御着・国分寺を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、御着を歩いてみたいと思います。

播磨国分寺跡

町の一角にあったのは公園のような広場です。こちらは播磨国分寺の跡です。

播磨国分寺は天平13(741)年の聖武天皇の詔によって建立された寺院です。
広大な伽藍に門や七重塔等を備えた大寺院だったのですが、平安時代と秀吉の播磨攻めの際に二度焼失。大寺院の姿は失われてしまいました。

国分寺

播磨国分寺跡の一角には先ほど見かけた寺院があります。こちらは国分寺で、播磨国分寺の後継として江戸時代の寛永16(1639)年に創建された寺院です。かつてのような大寺院というわけではありませんが、どこかゆったりとした雰囲気の寺院ですね。

壇場山古墳

古代には国分寺の街として栄えたここ御着ですが、それ以前の姿を偲ばせるのが住宅地の中にある森です。周辺を堀のような窪みに囲まれたこちら。もうお分かりかと思いますがこちらは壇場山古墳という古墳です。

壇場山古墳は古墳時代の5世紀前半に築造されたとされる前方後円墳で、兵庫県内では三番目の大きさがあります。被葬者はわかっていませんが、規模から考えると播磨を治めた有力な豪族の墓ではないかと言われています。

墳丘に上る

この古墳は陵墓に指定されていないため、墳丘に上がることができます。しかし、墳丘には木々が生い茂り、見晴らしはききません。

山之越古墳

壇場山古墳の北西の住宅地の中にもう一つ古墳がありました。こちらは山之越古墳です。やはり古墳時代の5世紀中頃の築造とされ、巨大な壇場山古墳と比べると随分小さな方墳ですが、方墳としては兵庫県内最大とのこと。こちらの古墳の被葬者も明らかになっていませんが、規模や築造時期から壇場山古墳の被葬者の後継者の墓ではないかと言われています。

山之越古墳からの眺め

山之越古墳も墳丘に上ることができます。墳丘の上からは御着の街並みを眺めることができました。

御着城で知られるようになったここ御着ですが、そのはるか以前から、豪族が拠点を構え、国分寺が置かれる等、播磨の中心地として栄えてきた町でした。

梅雨の晴れ間に御着を訪ねてみてはいかがでしょうか。

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