せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路の城西を歩いて(前編)

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少しずつ木々も色づいてきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

西国街道

前回まで、姫路の船場川界隈を歩いてきましたが、川沿いに気になる石碑「←西国街道」。前回は通り過ぎていましたが、やはり気になってしまうので、歩いてみたいと思います。

船繋ぎ岩

街道沿いの民家には船繋ぎ岩が佇んでいます。
船場川を行く高瀬舟をこの岩に繋いだのでしょう。

初井家住宅

街道沿いに立派な民家がありました。こちらは初井家住宅です。江戸時代の建築とされる民家で、通常は非公開ですが、街道の趣を今に伝えています。

江戸時代の初め、姫路城が築城された当時、この城西地区は農村だったとされています。後に、船場川が運河として使用されるようになると川沿いや船入川沿いの材木町が発展するようになりました。その後、街道沿いにも商人が集まるようになり、商工業の街として発展するようになります。街道沿いに町が発展し、広がっていくのは城の東側の野里地区にも似たようなものを感じますね。

龍野町

街道沿いの一角は「龍野町」という地名です。諸説あるようですが、西国街道がここ姫路から龍野へと伸びていたため、龍野へ通じる街道沿いにあるということでこの地名がつけられたとのこと。大手前とは違い、この付近は姫路大空襲でも被害を受けなかったので、今も町中には趣のある建物が残されています。

古くから街道沿いの商工業の街として栄えた姫路の城西地区、もう少し歩いてみたいと思います。

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