楽しいむ〜さん一家

【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】

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JR加古川駅から分岐する加古川線。かつては山陽電車と馴染み深い高砂線も分岐していましたが、戦時中はもう1本、軍用線が分岐していました。現在は加古川刑務所となっている「神野弾薬庫」へ向かう路線です。今回はその跡地を探索してみましょう。
Google Mapにより確認。高砂線・軍用線ともはっきりと痕跡が残っているのが分かります。ともかく現地に行ってみました。
加古川線と軍用線が分岐する部分。加古川線は高架になっていますが、ここから右へ向かう道路が軍用線跡。緩やかなカーブがそのまま残っています。
住宅地の中を貫く軍用線跡。微妙なカーブと道路幅が線路跡であったことを物語ります。戦後70年以上経っても痕跡が残っているんですね。
道路をぷらぷら歩いていると、突然現れる解説板。戦争の記憶を後世に伝えることは大事なことです。
この先、軍用線は現在ハリマ化成となっている工場の敷地をかすめて北上します。この工場はかつて旧陸軍高射砲連隊があり、そこから尾上にあった飛行場まで物資運搬のための道路が通っていました。鉄道ではありませんでしたが現在でも「高射砲道路」「軍用道路」と呼ばれているそうです。
線路跡を歩いて行くと、加古川野口郵便局の脇に流れる用水路に架かる鉄橋(ガーダー橋)があります。全線を通じて現存する唯一の鉄道施設ですが、かさ上げされ道路化されているため非常に発見しづらい物件です。
こう見ると鉄道の築堤に見えなくもない・・・。

後編に続きます。

意外な戦争遺跡が加古川にはたくさん残っています。クリックにもご協力ください。
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【パンタグラフ】3030号とともに消えたもの【クーラー】

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6月26日、旧標準色をまとって約2年活躍した3030号も引退の日を迎えました。


今回3030号に取り付けられたヘッドマークは、通常運行最終日である5月21日に向けてのものでしたが、実際には新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言中のため掲出しませんでした。イラストの3030号は非冷房時代の姿となっています。


4号車3615号のヘッドマーク。従来はクリーム地の車体に取り付けることもあって、青色主体の色使いでしたが、今回は紺地に付けるため逆に黄色メインの色使いとなっています。貫通扉上の隙間の有無など3030号とは違う3次車前期型として描かれています。(画像提供:山陽電気鉄道)

で、肝心のさよなら運転、む~パパ・む~さんとも出動せず。ちょっと沿線のファンが過熱気味ということもあり、カメラを持つ気になれなかったというのが本当のところです。

さて、3028号引退のおり、補助電源装置のMGが消えたとお話ししましたが、他にも消えたものがあります。
それが、菱形パンタグラフ(PK-55)と薄めの集中クーラー(CU-73)。

子供向け電車の本には3000系と3050系の識別点としてパンタグラフとクーラーの違いが挙げられていましたが、菱形パンタグラフの消滅により、それも過去の話になりました。
※この写真は更新前の3061号。下枠交差型パンタグラフ(む~パパが子供の頃はエックスパンタと呼んでいたような気がします。)は現在とは異なるPK-60です。気が付けば下枠交差型はPK-80に統一され、写真のPK-60もすでに消滅しています。

今回消えたCU-73クーラーのキセ(カバー)部分。ファンの上部は蚊取り線香のような渦巻型に針金が巻かれていました。現在のCU-71クーラーでは普通の網になっており、何となくレトロな渦巻も過去のものとなりました。

当たり前にあったものが気付かないうちに少しずつ消えていきます。

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【痕跡があちこちに】神戸臨港線を歩く(その4)

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その1 その2 その3

神戸臨港線というよりは突堤へ延びる引込線を探索している感がありますが、今回は第4回。現在のポートターミナルより東側、第5~第8突堤の引込線跡を探索します。この辺りは第2次大戦後に整備された部分となります。
とある展覧会で掲示された地図から。左上は神戸港駅(現みなとのもり公園)。突堤へ向けて何本もの線路が敷かれているのが分かります。痕跡は至る所に残っています。

新港重運計量神戸営業所。隣のガソリンスタンドとの間が引込線跡。上地図中央部にある二つの三菱倉庫の間へ入っていた線路です。線路に沿ってカーブした建物が残ります。
三菱倉庫を裏側から。線路に合わせて欠取りがあります。
少し東側へ。大きな矢印(展示物ゆえご容赦を)の下敷きになっている「森本倉庫」の前に線路が敷かれています。

