楽しいむ〜さん一家

【神戸電鉄】鈴蘭台から旧線跡をたどる(その2)

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前回、鈴蘭台駅から神戸電鉄旧線跡をたどって石井ダムまで歩いてきたむ~パパですが、さてそのままどこまで歩くのか?ということで。
ここまで来ると菊水山の頂上が近くに見えます。もう長い間登ってないな~。35年くらいになるかも・・・。
菊水山頂上方面と逆に市街地に向けて歩いていくと、ほどなく神戸電鉄の菊水山駅跡に出ます。入口は封鎖され駅に入ることは出来ません。草木に覆われ自然に帰っていくかのようです。

この先は神戸電鉄の鵯越駅へ向かうコースと烏原貯水池へ向かうコースに分かれます。上りはもうしんどい、下り坂をそのまま歩きたいという理由で烏原へ向かうコースを取りました。
しばらく歩くと古風な石造りの建物や橋が現れます。貯水池が作られた1905(明治38)年当時の建造物と思われます。こちらのダムは有名ですが周囲に散見される付属建築物も貴重なものでしょう。
「水と森の回遊路」と名付けられた貯水池の周回路は恰好のウォーキングコース。付近の方の憩いの場となっています。
ダム上にある西洋風の古風な建物は取水塔とのこと。当時の兵庫県知事の手による「養而不窮」の文字があります。ネットで意味を調べてみました。中国の故事で「井戸は人々を養っても枯れることはない」ということだそうです。
ダムと言えば、やはりこちら側の姿が美しいですね。佐野藤次郎という方が設計されたそうで正式名称は「立ヶ畑堰堤」。完成した1905年は阪神電車が開業した年でもあります。先ほど訪れた近代的な石井ダムとは全く異なるデザインが魅力的です。

しばしダムを眺めた後、市街地へ向けて歩き始めます。
山の空気を吸いながら小さな切り通しを抜けると、岩の間から神戸の市街地が見えてきます。む~パパの好きな風景の一つ。
この付近は石井川に沿った地域と相当な高低差があり、神戸らしい立体的な風景がここでも見ることが出来ます。転がり落ちそうな階段。街中にあるスリルある空間でした。

あとは湊川まで歩くだけ。この先は別の機会に。
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【神戸電鉄】鈴蘭台から旧線跡をたどる(その1)

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週末のウォーキングがすっかり楽しくなってしまったむ~パパ。近場の廃線・旧線・未成線は全部訪ねてしまおうという「スタンプラリー」みたいになっていますが、今回は神戸電鉄有馬線・旧菊水山駅~鈴蘭台駅間の旧線を訪ねました。
スタートしたのは神戸電鉄鈴蘭台駅。北区役所と一体になり面目を一新。あまりの変貌ぶりに驚かされます。
鈴蘭台と言えば近隣の足として活躍する神鉄タクシー。伝統の青と白のカラーリングは山陽タクシーとは上下が逆。山陽よりやや鈍いトーンの青色は、タクシーのカラーとしてかつてよく見かけた懐かしい色調です。
鈴蘭台駅から南、湊川方面へ歩いて行くと、鈴蘭台工場・車庫に達します。間近で電車が見られる絶好のポイント。模型化資料に必要なパンタグラフ回りも撮り放題(?)です。

