大阪天満宮を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪天満宮を訪ねて歩いてみたいと思います。

大将軍社

大阪天満宮の境内にあったのが天満宮がこの地に創建されるきっかけとなった大将軍社です。

平安時代の延喜元(901)年に大宰府に向かう途中の菅原道真はこの大将軍社を参拝しました。大宰府で道真が没した五十年ほど後、この大将軍社の前に一夜にして七本の松の木が生え、夜な夜な光ったそうです。それを聞いた当時の村上天皇の命で建てた道真を祀る社が現在の大阪天満宮です。

天満天神繁盛亭

天満宮の裏手には「天満天神繁昌亭」なる落語の寄席がありました。寄席の建物のせいか、どこか門前町らしい雰囲気で、ここが大阪の都心の真ん中であることを忘れてしまいそうです。

大阪天満宮の路地

大阪天満宮の裏手はこんな雰囲気。
かつてはこの辺りも境内の中で、街中に天満宮の摂社が点在しています。

星合の池

天満宮の裏手、大阪天満宮駅の方へ向かうと、ビルの合間に石造りの鳥居と池がありました。こちらは星合の池です。池の中には祖霊社と茶店がありました。かつてはこの辺りも天満宮の境内で、周辺に他の池もあり、この星合の池も今の三倍程度の大きさがあったそうなのです。しかし、近代に入り、都市化により埋め立てられ、現在の姿になりました。

池と祖霊社
ビルの向こうは多くの人や車が行き交い地下には谷町線とJR東西線が走る曽根崎通ですが、池の周りはまるで別世界のような雰囲気です。

大都会の中にまるでオアシスのように佇む大阪天満宮、大阪にお出かけの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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大阪天満宮を訪ねて(前編)


新緑の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

南森町

今回訪ねたのは大阪の南森町Osaka Metroの駅名では「南森町」ですが、JR東西線の駅名では「大阪天満宮」です。

大阪天満宮

JRの駅名の通り、駅のすぐそばには大阪天満宮がありました。
ビルの合間にそびえる表門は立派ですが、この景色を見ると、私はみたらし団子系和菓子のCMを思い出してしまいます。

大阪天満宮の境内

大阪天満宮は大阪の街の中心にありますが、境内は広々としていて緑豊かです。

大阪天満宮の歴史は奈良時代の白雉元(650)年にまで遡るといわれています。現在の谷町四丁目付近に造営された難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)の守護として大将軍社が創建されたのが始まりとされています。南森町の地名の「森」とはこの大将軍社の森を指すとされていて、かつては対になる「北森町」という地名もありました。

登竜門

境内にあったのが登竜門です。
現在の大阪天満宮は天保8(1837)年の大塩平八郎の乱で焼失したものを再建したもので、その当時から東西にこの登竜門が設けられています。毎年受験シーズンには合格守を購入した方を対象に、この登竜門を潜り抜ける「登竜門通り抜け参拝」ができるとのこと。

大阪の都心に佇む大阪天満宮。次回、もう少し歩いてみたいと思います。

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間もなくオープン! 尼崎城を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて、尼崎を歩いてみたいと思います。

尼崎市立文化財収蔵庫

街中にあったのが、尼崎市立文化財収蔵庫です。本来は尼崎城の跡地に設けられた旧城内中学校の校舎だった建物を利用した博物館のような施設ですが、現在、本来の建物はリニューアル工事中で、現在は幼稚園の跡地に仮移転しています。

マンホール

文化財収蔵庫の近くの路上には尼崎城を描いたマンホールがありました。

三の丸公園

本来の文化財収蔵庫の建物の近くまで歩くと、「三の丸公園」なる公園がありました。その名の通り、この公園のある位置もかつては尼崎城の城内でした。

大物主神社

文化財収蔵庫から東側の阪神電車の大物駅の方へと歩くと、街中に神社がありました。こちらは大物主神社です。創建時期は不明ですが、大物川や庄下川などの河川が形成したデルタ洲の一つに設けられた祠が由来とも言われ、はるか古代にまでさかのぼることができるとされています。諸説あるようですが、この神社が「大物」の地名の由来になったとも言われています。

尼崎城が築かれたのは江戸時代のことですが、尼崎の地に城が築かれたのはさらに遡るといわれています。かつての城は尼崎城よりも東の大物駅から大物主神社にかけての辺りにあり、大物城とも「尼崎古城」とも言われていました。この城が築かれた時期は不明ですが、中世には簡素な平城があったようです。この大物城を拡大したのが尼崎城であるという説もあるようですが、詳しくはわかっていません。

