せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

黒田家所縁の中世都市・備前福岡を歩く(前編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回、播州赤穂を訪れましたが、今回は播州赤穂から赤穂線でさらに西へ…。
駅名に「備前〜」と付くようになってきました。
もはや、山陽沿線どころか、摂津でも播磨でもないやんという突っ込みが聞こえてきますが、ご容赦を。

長船駅

播州赤穂
から1時間弱で長船駅に到着。日本刀で有名な所謂「備前長船」の玄関口です。

長船駅からの道

ただし、今回訪れるのは備前長船ではなく別の地区です。
長船駅から西に向かって歩いて行きますが、田んぼが広がるばかりでひと気がなく、何だか心細くなってきました。とりあえず、田んぼの向こうに広がる集落を目指して行きます。

福岡地区の町並み

長船駅から15分程で瀬戸内市長船町福岡地区に入りました。

黒田官兵衛の幟が

静かな集落ですが、こんな幟が。
司馬遼太郎『播磨灘物語』を読んだ方ならピンとくるかもしれません。
そう、ここは黒田官兵衛を生んだ黒田家が播磨に移る前に身を立てた中世都市・備前福岡があったとされる場所です。歴史部が備前の地まで遠征してきたのも黒田官兵衛所縁の地だからです。

妙興寺

福岡地区の真ん中に妙興寺という日蓮宗の寺院が。
ここには黒田家の墓所があります。

黒田家墓所

中世までは近江の豪族だったとされる黒田家ですが、諸事情(詳しくはわかっていないようです)から所領を追われ、流れ者になってしまったようです。黒田官兵衛の曽祖父・高政、祖父・重隆は当時、吉井川沿いの商業都市として栄えていた備前福岡に移ります。ここで身を起こした黒田家は播磨に移り、小寺家に召し抱えられるようになりました。黒田官兵衛が生まれたのは黒田家が播磨に移ってからですので、福岡と官兵衛とは直接関係がないと言えます。しかし、黒田家再興の地として愛着があったのか、官兵衛の息子・長政が九州で与えられた城に「福岡城」、その城下町を「福岡」と名付けました。ということは、ここ備前福岡が福岡市の地名の由来といえるわけです。

そんな歴史の舞台・備前福岡をもう少し歩いてみたいと思います。
ということで、年明けにアップ予定の次回に続きます。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村


A:長船駅
B:妙興寺


大きな地図で見る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。