せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

高瀬舟が上下した川・船場川を歩いて(前編)

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秋も少しずつ深まりゆく頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

船場川

山陽姫路駅から北西へ姫路城下を歩いてみました。市街地をゆったりと流れるのは船場川。今回はこの船場川沿いに歩いてみたいと思います。

外堀跡

船場川に沿って歩いていると、水の溜まった池のようなものがありました。こちらは姫路城外堀の跡です。

備前門跡

この辺りには備前門という城門があり、その名も備前門橋という橋が架かっていました。堀跡の傍には発掘で見つかった橋の礎石のレプリカの石が展示されています。

姫路城の堀は天守閣のある内曲輪を中心に螺旋を描くように張り巡らされていました。外堀は東は現在のJR播但線の線路の近く、南はJR姫路駅近くまで現在の姫路の中心市街にあたる外曲輪を囲むように張り巡らされていました。西側では船場川が外堀の役割を果たしていましたが、一部には川に並行して堀が築かれていました。これらの堀は市街化が広がるにつれて多くは埋め立てられてしまいましたが、ここ備前門跡付近には周りが埋め立てられて池のようになりながらも、水をたたえた外堀が残されていました。

姫路城埋門

船場川に沿って歩き、国道を渡ると、立派な石垣が見えてきました。こちらは姫路城の埋門(うずみもん)です。この辺りは中曲輪の南西に当たり、今は国道になっているところに中堀が築かれていました。

中堀

埋門を通り抜けると、水が抜かれて空堀のようになった中堀と船場川が並行して続いています。

千姫の小径

車門跡を過ぎると中堀にも水が戻りました。二つの堀の間に挟まれた細い堤は「千姫の小径」として遊歩道になっています。静かな住宅地と緑地に囲まれた空間はまるで都会のオアシスのようですが、かつてのこの辺りには別の役目がありました。

次回はもう少し、船場川を歩いてみたいと思います。

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