この先、廃止となった菊水山駅までの間、石井ダムの建設に伴い1995(平成7)年に線路が付け替えられた区間となります。
上が鈴蘭台側。黄色が現在線。点線部はトンネル。赤色が旧線となります。
(出典:Google Map)
1985(昭和60)年頃。石井ダム建設前。神戸電鉄がほぼ地上を走っているのが分かります。通勤・通学の乗客を楽しませた六甲山系の四季は、残念ながらトンネルによって見られなくなってしまいました。(出典:国土地理院)
鈴蘭台車庫からしばらく線路に沿って歩くと、神戸電鉄はトンネルに入ります。ここが旧線との分岐点。
ここから旧線は右へ。線路を越えて気軽に歩けるウォーキングコースになっており、結構人に会いました。広場ではお湯を沸かしてカップラーメンを作る人も・・・。
歩いているとすぐ正面に石井ダムの巨大な姿が見えてきます。写真の右下にダムへ伸びる遊歩道が見えますが、これが線路跡です。
ダム側から。中央を通る廃線跡を撮ってみました。
未だに橋台が残っていました。
石井ダムの上から南側を望むと、現在線を走る神戸電鉄の電車とその右側に旧線のトンネルを見ることが出来ます。
旧線のトンネル(旧烏原トンネル)。現在も当時のまま残されています。
振り返れば石井ダム。自然とそそり立つ人工物との対比がダムの魅力と言えましょう。

続いて旧菊水山駅から烏原貯水池を目指します。クリックにもご協力を!
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【未成線】和田岬連絡線を歩く

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未成線。廃線跡とは違い線路が敷かれずに終わった路線で「楽しいむ~さん一家」でも加古川市内に存在する2路線をご紹介しましたが、神戸市長田区にも未成線跡があります。ちょっと歩いてみましょう。
今回は国土地理院の航空写真を使用しています。左上が高速長田駅。昔市電が通っていた道路を南へ歩くと阪神大震災で大きな被害を受けた御蔵菅原付近を経て山陽本線(JR神戸線)の高架をくぐります。
位置関係としては上図のようになります。和田岬線は兵庫駅つまり東側から乗り入れるような形になっていますが、西側からも直通できるように準備していたらしく、写真でも分かりますが細長い土地が街路を斜めに横切っているのが現在でも確認できます。とにかく現地へ行ってみました。
※和田岬線は通称で本当は山陽本線の一部ですが、話がややこしくなるので以後「和田岬線」と表記します。
山陽本線から分岐する予定だった場所。実は地元の鉄道ファンには有名なのですが、線路はまっすぐなのに高架だけが南へ分かれていけるようカーブしているのが分かります。不自然に切れているのも分かりますね。高架建設時にはすでに計画されていたことが分かります。この構造物も1930(昭和5)年に建設された近代建築で、道路を越える部分の鉄骨が非常に魅力的なのですが、また別の機会にご紹介するとして・・・。

近寄ってみると、高架がぶった切られたような形をしています。
この先高架で道路をまたいだ後は地上に降りるつもりだったとは思いますが、実際に線路が敷かれることはなく、線路用地だけが細長く残っています。長田区梅ケ香町の「梅ケ香公園」は線路用地を転用した公園です。
公園というには細長く、線路用地らしい姿を留めています。
梅ケ香公園を過ぎると、細長い土地に周囲より明らかに新しい家が建っていました。この区画、近年まで使用されていなかったのではないでしょうか。
さらにその先。用地は工場に転用されています。

工場を過ぎると運河を越え(もちろん未成線ですので鉄橋は架けられていませんが)、和田岬線へ合流するため右にカーブし始めます。その途中にあるマンション。これも最近建ったようなので、それまでは空き地だったと思われます。
国道2号線が和田岬線をオーバーパス。妙に開口部が広いのはもう1本線路を通す計画だったからでしょうか・・・?
同じ場所を南側から。手前へ延びてくる線路は川崎重工への引込線。右側が和田岬線。未成線は写真中央の川崎重工との分岐部付近に合流する予定だったと思われます。以前はこの少し南から兵庫臨港線へ向かう線路が敷かれていました。

比較的はっきりと残っていて面白い場所です。クリックにもご協力を!
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【東須磨】鷹取工場で整備されたSLたち①~播磨中央公園のC56

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先日、このようなニュースが舞い込みました。

播磨中央公園のSL、大井川鐵道に譲渡へ「ファンの思い尊重する最善策」|北播|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

SL「C56形」搬入 45年間兵庫の公園に展示 解体予定が大井川鉄道に|あなたの静岡新聞 (at-s.com)

