楽しいむ〜さん一家

トミカを塗り替えて山陽タクシーを作る(前編)

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今回は子供たちに人気の「トミカ」を塗り替えて山陽タクシーを作ってみようと思います。トミカの塗り替えについては他のホームページやブログ等も参考にしています。模型を取り扱う方にとっては手元にあるであろう道具や溶剤等を使用していますが、改造される場合はあくまで個人の責任でお願いします。

山陽バスとともに垂水の交通を担う山陽タクシー。主力はトヨタのタクシー専用車クラウンコンフォートで、姉妹車のクラウンセダンと合わせ全車統一された時期もありましたが、急速に置換えが進み、現在は全体の約7割にまで数を減らしています。今後ますます減っていくと思われますが、山陽タクシーらしいツートンカラーはJPN TAXIに受け継がれ今も健在です。
さてこのクラウンコンフォートですが、トミカNo.51として発売されています。通常品は黒一色。少しずんぐりしたスタイルと前のウインカー部分がオレンジ色ベタ塗りなので、弟分のコンフォートのような感じがします。ほこりがいっぱいくっついていて申し訳ありません・・・。
こちらがトヨタ・コンフォート。元々は小型車枠であるマークⅡやコロナの後継として登場しました。クラウンの後継であるクラウンコンフォートと同型ですが、全長が短いほか、フロントグリルに王冠マークが無いなど細部デザインに違いがあります。(写真:秋田市内)
ちなみにトミカのクラウンコンフォートには、通常品をベースにしたトミカリミテッド「タクシーコレクション」という製品があり、東京のタクシー4種が2009年に発売されましたが、1度発売されただけで後が続きませんでした。現在は入手困難と思われます。通常品より細かい塗分けや色差しがなされており綺麗な仕上がりなので、今回これを目指すことにしましょう。
少々脱線しますが、トヨタクラウンコンフォートのトミカとしては、大人向けの「トミカリミテッドヴィンテージネオ」シリーズにもラインアップされています。完成度は申し分なく、こちらを塗り替えたいところですが、なにせ普通のトミカが10台買えそうな値段なので、手を付ける勇気はありません。
さてさて。塗り替えのためにまずトミカを分解します。床下と車体は2か所で固定されており、ここをドリルで削って外します。同じように行灯とヘッドライト部分も裏側を削って外してしまいます。後ろのドアは左側だけ開閉式ですが、バネはシートを表現するプラスチックのパーツに付いていました。
ここで本当は鉄道模型なんかで塗装をはがす定番のIPA(イソプロピルアルコール=自動車用水抜き剤として入手可能)に浸け込んでいたのですが、トミカの強靭な塗装をはがすことが出来ず、結局写真のツールクリーナーを塗ってぼろ布でこするという古典的手法によりはがすことが出来ました。
だいたい塗装がはがれた状態。溝部分に入り込んだ塗料はカッターナイフなどを使って削り取ります。作業が終わったら中性洗剤でよく洗って乾かします。

塗装の前に、下地塗料のサーフェイサーを吹き付けます。ペーパー掛けして何度か吹きたいところですが、車体の細かい彫刻が消えてしまいそうなので、今回はボンネットやトランク、屋根部分だけ細かい耐水ペーパーで平滑にして軽く2回目を吹いているだけです。

以下、続きます。

今年もたくさんのみなさまに「楽しいむ~さん一家」を訪れていただき、まことにありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

神戸電鉄「デ101」復元プロジェクトが始動!

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神戸電鉄「デ101」。2019年のクラウドファンディングにより解体の危機をいったん脱し、入換車時代の姿ではありますが、美しく整備されました。
以前の記事はこちら(リンク先に飛びます)
 → 【神戸電鉄】クラウドファンディングでよみがえった「デ101」

現在の「デ101」。神鉄トレインフェスティバルでも登場、その雄姿をご覧になられたファンも多いことでしょう。(写真提供:デ101まもり隊)

しかしながら、現在の姿はあくまで現役引退後、鈴蘭台工場の入換車としてのもの。完全に登場時の姿に戻せなくても、現役時代の姿に戻して残すほうが良いに越したことはありません。「デ101まもり隊」では正面窓や側扉・側窓を段階的に復元するため、クラウドファンディング第二弾を実施中。期限は2024年3月4日。まずは正面窓復元に必要な200万円が第一目標だそうです。

