せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

さよならケーブルカー・能勢妙見山を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回と前回に続いて、能勢の妙見山を歩いてみたいと思います。

信徒会館「星嶺」

紅葉の参道を歩いていると、突然ガラス張りの巨大な現代建築が現れました。こちらは能勢妙見山の信徒会館の「星嶺」という施設です。ガラス張りの外観は妙見菩薩の降臨や北極星を表現しているとのこと。通常は公開されていないようですが、月例法要や行事の際には一般の参詣客も中に入ることができるそうです。見上げるような高さで、上階からの眺めは気持ちが良さそうですね。

能勢妙見山の山門

信徒会館「星嶺」を回り込むと能勢妙見山の山門が現れました。

能勢妙見山

山門から階段を降りると能勢妙見山の境内です。妙見山の山頂から少し下った狭い平地に堂宇や売店、寺務所が建ち並んでいます。

奈良時代に開かれたこの山に鎮宅霊符神(妙見大菩薩)が祀られるようになったのは前回もご紹介したように平安時代、清和源氏の始祖とされる源(多田)満仲が邸宅に祀っていた神像をこの場所へ遷したことが始まりでした。その後、満仲の孫の源頼国はこの能勢の地を領地として能勢氏を名乗るようになります。安土桃山時代に当主をつとめた能勢頼次は本拠地だった丸山城(妙見山の北側)が織田信長の軍勢に攻め落とされたのに伴って当時は為楽山と呼ばれていた妙見山に城を築くとともに、織田方の明智光秀の配下に入りました。しかし、天正10(1582)年、本能寺の変が起こります。頼次は明智方につきますが羽柴秀吉に敗れ、能勢の地へと攻め込む軍勢を避けるために備前へと落ち延びていきました。

能勢妙見山の本殿

境内の一角に本殿がありました。ケーブルカーで上ってきた参詣客や登山者が列をなしてお参りをしていました。能勢妙見山は寺院ですが、神仏習合の名残が色濃く残り、こちらのお堂も「本殿」、別名「開運殿」とどこか神社風です。

本能寺の変で先祖代々所領としてきた能勢の地を失った能勢氏ですが、関ヶ原の戦いの功でこの地、能勢へ戻り、妙見山の北側の山麓に真如寺を開きました。また、妙見山上の城跡にはこの開運殿を開いて山の名前を為楽山から妙見山へ改めました。江戸時代には妙見菩薩や北極星信仰の聖地として広く知られるようになり、多くの参詣客が訪れるようになりました。山上にはかつての旅館が売店になっていたり空き家となっていたりしながら残されていて、かつての賑わいを今に伝えているようです。

能勢の山々を眺める

信徒会館「星嶺」の前へ戻り、能勢の山々や街並みを見下ろしてみました。
丹波高地の南に位置する妙見山はとても深く、どこか神々しさを感じるような気がします。深い深い山へと鉄道やケーブルカーを敷設した先人たち、そして、この場所を憩いの場として育んできたたくさん人々に思いをはせながら去りゆくケーブルカーやリフトを見送りたいと思います。

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