森本倉庫。ひさしのある荷受け部分だけが不自然なカーブを描いています。線路の跡をそのまま残されたものです。
地図では森本倉庫と書かれていますが現在は澁澤倉庫となっている建物。線路に沿ってカーブした壁面が美しいです。
第8突堤付近。現在突堤の間は埋め立てられています。
上図で大神倉庫と記載された部分。現在は神和運輸倉庫となっていますが、駐車場部分は明らかに怪しい廃線跡ですね。
上図第7~第8突堤間の倉庫群。現在、第5~第8突堤間は埋め立てられて陸地となっており、かつて海辺に建ち威容を誇った倉庫群も陸地に取り込まれてしまいました。

あちこち探しているときりがないので、神戸臨港線探索はひとまず終了します。
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【古い倉庫が魅力】神戸臨港線を歩く(その3)

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前回「その2」でも登場した突堤に伸びる引込線が記された地図。今回は今も残る線路跡を感じさせる倉庫群を訪ねます。
臨港線自体はこの図の上方を通っている線です。まずは赤で塗った部分から。
三井倉庫。元は前身の東神倉庫として1926(大正15)年に建てられたもの。海側から見ると同じ意匠の建物が2つ並んでいるように見えますが、上図のとおり西側(写真では左側)の建物の北側は引込線に沿って切り込まれています。
駐車場部分は線路跡で、線路に沿って建物がカーブしています。

北側から。1階部分にはかつて線路が敷かれていました。貨車が据え付けられ荷物を積んでいた情景がよみがえります。
上図の緑で示した部分が三菱倉庫。1925(大正14)年築。

もちろんこちらにも線路が入っていました。少し前までは線路そのものも残っていました。現在は埋められたのか見ることは出来ませんが、建物の1階部分はいかにも引込線らしい姿を残しています。
三菱倉庫のさらに隣は住友倉庫なのですが、事務所棟の間を通る引込線の痕跡が今もゆるやかなカーブとなって残っています。
三菱倉庫の西側は住友倉庫。上図の青で示した部分となります。1926(大正15)年築。新港地区の倉庫群は同時期に一斉に建設されたことが分かります。線路が入っていた部分は増築されたのか西側とは外観が異なっており、現在痕跡はありません。
海側から見た住友倉庫。高層建築が林立し、周囲の景観は一変しました。

この隣、上図の黄色で示した部分は川西倉庫が建っていましたが、新港地区の再開発に伴い取り壊され、フェリシモ新本社やポートミュージアムが建っています。大正時代に建ったこれらの倉庫群もいずれは消え、鉄道のあった痕跡も過去のものになっていくのでしょうね。

せっかくですので、今は無き川西倉庫の姿をご紹介しましょう。
かつて住友倉庫の隣にあった川西倉庫。西側壁面のカーブはもちろん引込線に沿ったものです。1925(大正14)年築。貴重な産業遺産ではありますが、保存するには大きすぎますね・・・。(2004.2.21撮影)

引込線のうち1本は川西倉庫の1階部分を通過していました。そのままの姿を残しています。(2004.2.21撮影)

大規模な倉庫群はいずれも大正時代から残る貴重なもの。クリックにもご協力ください。
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【最後の未更新編成】3028号に「Last Run」ヘッドマーク

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編成単位では最後の未更新車となった3028号に、とうとう「Last Run」ヘッドマークが付きました。




3028号・3614号とも車両が神戸寄り・姫路寄りで描き分けられている他は同じ仕様で、全盛期とも言える冷房改造後の姿。時期的にも合う「潮干狩」ヘッドマークが付いた姿となっています。「潮干狩」ヘッドマークは3030号旧標準色用として復刻製作されていましたが、コロナ禍で見送られ「幻」となってしまいました。
(画像提供:山陽電気鉄道)

ヘッドマーク掲出期間唯一の土日となった6月5日。あいにくの曇りでしたが、上下どちらの列車も撮れると言えます。魚住駅からの坂を上って来た3028号。
(2021.6.5 西江井ヶ島~山陽魚住間)

西江井ヶ島駅を出発する3028号。(2021.6.5)
折返しの姫路行き下り列車を撮影。(2021.6.5 東二見~西二見間)
最後は定番撮影地スマシオで。(2021.6.6 須磨浦公園~塩屋間)

3028号の引退により山陽電車の車両から消えたものがあります。

それがMG(電動発電機)。1号車の浜側床下にあり常に回転音を響かせています。鉄道に詳しい方には説明するまでもありませんが、架線から取り入れた1500Vの電気を動力としてクーラーや蛍光灯、その他電車を制御するための低圧の電気を作り出すもので、以前は電車にとって不可欠な部品でした。山陽電車では1983(昭和58)年、MGに代わる補助電源装置としてSIV(静止型インバータ)を採用し徐々にMGから切り替えてきましたが、今回の3028号引退をもって消滅します。これは目立たないことですが大きなことで、山陽電車の車両史にとって一つの時代が終わったことを示しています。※姫路寄り先頭車には予備の小型MGが付いており、これは今後しばらく残るはずです。

VVVF車増加やMG廃止など、急速な変化に驚くばかり。クリックにもご協力を!
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