タグ別アーカイブ: 廃線跡
【廃線跡】赤穂鉄道跡を歩く(その3)
【廃線跡】赤穂鉄道跡を歩く(その2)
田園地帯を歩いていると、遠くに日野ポンチョが。調べてみると東備西播定住自立圏圏域バス「ていじゅうろう」と言うそうです。途中で青いのも見ましたが、こちらは赤穂市内循環バス「ゆらのすけ」とのこと。
正直この辺で歩くのはかなり疲れてきまして・・・。果たして播州赤穂までたどり着けるでしょうか!?
【廃線跡】赤穂鉄道跡を歩く(その1)
1921(大正10)年と言いますから今から約100年前、有年駅と播州赤穂を結ぶ「赤穂鉄道」が開業しました。山陽本線が赤穂を通過しなかったことから特産物である塩を輸送することを目的としたもので、軌間762㎜の軽便鉄道でした。1950(昭和25)年、国鉄赤穂線開業により代替廃止されましたが、営業成績は安定していたと言います。山陽電車も網干から岡山への延長計画を持っていましたが、これも赤穂線開業により消えてしまいました。今回は70年以上前に消えた鉄道跡をたどります。
有年駅前には旧西国街道に沿った形で小規模な集落が広がっており、数棟ですが古い建築物を認めることが出来ました。この街道、少し西に行くと現在の国道2号線に取り込まれていました。
しばらく歩くと森の出口が見えてきました。急に開けたところに出ます。
以下、続きます。
【東垂水】山陽電車がJRを越えていた場所はここ!
情報提供、ありがとうございました。
【東垂水】山陽電車がJRを越えていた場所を探す
このあたり独特の風景。右から国道2号線、JR山陽本線の電車線、そして列車線、最上段が山陽電車の東垂水駅。狭い空間に主要交通が立体的に配置されています。
今では日常の風景ですが、このあたり、元々山陽電車は国道2号線(西国街道)上を走っている路面電車で、東垂水駅も現在地より西にあったといいます。隣の垂水駅は今より西にありましたがJR(当時は省線)より北側の現在線上にあり、実はこの写真のあたりで山陽電車はJRを乗り越えて山側に移っていたと言います。当時はJRも列車線が無く複線だったのと電化されていなかったとは言え、この高低差を駆け上っていたとは、にわかには信じがたいですね。
追加情報を募集中です。引き続き調査を継続したいと思います。
【高砂線廃線跡を歩く⑤】三菱製紙専用線
4回にわたってご紹介した国鉄高砂線跡。工業地帯を走る路線のため、沿線各工場へ専用の線路が敷かれており、その痕跡もあります。今回はその線路跡を歩くことにします。
1961~1969年の同じ場所です(出典:国土地理院)。
【高砂線廃線跡を歩く④】高砂港へ向かう
今回は高砂港までの線路跡を歩いてみましょう。
沿線工場へ引き込まれていた線路もたくさんありました。可能な限り追ってみます。
【高砂線廃線跡を歩く③】加古川駅まで
別府鉄道の跡地「松風こみち」の終点。高砂線との合流点にあたります。
次回からは高砂港方面を探索します。お楽しみに。
【高砂線廃線跡を歩く②】山陽電車との並走区間
加古川を渡った高砂線は、しばらく山陽電車に沿って東へ進みます。
このまま加古川駅へ向かって北上します。(つづく)
【高砂線廃線跡を歩く①】第二加古川橋梁付近
国鉄(現JR)加古川駅と高砂港を結び、周辺工場への引込線を多数有していた国鉄高砂線。1984(昭和59)年12月に廃止となってすでに37年以上経ちますが、現在でも鉄道の痕跡が数多く残り、廃線跡ウォークが楽しめる路線です。今回は数回に分け、あちこち歩いてみました。まずは加古川から。
現在の山陽電車加古川橋梁。高砂方から見たおなじみの撮影スポット(夏場はこの写真と反対側から日が当たりますので注意)。下流側に国鉄高砂線の橋梁(第二加古川橋梁)が架けられていました。2018年2月撮影。
さて、次回はここから加古川駅方面へ歩いてみましょう。