せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

宮水の湧く宿場町・西宮を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、西宮を歩いてみたいと思います。

宮水発祥之地の碑

西宮の住宅地を歩いていると、植栽に囲まれた石碑を見つけました。こちらは宮水発祥之地の碑です。

住宅地や西宮神社の門前町として知られる西宮は灘五郷の一つ「西宮郷」とされ、灘五郷の中でも最初に酒造りが始められた地域とも言われています。室町時代、当時関西の酒造の中心であった北摂の伊丹から雑喉屋文右衛門なる人物が西宮へ移り住み、酒造業を手掛けるようになったのが始まりとされています。その後、西宮郷を始めとする灘五郷は北摂の伊丹や池田に代わって酒造業の中心となり、西宮郷の酒は「西宮の旨酒」と呼ばれて大変な人気となったようです。

宮水井戸場

宮水発祥之地の碑の傍には様々な酒造メーカーの名前が掲げられた「井戸場」がありました。各社はこちらで宮水を汲み上げ、酒造りに使っています。

六甲山地を流れる川の流れを利用した水車で効率的な精米ができることや、すぐそばの大阪湾岸の港から製品を出荷できたことから西宮を始めとする灘五郷は酒造地として発展していきますが、それを後押ししたのが江戸時代の終わりに発見された「宮水」でした。天保8(1837)年または天保11(1840)年、今も魚崎に現存する酒造メーカーの櫻正宗の当主だった山邑太左衛門が発見したと言われています。当時、魚崎と西宮で酒造会社を営んでいた山邑は魚崎と西宮とで酒の味が違うことに気づき、その要因が水にあることを突き止めました。以後、この水は「西宮の水」そして略して「宮水」と呼ばれるようになり、各社が争うようにこの水を使って酒造りを始めるようになります。宮水の力で西宮郷の酒造業がさらに発展することとなりました。

井戸場を眺めて

住宅地の中に佇む各社の井戸場は植栽やフェンスに囲まれていて、大切に守られていることがよくわかります。江戸時代の終わりに発見された宮水は六甲山のミネラルを豊富に含む硬水で、酒造りには非常に適しているようです。この宮水を守るため、西宮市では「宮水保全条例」が制定されていて、指定された地域で地下水へ影響を与える可能性のある大規模な建築工事を行う際には市への届け出や協議が必要とされています。

酒蔵通り

井戸場の浜側へ歩くと、東西の道と交わりました。こちらは通称「酒蔵通り」と呼ばれていて、通り沿いには酒造メーカーや飲食店が建ち並んでいます。

東川

酒蔵通りを歩いていると川がありました。この川は東川で、この下流には酒の積み出し港となった今津港がありました。今は住宅地や緑地に囲まれた川ですが、かつては酒を積んだたくさんの船で賑わったのでしょうか。静かな川は門前町、宿場町、そして、酒造の中心地という様々な姿を積み重ねてきた西宮の姿を見つめてきたのでしょうか。

お土産に日本酒を買って、初夏の風が吹き抜ける西宮を後にすることにしました。

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