大物くずれの戦跡碑

大物駅近くまで歩くと、公園の入り口に石碑があるのを見つけました。こちらは「大物くずれの戦跡碑」です。戦国時代の初め、幕府の実権を握っていた細川氏の内部で家督相続を巡って起こった争いの中で、享禄4(1531)年にここ大物で細川高国と細川晴元らが衝突。大敗した高国は大物城へ退避しようとしたところを捕らえられて、当時、大物にあった広徳寺(現在は寺町に移転しています)で自害させられました。膠着状態が続いていた戦いがここ大物で一気に高国方が劣勢になったことから「大物くずれ」と言われています。天守が復元され、注目されている尼崎城に対して、大物城は痕跡も少なく、石碑がひっそりとたたずんでいました。

間もなく…といいつつ、尼崎城は一昨日オープンしましたね。白く輝く復元天守は注目ですが、さらに足を延ばして市街化で消えた尼崎城の名残をより感じてみてはいかがでしょうか。

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間もなくオープン! 尼崎城を訪ねて(中編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、尼崎城を訪ねてみたいと思います。

契沖生誕の比定地

尼崎城の近くに石碑が立っていました。こちらは「契沖生誕の比定地」の碑です。
尼崎藩士の子として生まれた契沖は幼少より大阪や高野山の寺院で修業をして真言宗の僧侶となりますが、一方で、万葉集の研究をするなど国学者としても知られています。この地には契沖が生まれた尼崎藩士・下川元全の家があったとされています。

櫻井神社

庄下川沿いにあったのが、櫻井神社です。
櫻井神社は尼崎藩を治めた桜井松平家の祖・松平信定から十六代・忠興までの歴代の尼崎藩主をまつる神社として明治15(1882)年に建立された神社です。尼崎の町中にありながら静かな神社…と思いきや、女性の姿をよく見かける…。
どうやら、最近引退発表をしたアイドルグループの「聖地」になっているようです。

尼崎城を眺める

真新しい尼崎城を眺めながら、尼崎の町中を歩くことに。

現在、オープンに向けて準備が進む尼崎城の天守ですが、本来の天守は少し南東側のちょうどこの東側辺りにあったとされています。庄下川と今は埋め立てられた大物川に囲まれた城は沖から眺めると海に浮かんでいるようにも見え、美しい姿から「琴浦城」とも呼ばれていました。しかし、産業都市として発展する尼崎の真ん中にあったせいか、近代に入ってから城郭は跡形もなく取り壊されてしまいました。比較的最近まで天守のあった小山もあったそうなのですが、これも移設された後に取り崩されて痕跡はありません。

尼崎城址の碑

天守があったとされる場所に建つ明城小学校の裏手には「尼崎城址」の石碑がありました。この石碑の位置から直接新しい尼崎城を眺めることはできませんが、間もなくのオープンに向けて準備が進んでいるのでしょう。

次回はもう少し尼崎を歩いてみたいと思います。

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間もなくオープン! 尼崎城を訪ねて(前編)


すっかり春のこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪神尼崎駅

直通特急で到着したのは阪神尼崎駅

ジョーのある町

改札前には大きなステッカーがありました。

尼崎城

ステッカーにも記載されていましたが、今、尼崎では尼崎城の模擬天守が建設中で、間もなくオープンの予定です。駅からほど近い尼崎城址公園には白い城壁が眩しい天守が姿を現していました。

尼崎城は江戸時代に入ったばかりの元和3(1617)年に築城された城で、尼崎藩を治めていました。城主は戸田氏、青山氏と続き、桜井松平氏のときに幕末を迎えます。元々の城は庄下川の東側に広がっていて、現在は市街地や学校の敷地になっています。天守があった場所は城址公園より南東で、模擬天守の位置からずれているのですが、尼崎駅から天守閣が見える景色は新鮮で楽しみですね。

模擬天守を眺める

南側から模擬天守を眺めてみました。尼崎城の天守は明治6(1873)年に一部を除いて取り壊され、この地に城が戻ってきたのは実に140年ぶりのことです。建設中の天守はコンクリート造りで細部は史実とは異なりますが、こうして城が出来上がっている姿を眺めると、間もなくのオープンが楽しみになってきますね。

尼崎城の復元で盛り上がる尼崎の街をもう少し歩いてみたいと思います。

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四宮を訪ねて(前編)


