秋も深まりつつあるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
高速神戸駅
今回のスタートは直通特急も停車する高速神戸駅。
地下駅ですが、地上に出てみるとこの佇まい…。
湊川神社表門
地下道を上がってすぐ、目の前に現れたのが湊川神社の表門です。
湊川神社は神戸を代表する神社の一つですが、そういえば、このブログではまだ取り上げていませんでした。
湊川神社の境内
境内は広々としています。
神戸で湊川神社と並び称される長田神社と生田神社は古代からの長い歴史をもつのですが、湊川神社の歴史は意外と新しく、神社として創建されたのは明治時代のことです。長田神社や生田神社は創建時の敷地の多くは失われてしまいましたが、湊川神社は創建時からほぼ変わらず、敷地は町割りの中に長方形に組み込まれています。
湊川神社の起源は南北朝時代にさかのぼります。足利尊氏らと鎌倉幕府を倒した正成は「建武の新政」において後醍醐天皇に重用され、要職に就きます。しかし、後に後醍醐天皇らと足利尊氏らが対立。正成は後醍醐天皇方の南朝につきますが、 延元元/建武3(1336)年の湊川の戦いで足利軍に敗れ、自害しました。
殉節地
境内の奥に殉節地と呼ばれる一角がありました。こちらは湊川神社の祭神である楠木正成が戦死した場所とされています。
江戸時代になり、南北朝時代関する研究がなされる中で、南朝方についた正成は次第に英雄化されていくようになり、江戸時代後半には墓所の周辺で正成を祀る祭礼が行なわれるようになりました。幕末には尊王の英雄とされ、明治5(1872)年、正成を祀る湊川神社が創建されました。
楠木正成墓所
境内の隅には楠木正成の墓所がありました。こちらは江戸時代に水戸黄門こと徳川光圀が建立したものです。湊川神社の起源とでもいう場所でしょうか。正成を祀る神社には様々な候補地があったようですが、最終的な決め手になったのはこの墓所と殉節地がこの地にあったからだと言われています。
湊川神社を訪ねたところで、さらに山手へと歩いていきたいと思います。
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