楽しいむ〜さん一家

【高砂線廃線跡を歩く②】山陽電車との並走区間

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加古川を渡った高砂線は、しばらく山陽電車に沿って東へ進みます。

奥が山陽電車。手前に現在も高砂線の築堤がきれいに残っています。近年フェンスが出来、立ち入れなくなりました。
現在も残る架道橋。この角度から見ると今にも列車が走って来そうです。
枕木も残っています。煉瓦を積み上げた橋脚。日本では標準的な「イギリス積み」です。
桜の季節に。山陽電車に並行して残る廃線跡。(尾上の松~高砂間)
線路跡は山陽電車の加古川県道踏切より東側からは道路に転用されています。写真は旧国鉄尾上駅付近を東側から。右に山陽電車の築堤が見えます。
山陽電車は尾上の松駅東方で築堤を上り高砂線を越えます。元々尾上の松駅はこの築堤上にあり、国鉄尾上駅と連絡していました。写真は高砂線廃線跡との交差部。単線だったため2車線の道路がここだけくびれており、車がすれ違うことは出来ません。
1984年の同場所(山陽電車OB提供)。300形普通列車が通過しています。奥に見えるのは国鉄尾上駅。線路はありませんが、今もそれほど変わらない雰囲気です。
国鉄尾上駅跡モニュメント。写真から見ると山陽電車の築堤にくっついて線路の東側にホームがあったようですね。

このまま加古川駅へ向かって北上します。(つづく)

む~さん一家の初詣2018(その2)石の宝殿と山陽300形

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む~さん一家、長く山陽沿線に住んでいますが、行ったことがない場所があります。「石の宝殿」生石(おうしこ)神社もその一つ。1月3日、初詣ということで行ってきました。

JR「宝殿」駅はここ石の宝殿が由来ではありますが、「宝殿」自体は岩山の中腹にありJRからも山陽電車「伊保」駅からも歩けば同じようなもので山登りは避けられません。

下界が一望できる神社の裏手。手前にある角ばった石が「宝殿」です。現在はこの宝殿をご神体とした拝殿が建てられていますが、江戸時代シーボルトによって描かれたスケッチによると拝殿はなく石の前で直接拝んでいたようです。

この石というか岩、水に浮かんでいるようにも見えますが、もちろんそうではありません。奈良時代に書かれた播磨国風土記にも登場していますので相当古く、古墳時代のものだとか。もちろん自然にこうなったのではなく人工物であり、この岩山から切り出されたものですが、何らかの理由により工事途中で放置されたものでしょう。500トンもあるそうですから、どうやって運ぶつもりだったのでしょうか。写真のようにとがった部分もあり、最終的に横に倒して石棺の屋根部分と計画していたとも考えられます。現代においても「謎の石」です。

神社の鎮座する岩山。た~さん、一気に頂上まで駆け上がります。

頂上も1枚岩。展望台となっています。転がり落ちそうで少し怖いですね~。

生石神社で発見した算額。江戸時代に数学は問題を「解く」会があったほど一般に普及しました。ここにあるのは明治に入ってからのもの。数学の難しい問題が解けたことを感謝し奉納したものですが、感謝より自慢しているような気がしないでもありません。全国には900枚以上あるとのことです。

ご朱印をいただきました。「日本三奇」とあります。残りの2奇とは宮崎県の霧島東神社にある天之逆鉾(あまのさかほこ)、宮城県御釜神社にある四口の神竈(よんくのしんかま)だそうで。もちろんむ~パパ、行ったことありません。

さてさて、ここへ来るまでに伊保駅から向かうと、新幹線の高架下すぐに山陽電車の廃車車両が置かれている場所があります。

現在はホームのような形の民家に停車している感じです。何やら旧国鉄の湘南色のような色に塗られていますが、山陽電車の300形の中間車332号です。前見たときは山陽電車とも違うクリームと紺色のツートンだったように記憶しますが、10年以上前のことで写真が出てきませんでした。現存する唯一の300形です。

次回は、このまま山陽電車沿線の神社を回ります。クリックにもご協力を。
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