せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

人類の進歩と調和・万博記念公園を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪の万博記念公園を歩いてみたいと思います。

日本庭園

万博記念公園の奥、国立民族学博物館や大阪日本民芸館の北側には日本庭園が広がっています。
こちらの日本庭園は昭和45(1970)年に開催された日本万国博覧会で日本の出展として整備された庭園です。当時最高の造園技術を集めた庭園で、現代の日本庭園ながら名園とされています。庭園内は各時代をイメージした造りになっていて、正門から入ってすぐには心字池を中心にした近世の庭園が広がっています。

EXPO’70パビリオン(旧鉄鋼館)

日本庭園から駅の方へ戻ることにしました。校外学習の子供たちで賑わう芝生広場に佇んでいたのはEXPO’70パビリオンです。こちらは万博開催当時は日本鉄鋼連盟のパビリオン「鉄鋼館」でした。当時は音楽を楽しめる施設でしたが、現在は万博の記念展示施設として使用されています。

前回も歩いてきたように、昭和45(1970)年に開催された「大阪万博」こと日本万国博覧会は日本の発展を象徴するようなイベントでした。開催の前の昭和36(1961)年から始まった千里ニュータウンの開発、今も千里ニュータウンの輸送を担う北大阪急行が万博に合わせて開業するなど、このあたりのエリアが大きく変わったのもこの時代でした。万博で思い描いていた未来都市が実現していたのが当時の千里だったのかもしれません。

世界絶対平和の鐘

EXPO’70パビリオンの前には世界絶対平和の鐘がありました。世界平和を願い、26か国のコインを溶かして作られたという鐘で、ニューヨークの国連本部前に本物がありますが、万博の開催時にはレプリカと入れ替えられて会場で本物が展示されました。開催終了後、本物はニューヨークへと戻り、逆に当時使われたレプリカが万博記念公園に設置されています。

太陽の塔

現在、2025年の大阪関西万博の開催に向けて、関西各地で準備が進められています。半世紀前の万博のレジェンドを眺めながら歩いていると、次の万博開催やその万博の後に何が残るのかより楽しみになるような気がします。

再び広場へと戻り、青空の下にそびえる太陽の塔を眺めてから、万博記念公園を後にしました。

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