こんにちは、山陽沿線歴部の内膳正です。
前回に続いて、垂水区の下畑を歩いてみたいと思います。
下畑の街並み
![1](https://www.blog-sanyo-railway.com/sanyo-003/files/2017/09/12-300x200.jpg)
久昌寺から下畑の集落へと歩いていくことに。狭い路地が続いています。
下畑海神社
![2](https://www.blog-sanyo-railway.com/sanyo-003/files/2017/09/22-300x200.jpg)
集落の外れに鳥居がありました。こちらは下畑海神社です。その名からわかるように垂水駅前にある海神社と関係が深いとされています。
下畑海神社の境内
![3](https://www.blog-sanyo-railway.com/sanyo-003/files/2017/09/32.jpg)
急な石段を上り、下畑海神社の境内へ。
境内は意外と広く、真ん中には土俵がありました。秋祭りの際はこの土俵を使って子供たちが相撲を取るとのことです。
六甲山系の西端が大阪湾に落ち込む須磨浦は古くから難所で、中世に海岸沿いの道が整備されるまで、山陽道は須磨から多井畑を経て塩屋へと迂回するルートを通っていました。その途中にあった下畑は街道沿いの街として栄えていました。この下畑海神社は垂水の海神社の元宮ともいわれ、垂水の海神社と同じく海に関係する神々で、山に囲まれた下畑になぜ…? と思ってしまいますが、海へ通じる道の途中にあったせいでしょうか。
下畑を眺める
![4](https://www.blog-sanyo-railway.com/sanyo-003/files/2017/09/42-300x200.jpg)
下畑海神社の前から下畑の集落を眺めてみました。家並の向こうには鉄拐山がそびえています。
海神社
![5](https://www.blog-sanyo-railway.com/sanyo-003/files/2017/09/54-300x200.jpg)
下畑からの帰りに垂水駅前の海神社も訪ねてみました。さきほど、下畑海神社はこの海神社の元宮としましたが、実はこの垂水の海神社の方が古くからあったようで、下畑海神社は海神社からの勧請で創建されたともされています。何だか関係がよくわからないのですが、謎は謎のままとして山陽電車で帰ることにしました。
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