春の暖かさを感じる日が増えつつあるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

元町駅

直通特急で到着したのは元町駅

福建商業會議所の碑

駅の北側に出ると、ビルの中に埋もれるように「福建商業會議所」と書かれた石碑がありました。

近世~近代にかけて、開港地となった神戸には欧米人だけでなく多くの華僑が移り住み、貿易などに携わっていました。この華僑たちは三江地域と呼ばれる浙江省などの長江下流域、広東省、福建省など大陸南部の出身者が多く、それぞれの出身地でグループを作っていました。神戸の開港から日清戦争までの間に神戸の華僑は増加し、出身地域ごとに商人の団体を設けるまでになりました。この福建商業會議所は福建省出身者が設立した団体です。

兵庫県公館

山手に緩やかな坂道を上ると、兵庫県公館の前に出ました。兵庫県公館は明治35(1902)年に県庁舎として建てられたもので、今は迎賓館と資料館として使われています。木々に囲まれた明治の建物は存在感がありますね。

神戸栄光教会

公館の裏手に回ると、下山手通に出ました。通に面してそびえるのは神戸栄光教会の鐘楼と礼拝堂です。神戸栄光教会は大正11(1922)年にこの地に建てられましたが、当時の協会は阪神・淡路大震災で倒壊してしまいました。現在の建物は平成16(2004)年に再建されたものですが、レンガ造りの外観は初代の協会を踏襲したものです。

行政機関が集まる静かなこの界隈ですが、近代の日本や、中国、欧米の気配を感じ、神戸らしい雰囲気を感じますね。
次回、もう少し歩いてみたいと思います。

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福島を歩く(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪の福島を歩いてみたいと思います。

上天神

福島天満宮の前の交差点の名前は「上天神」という名前。天神とは福島天満宮のことでしょうが、「上」とは? 実は、この界隈にはかつて「上」「中」「下」の三つの天満宮が曽根崎川に沿うようにありました。このうち、「上の天神」ことこの福島天満宮と「下の天神」(大阪市立下福島中学校東側)は現存していますが、「中の天神」は大阪大空襲で焼失してしまったそうで、現存していません。

浄正橋跡

福島天満宮から玉江橋に向かって歩くと、交差点がありました。前回見てきた浄正橋はかつてここにありました。東西を通り抜ける道路はかつての曽根崎川(蜆川)です。多くの車が行きかう景色は川がのんびり流れていた頃とはまるで異なるものですが、昔ながらの鮮魚店などにかつての雰囲気を感じることができますね。

逆櫓の松跡

街中に石碑がありました。こちらは「逆櫓の松跡」です。源平の合戦の際、京都から渡辺津(現在の天満橋付近)を経て屋島に進軍する源義経が、参謀役だった梶原景時と軍議を開いた地であるとされています。この地にあった松の木の傍で、船の両端に櫓をつけて前後どちらにも進めるようにしようと提案した景時に対して、義経が退却時のことを考えるべきではないと反論したということから松の木を「逆櫓の松」と呼ぶようになったとのこと。この松は江戸時代までこの地にあったようですが、現在は枯れてしまい、石碑が残るのみです。

豊前国中津藩蔵屋舗之跡

堂島川沿いに出ると川辺に石碑がありました。こちらは豊前国中津藩蔵屋舗之跡の石碑です。近世、堂島川沿いには全国の藩の蔵屋敷が建ち並び、物資の集散地となっていました。こちらはそのうちの中津藩の蔵屋敷の跡です。中津藩の蔵屋敷よりも目立つのが、福沢諭吉の生誕地の碑です。中津藩士の家に生まれた諭吉ですが、生まれたのは中津ではなく父が勤めていたここ大坂の中津藩蔵屋敷でした。

玉江橋

中津藩蔵屋敷跡から玉江橋に戻ります。都心にありながらどこかのんびりした雰囲気のある福島ですが、玉江橋まで来ると、高層ビル群を眺めると、大都市・大阪を感じさせる景色が広がります。

福島から梅田まではわずかひと駅。古代から近世をめぐる福島の旅を終えてから、買い物がてら梅田へ向かうことにしました。

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福島を歩く(前編)