鉄道模型で再現された現役時代のデ101形。塗装は登場時のあずき色時代を経て、上半部グリーン、窓回りオレンジと変遷しました。今回、塗装はあずき色のままかと思いますが、外観はこの模型のようになれば完成形でしょう。
埋められた窓と扉が分かる側面。第二目標(550万円)で側扉を、最終目標(1030万円)で側窓を復元する計画です。(写真提供:デ101まもり隊)
正面窓を内側から。外観は美しくなりましたが車内はそのまま。各部に凝った意匠が残っています。
(写真提供:デ101まもり隊)
車内の状況。窓や扉は埋められてはいますが、車内からだと単に「ふさがれている」だけの状態のようで、その位置がはっきり分かります。(写真提供:デ101まもり隊)

クラウドファンディングの詳細はこちらまで(外部リンクに移動します) 
→ 「神戸電鉄「デ101」を現役当時の姿へ!昭和初期の車両を次代に繋ぐサポーター募集!」

【祝 世界遺産登録30周年】姫路城をわが手に(その2)

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本年2023年12月11日、姫路城が日本初の世界文化遺産に登録されて30周年となりました。江戸時代より現存する12箇所の天守閣のうち、もっとも大規模で美しい姿を保つのが姫路城だということは異論のないところでしょう。む~パパ、実は現存する12城は全て訪問し城内に足を踏み入れましたが、弘前城では雪に埋もれ遭難しそうになり(そもそも天守に入れる季節ではなく・・・)、宇和島城は2度も訪れたのにいずれも時間切れで天守に登城できなかったという苦い思い出があり、未だこれら天守には強い執着があるという「城マニア」の端くれではありますが、それはともかく。

世界遺産登録30周年、おめでとうございます!

2014年4月24日ですので、ほぼ10年前の記事「姫路城をわが手に(その1)」を読者のみなさまは覚えておられるでしょうか?Canonのホームページで公開されているペーパークラフトを組み立てるという企画だったのですが、「その1」だけで中断していました。「知らなかった」と言う方は以下のリンク先をたどってみてください。

リンク先 → 姫路城をわが手に(その1)

リンク先 → キヤノンペーパークラフト

このころは「楽しいむ~さん一家」も開設したところで、いろんな企画を立ち上げる時期でもあったのですが、確かに中断しているのは反省すべきところ。世界遺産登録30周年で再開することにしました。

キヤノンの組立説明図によると、唐破風を作る前に両屋根を貼り合わせることになっていました。いきなりのミス!でも大勢に変化はないような・・・。写真は最上部屋根に妻面を接続しているところです。

最上部の屋根が完成しました。

完成した屋根に妻・側板を取り付けます。上から順番に組み立て下へ向かうようです。
細部パーツの切り出し。まずはハサミの入りやすいところから切り抜きます。ハサミ使用では無理をしないことです。
ハサミの入らない小さな部品はカッターナイフが登場します。こんな感じで仕上げてゆきます。
上から2層目の下にある「入母屋破風」。4か所もあるのか~。先は長いです。
入母屋破風を一つ組んでみました。屋根に独立してくっついた破風が「千鳥破風」なのですが、隣の屋根と一体になってこちらへ生えているようなタイプは「入母屋破風」と言うらしい・・・。にしても、このペーパークラフト、正確に切り出すのはもちろんですが遊びがほぼ無いので、よほどきちんと組まないと上手に出来ません。また、上から下への階層がそれぞれバラバラなので、少しでもミスがあると真っ直ぐ建つかどうかも怪しい状況・・・。

もう少し進展したら続きを書きます。不定期連載になりますが。

【山陽バス】いすゞ旧型車の写真を発掘

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む~パパ、以前に古い山陽バスのネガを入手していまして、これをデジタル化したいと思っていたのですが、このほど少し道筋が付いたこともあり写真を一部公開します。
※これらの写真は山陽電気鉄道ではなく個人蔵です。商用利用はご遠慮ください。

