せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

手柄の灘菊酒造へ

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回前回、姫路市営モノレールを追って手柄山へ行きましたが、今回は手柄山の麓を歩いてみたいと思います。

灘菊酒造

山陽電車に乗っていると手柄駅の近くに「灘菊」と掲げられた看板が見えるかと思います。
ここは兵庫県では有名な酒造メーカー灘菊酒造の酒蔵です。
中には売店や古い酒蔵を利用したレストランがあり、酒蔵の見学もすることができます。

酒蔵へ

敷地内はこんな雰囲気。中庭があしらわれていて、酒蔵というよりどこかのお屋敷のような雰囲気です。ちなみに、灘菊酒造は以前紹介した魚住の茨木酒造と関係が深いそうで、試飲会などに共同参加しているようです。

黒甘ソフトクリーム

予定の関係で試飲は遠慮させてもらったのですが、美味しそうなソフトクリームがあったのでいただくことに。
黒田官兵衛にちなんだ黒甘(くろかん)ソフトクリームとのこと。甘酒の入ったソフトクリームがやさしい味です。本来はこの上に黒甘の所以たる酒ベースの蜜がかかっているのですが、これまた遠慮させていただくことに。

ルートマスターと栗山善助

酒蔵の前にはなぜか赤いロンドンバス「ルートマスター」が停まっていて、その傍らにはこんな碑が。実は、現在、灘菊酒造の酒蔵がある場所にはかつて黒田官兵衛の側近ある栗山善助の屋敷がありました。ちなみに、この地は今でも栗山町という地名で呼ばれています。

栗山善助こと栗山利安は黒田官兵衛に仕えた側近で、黒田家の家臣団「黒田二十四騎」の一人、その中でも特に優秀な精鋭を指す「黒田八虎」にも数えられます。
黒田官兵衛にとっては最も古くからの家臣の一人で、黒田官兵衛の初陣である青山合戦(龍野城の赤松氏と黒田氏が現在の姫路市青山付近で行った戦い)にも参戦しました。黒田官兵衛が伊丹・有岡城に幽閉されていた(こちらでちょっと紹介しました)のを助け出したのもこの栗山善助です。
後に黒田家が筑前・福岡の大名になると、筆頭家老に取り立てられ、黒田家の家臣の中でも特に重用されました。
地域では今も善助を讃えていて、 この夏には善助を歌った盆踊り「栗山善助出世物語」が歌われたとのこと。周辺には善助を紹介する石碑もあるそうで、今回は時間の問題で訪れることができなかったのですが、灘菊の試飲と併せて再訪したいものです。

手柄駅看板

最後に手柄駅の看板を。
黒田官兵衛からモノレール、水族館まで、様々な時代を感じることができる手柄。ブログをご覧の皆様もぜひ歩いてみてください。

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A:手柄山交流ステーション
B:灘菊酒造
C:山陽電車手柄駅


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