せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石城の高低差を歩く(前編)

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秋めいてきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

公共放送のギネス記録保持司会者の紀行?番組、このブログをご覧の方で見ているという方も多いかと思いますが、私も毎週見ています。
いつか、明石か姫路かに来てくれないものかと思うこのごろ。
それに影響されて…というわけではありませんが、今回は明石城をじっくり歩いてみたいと思います。

明石城外堀

山陽電車の山陽明石駅を北側に出ると目の前には明石城の外堀が広がります。堀の向こうには小高い明石城がそびえています。駅からのアクセスという点では明石城は全国のお城の中でも有数の近さと言えるでしょうか(広島の福山城などは反則的な近さではありますが)。

武蔵の庭園

広々とした公園には剣豪・宮本武蔵が設計したとされる庭を復元したという庭園が。宮本武蔵は明石城の初代城主・小笠原忠政に客分として招かれ、明石城の庭園や町割りの設計に携わったと言われています。この辺りの景色を見てみるといかにも「都市公園」という雰囲気で、この明石城に高低差が関係あるとはなかなか思えません。

本丸への坂

しかし、本丸に向かって歩いてみると、こんな急坂が待ち構えていました。城というもの自体が石垣を高く築いて守りを固めるものではありますが、この急坂はただものではないような気がします。

明石城は信州は松本より移ってきた小笠原忠真によって築かれた城です。現在の明石城の前に明石には船上城詳しくはこちら)があり、忠真も当初はこの城に入ったのですが、後に現在の場所へ巨大な城郭と城下町を築きました。その背景にあったのはこの「高低差」であったとされています。

本丸跡

高低差を上り切り、たどり着いたのは本丸跡
明石城は明石藩の中心となる城でしたが、他の城にあるような天守閣が築かれることはありませんでした。

明石近辺のいくつかの候補地の中で忠真が選んだのが現在の明石城の土地です。駅側から眺めると、一見平地にあるように見える明石城ですが、先ほどの高低差で見たように、六甲山から垂水を経て播磨平野へと落ち込む台地の端に位置しています。人丸台地と呼ばれるこの台地は明石の町と明石海峡を見下ろす高台でした。守りにも城下町運営にも適した土地で自然をうまく利用した城です。何だか、このあたりは平地の中の山に設けられた姫路城にちょっと似ているような気がします。

巽櫓

本丸跡の東南には巽櫓がそびえていました。こちらの巽櫓は明石城の中でも有数の遺構で、船上城の櫓か天守をリサイクルしたものと伝わっています。

明石の町を見下ろす

巽櫓横に設けられた展望台からは明石の町が見下ろせました。
意外と高さのある眺めは平地に設けられた平城にはない眺めです。

明石城の高低差はもちろんこれだけではありません。もう少し城内を見てみましょう。

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