肌寒くなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

福島駅

直通特急を乗り継いで降り立ったのは福島駅です。

浄正橋

福島駅とJR東西線の新福島駅が地下で向かい合う交差点の名前は浄正橋交差点

浄正橋交差点の周辺に橋は見当たらないのになぜこのような名前かというところですが、かつてこの交差点の南側の少し離れた位置に「曽根崎川(蜆川)」という川が流れていて、その川に架かる橋の名前が「浄正橋」でした。古い地図を見ると、この曽根崎川は大江橋の東側で堂島川から分かれ、曽根崎の辺りを流れて堂島大橋の西側で再び堂島川に合流していました。この曽根崎川と堂島川の間の堂島地区は二つの川に囲まれて、その名の通り「島」になっていました。大坂の市街地を流れ、親しまれた川だったようですが、明治42(1909)年に発生した大火の後に瓦礫の処分場所として埋め立てられてしまいました。現在では町割りや地名に川の名残を残すのみです。

福島天満宮

街中にあったのが福島天満宮です。平安時代、菅原道真が九州の大宰府に左遷される際、この地でもてなしを受けたことを喜び、この地を「福島」と呼んだことを由来として創建された神社だといわれています。「飢餓島」というひどい名前で呼ばれていたというこの地が福島と呼ばれるようになった発祥の地ですね。

福島天満宮の境内

福島天満宮の境内は鬱蒼とした木々に囲まれて周辺の市街地とは切り離されたような雰囲気です。

福島天満宮の門前

福島天満宮の門前は小さな飲食店が軒を連ね、門前町の雰囲気です。オフィスビルが建ち並ぶ市街地とは違った景色が広がり、風情がありますね。

古代から長い歴史を重ねてきた福島の街をもう少し歩いてみたいと思います。

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摂津水堂を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、水堂を歩いてみたいと思います。

水堂町の街並み

水堂陣屋跡の周辺に広がるのはごく普通の住宅地です。大阪空港までそう遠くないせいか、旅客機が低空で空を横切っていきました。

常春寺

街中にあったのが常春寺という寺院です。この寺の境内には南北朝時代に作られたといわれる水堂宝筐印塔という石塔があります。

水堂須佐男神社

さらに住宅地を歩いていくと、神社がありました。こちらは水堂須佐男神社です。

水堂古墳

立派な神社ですが、境内の奥には気になる建物が…。この建物の中には水堂古墳と呼ばれる古墳があります。

前回見てきたように、水堂と言えば水堂陣屋が知られていますが、水堂自体の歴史は非常に古く、水堂須佐男神社は戦国時代の天正期、水堂古墳はさらに古墳時代前期へさかのぼることができるといわれています。西を南北に流れる武庫川を望むこの地は古来から重要な土地であったことが伺えますね。古墳があるところに城が築かれるあたりは以前訪れた明石の王塚古墳~枝吉城を思わせるものがあります。

水堂古墳は今

水堂古墳は環濠を巡らせた前方後円墳だったと言われていますが、元の姿は失われていて、建物の中に一部が保存されているのみです。また、出土品は阪神尼崎駅近くの、尼崎市立文化財収蔵庫で展示されているとのこと。

水堂を歩く

水堂須佐男神社を出て、水堂の街を歩くことにします。古くから人が暮らし、水堂陣屋が治める街として栄えた街並みはどこか趣があるように感じますね。

街並みをもう少し見てみたいところですが、沈みゆく秋の夕日に背中を押されるように水堂の街を後にすることにしました。

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摂津水堂を訪ねて(前編)


木々も少しずつ色づいてきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

立花駅

今回降りたのは立花駅。

立花の街並み

立花の駅前は民家やビルが建ち並び、賑やかな雰囲気ですが、駅から西に歩くと、賑やかな街並みは途切れ、静かな住宅地が続きます。街路樹と水路がある街並みはいい雰囲気ですね。

水堂陣屋跡

そんな住宅地の中の一軒の塀の上にこんな表示が。表示の示すように、かつてこの地には水堂陣屋という代官所がありました。

水堂陣屋が設けられた時期ははっきりとはわかっていないようですが、江戸時代初めの寛永の頃に尼崎藩主だった青山幸成によって築かれたとされています。後に分家した幸成の次男の幸通がこの地を治める代官所として機能するようになりました。青山氏の本家は後に信州の飯山へと移ることとなりますが、この水堂陣屋は本家が転封となった後も幕末まで青山氏が治めることとなります。

水堂陣屋跡を眺める

水堂陣屋跡はつい数年前まで建物の一部が残っていたそうですが、開発により失われ、現在では案内表示がこの地に陣屋があったことを伝えるのみです。

次回はもう少し水堂の街を歩いてみたいと思います。

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