加東市の播磨中央公園に保存されていたC56型蒸気機関車。痛みがひどく解体寸前だったものが大井川鐡道(静岡県)に引き取られたというお話です。
今回静岡へ行った播磨中央公園のC56 135号機。バック運転にも適した切り欠きのある炭水車がC56の特徴です。(撮影 2021.7.4)
写真でも分かりますが、残念ながら全くの放置状態。SLが現役を引退する時期にブームが巻き起こり、全国各地で保存されたものの1両ですがSL自体が人々の記憶から薄れる中、保存への関心もなくなり、アスベスト問題もあってスクラップになることが決まっていました。そもそもこのC56は現役時代兵庫県で走ったことはなく、九州や中国地方で活躍し1974年、鹿児島で最後を迎えました。滝野町文化会館に保存されたのは1975年2月のことです。

実は、現役を引退した蒸気機関車が公園などに保存される前、当時の国鉄工場で美しく整備されてから送り出されています。このC56 135号機は須磨区にあった鷹取工場で最後に整備されました。多くの職員が山陽電車を利用していた沿線ゆかりの国鉄工場でもあり、整備当時の写真をここで公開することとします。(以下1975年撮影)
鷹取工場構内で整備が完了したC56 135号機。まだナンバープレートが付いていません。
ナンバープレートが付いたC56 135号機。
カラー写真もありました。この状態で滝野町へ運ばれました。

新天地でのC56135号復活を祈ります。クリックにもご協力を!
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【戦争遺跡】加古川飛行場と高射砲道路を歩く

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コロナ禍とメタボ解消のため、屋外でウォーキングを続けるむ~パパ。「旧陸軍神野弾薬庫線を歩く」で残した宿題を片付けるため、旧陸軍加古川飛行場跡地にやって来ました。
尾上公民館近くにある石碑。飛行場の正門がこのあたりにあったと伝わります。
飛行場の解説板。写真を見ると滑走路は三角形であることが分かります。「加古川飛行場跡地は広大な農地となり開発が進んだ現在・・・」とありますが、
Google Map昔の航空写真(1961~1964)を見てみると、滑走路の跡地がはっきり残っているのが分かります。
こんな感じですね。高射砲道路はこの飛行場と高射砲第3連隊を結ぶものでした。
ちなみに滑走路は1980年代になってもまだ形を残していたのですが・・・、
現在はわずかに一部が残るのみとなっています。なお、石碑はこの写真では中央下部にあり、滑走路とは少し離れています。相当広大な施設であったことが分かります。
(航空写真出典:Google Map)
現在の高射砲道路。元々「道路」だけに当時の痕跡は見当たりません。
浜の宮駅~尾上の松駅間で山陽電車を越えます。軍用道路のため踏切を避けようと築堤を作っています。現在も道路として使用されていますが、幅が狭く歩行者が歩くのはなかなか危険ではあります。
山陽電車との交差部。いかにも古そうな感じ。前方は山陽新幹線の高架。
その先、明姫幹線を越えて北に進むと別府鉄道廃線跡と交差します。別府鉄道の本数が少なかったためか立体交差にはなっていません。
新しい道路が出来て高射砲道路(右側)が無理やり取り付けられる形になっています。
おっと日が暮れてきました。東加古川駅~加古川駅間でJRも越えます。山陽電車と同じような築堤が作られています。
JRを越え加古川バイパスを潜れば見えて来る「ハリマ化成」。高射砲連隊(のち航空通信学校加古川教育隊)の土地は戦後このハリマ化成の工場となりました。
ハリマ化成正門。旧陸軍時代の門がそのまま残っています。敷地内にも陸軍時代の建物が残っているそうです。
とうとう日が暮れてしまいました。

加古川飛行場関連は以下のページへ。
【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(前編)
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】

作成にあたり加古川市ホームページを参考にしました。クリックにもご協力を!
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