せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

鵯越を歩いて(前編)

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夏の日差しの照りつける中に時折涼しさを感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

鵯越駅

新開地から神戸電鉄の電車で六甲山の山の中に分け入り、到着したのは鵯越駅

鵯越の街並み

鵯越駅の周辺には複雑な地形の斜面に住宅が建ち並んでいます。
神戸といえば異人館や港が思い浮かぶのかもしれませんが、こういった立体的な住宅地が広がる景色こそ神戸らしい景色ではないかと個人的には思います。

鵯越といえば、「鵯越の逆落とし」が思い浮かぶのではないでしょうか。
所謂「源平の合戦」と呼ばれる治承・寿永の乱の最中の寿永3(1184)年、一の谷の合戦の中で行われたといわれ、源義経率いる軍勢が平家の陣を奇襲した戦いです。物語では、須磨・一の谷の平家の陣の裏手の山を義経の軍勢が駆け下りて奇襲を仕掛けたと言われていますが、ここ鵯越から一の谷までは直線距離でも7kmは離れています。一応、山並みは須磨へ繋がっていますが…。この辺りから、義経の逆落としが行われた場所には諸説があるようで、今もはっきりはしていません。

石仏の道

住宅地の奥に入ってみると、菊水山のほうへとつながる山道がありました。道沿いには石仏が並んでいて、どこか神聖な雰囲気ですが、この道の由来についてはよくわかりませんでした。

氷室神社

山道には氷室神社という神社がありました。
氷室神社といえば、麓の神鉄長田駅近くの神社がこの辺りでは知られていますが、ここ鵯越にも同じ名前の神社がありました。ここにも氷室があったのでしょうか。境内は草木が茂り、鳥居も倒れていて、小さな神社は自然に還ろうとしていました。

鵯越の山の中に佇む歴史の道、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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