せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

木津川のほとり・津守を訪ねて(前編)

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残暑厳しい中に秋の気配を感じる頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

津守駅

阪神なんば線から乗り換えた南海電車で到着したのは津守駅。南海高野線の「汐見橋線」とも呼ばれる区間にある駅です。

汐見橋線

「汐見橋線」
とも呼ばれる岸里玉出~汐見橋間が開業したのは明治33(1900)年のことです。当時物資の集散地として賑わっていた木津川に高野山からの木材などを運搬することを計画したといわれています。津守駅の一駅北側の木津川駅には今でも広い貨物駅の跡が広がっています。しかし、早くも昭和4(1929)年には、高野山方面の列車は便利な難波駅に発着するようになり、この区間は支線となってしまいます。現在では2両編成の電車が行きかうどこかのんびりした雰囲気の路線です。

大日本紡績津守工場跡

駅前には西成公園と高校の広々とした敷地が広がっています。かつてこの地には大日本紡績津守工場がありました。明治42(1909)年に操業を開始したこの工場は当時日本最大規模の紡績工場で、この工場への通勤客で津守駅は非常に混雑したといわれています。当時の地形図を見ると、木津川の左岸、田んぼの広がる中に巨大な工場が記されています。日本の綿産業を支えた大工場ですが、太平洋戦争中の空襲で焼失。残された設備で鉄工所となったようですが、それも廃業してしまいました。

津守商店街

駅の近くには大阪らしい雰囲気の商店街がありました。

古い地形図を見ると、大日本紡績の他にも津守には多くの工場があったことがわかります。かつては住宅地となっている現在とは全く違う景色が広がっていたのでしょうか。

もう少し、津守を歩いてみたいと思います。

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