊の港を修築した際に地蔵尊を彫って寺を開いたのが始まりと言われています。今は集落の中に静かにたたずんでいますが、天平16(744)年の創建と、非常に長い歴史を持った寺院です。
江井ヶ島港
長楽寺から再び海辺に出てみると、江井ヶ島港が広がりました。
古くから漁港として栄えた江井ヶ島港は、今も兵庫県の管理する「地方港湾」として重要な役割を果たしています。
長田神社と江井ヶ島、結局、両方とも魚のエイが由来に絡んでいるというだけですが、エイをキーワードに山陽沿線を歩いてみると、海とともに生きてきた町の姿を垣間見ることができました。
まだまだ冬ですが、暦の上では間もなく立春。
少しずつ春になりゆく山陽沿線を歩いてみるのはいかがでしょうか。
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