せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

小槌と古墳・芦屋打出を歩く(前編)

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真冬なのに妙に暖かい日の続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪神電車打出駅

阪神電車に乗り継いで到着したのは打出駅
周辺には商店街と閑静な住宅街が広がります。

阿保親王廟

駅から山手に歩くと、東西の道路と交差しました。この道はかつての西国街道です。街道沿いには「阿保親王廟」という石碑がありました。石碑の様子から見るに、かなり歴史がありそうで、気になりますね。

打出小槌町

この「打出」という少し変わった地名ですが、その由来には神功皇后の三韓遠征の際に兵士が「打ち出でた」のがこの地であることや、西国街道が海辺に出た場所であることなど、諸説あるようです。古い地図を見ると、南側の打出浜には小さな半島のような出っ張りを見ることができますので、こうした地形が地名の由来になったのかもしれません。少し時代が下がると打出の小槌の伝説とも結びつけられるようになったようで、街中には「打出小槌町」という縁起のよさそうな地名もありました。

金津山古墳

西国街道から山側に入った住宅地には住宅に囲まれるように小さな丘がありました。こちらはただの丘ではなく、金津山古墳という古墳です。

住宅開発された今ではわかりにくくなっていますが、金津山古墳は大型の前方後円墳です。この近くにあった打出小槌古墳を最大とする翠ヶ丘古墳群のひとつで、築造は5世紀の古墳時代とされています。この地に伝わる伝説では、この打出の地に先ほど石碑のあった阿保親王の別荘があり、親王は村人の備えのためにこの丘に金瓦一万枚、黄金一千枚というものがあります。そのためか、この丘も「黄金塚」「金塚」などとも呼ばれているそうです。打出小槌といい、何だか縁起が良さそうなお話ですが、この地が深い歴史を持っていることを感じさせますね。

打出天神社

さらに住宅地を歩いていくと、打出天神社がありました。こちらは菅原道真を祀る天満宮です。

阪神間の山手の住宅地に古墳が眠る町。芦屋のイメージとは少し違う姿を垣間見たようで興味深くなってきました。
次回は打出をもう少し歩いてみたいと思います。

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