山陽電鉄時代。清水が丘にあった垂水営業所。現在の山陽バス本社。建物は現在も変わっていませんが、H車庫と呼ばれる部分は社員の自家用車?が置かれているようです。1973(昭和48)~1975(昭和50)年頃ではないかと思われます。
山陽電鉄バス6607号車。いすゞBR20型。車体は川崎航空機(のち川重車体。現在のジェイ・バス)製。1966(昭和41)年式。車掌乗務を前提とした中扉のみの車両です。当時の経年から考えると廃車直前と思われます。当時の山陽バスには同寸法で下位モデルのBA30もいました。
6607と同型の6608号車。当時、バスのナンバーは割り当て制で現在のような登録順ではありませんでした。山陽電鉄は乗合車が6600番台、貸切車が6800番台となっていたようです。川崎のバスのお尻と言えば、む~パパ世代はテールランプがもう少し上で左右に寄ったものをイメージしますが、この頃はボンネットバス譲りのやや中央に寄ったものだったことが分かります。
ネガ順から見て6607号の車内と思われます。前扉が無いので左側最前部の座席が2人掛けになっているのが分かります。中扉付近には車掌台がありマイクや運賃箱、扉開閉スイッチが装備されています。
6607号と思われる図面。これによると右側最前部、左側の前2列が2人掛け座席となっており、写真とは違っています。後年改造されたのでしょうか?謎は深まります。
6613号車。同じくいすゞBR20ですが、こちらは前扉が付いたワンマンにも使える仕様となっています。
同じような年式のはずですが、左テールランプの脇に何かのフタがあったりして、微妙な変化が見られます。「文明堂のカステラ」広告は一時期全車に付いていたそうで、山陽バス必須アイテムの一つと言えるでしょう。
6613号車の車内。先頭部は1人掛けの座席になっています。前部に運賃箱が無いので、ワンマンカーとして使っていたわけではないようです。
6613号と思われる図面。前半部の座席は全て1人掛けで、写真とも合致しているようです。

謎に満ちた山陽バスの世界。少しずつ解き明かしていきましょう。

【旧流路】湊川を歩く(後編)

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神戸電鉄湊川駅から北へ向かうと、新湊川との交差部分に「神戸の台所」東山商店街の入口があります。阪神大震災以前はここから川沿いに上流へ向かってアーケードの無い商店街があり、む~パパの記憶では絶版になった製品が店頭に並んでいる怪しげな模型店もありましたが、現在はきれいに取り壊されて道路になっており、ここからまだ商店街が続いていたという雰囲気はもうありません。
広場と言うべきでしょう。アーケードを含めロータリー状になった商店街の北端に近い部分。
東山商店街は戦後のヤミ市から発展したものということですが、位置的には旧湊川の川筋に沿ったものと考えられます。アーケードのこの曲がりくねった様子は、かつての川の流路を彷彿とさせますが、真相はいかに・・・。
庶民的な商店街を歩くと、あちこちに「行列のできる店」に出会います。いちいち並んでいるわけにもいかないので、先へ・・・。
この先、商店街は左に逸れ、坂を下ります。旧湊川の堤防上から神戸方(東側)の堤防下に向かってアーケード街が続いているのが分かります。
堤防の途中、坂道に建つ看板建築のお店。それぞれつながっていないのかも知れませんが、隣り合う2階部分がどうなっているのか、非常に気になります。
パークタウンと呼ばれる部分。1階は旧湊川堤防下、2階の上部が湊川公園と同じ高さとなると思われます。旧天井川の堤防をうまく利用しています。
湊川公園のトンネル上から商店街入口を。ここから見ると1階が道路と同じ。2階があって、その屋上部分が湊川公園(旧湊川の堤防上)という立体的な位置関係がよく分かります。
湊川と言えば、大楠公。「湊川の戦い」で討死した楠木正成はかつて日本史のヒーローでした。(現在もヒーローであることに変わりありません。)
この湊川公園と同じ高さから始まる新開地のアーケード街。新開地は旧湊川堤防を切り開いて出来た土地で、ゆえに「新開地」と言います。この商店街は旧堤防上から坂を下って現在の新開地駅方面へ向かいます。