中編より続きます。終点尼崎港駅から先へ延びていた専用線跡を歩いてみました。
タグ別アーカイブ: 専用線
【廃線跡】尼崎港線を歩く(後編)
【高砂線廃線跡を歩く⑤】三菱製紙専用線
4回にわたってご紹介した国鉄高砂線跡。工業地帯を走る路線のため、沿線各工場へ専用の線路が敷かれており、その痕跡もあります。今回はその線路跡を歩くことにします。
1961~1969年の同じ場所です(出典:国土地理院)。
【廃線跡】新日鉄広畑製鉄所専用線を歩く
10月も半ばとなり、ウォーキングが楽しめる季節になってきました。今回は旧国鉄飾磨駅から分岐していた新日鉄(現日本製鉄)広畑製鉄所への専用線跡を探索してみましょう。
飾磨駅の南側、リバーシティにやって来ました。写真左側の一帯は旧国鉄飾磨駅跡です。姫路港まで延びる廃線跡は山陽電車網干線のガードをくぐるあたりまで遊歩道となって残っていますが、そこから先は区画整理により痕跡はありません。
空中写真。これに線路を重ねるとこうなります。上から見るとはっきりと痕跡が見えてきます。(いずれも空中写真:国土地理院)分岐点付近。最近まで橋梁が残っていたようですが、撤去されてしまったようです・・・。飾磨から広畑製鉄所方向。何か工事をしています。船場川を渡るための築堤はそのまま残っています。船場川。ここも最近まで鉄橋が残っており、歩行者は通行できたようですが撤去されてしまったようです。いかにも「取って付けたような」感じで鉄橋跡がふさがれています。向こうに見える赤い橋は「思案橋」。この後、工場構内のため廃線跡は歩けませんが、水路の対岸を進んでいます。そのまま水路を進んでいくと、夢前川に出ます。写真中央、川を越えるための築堤がきれいに残っていました。痕跡が消えていく中、この専用線で最大の遺構がこの夢前川橋梁。他の用途に転用されているため撤去されず、鉄道橋らしい姿をそのまま残しています。向こう側は広畑製鉄所。ここまで来ると工場内から「カンカンカン」と踏切音や、「プアーン」と警笛の音が聞こえてきます。構内で働く機関車の音でしょう。加古川でも広畑でも製鉄所内には鉄道が縦横に敷かれており、人知れず多くの機関車が働いています。見学の機会があれば是非見たいものです。
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【小寄公園】石原産業の蒸気機関車S108号
先日ご紹介した小寄公園の神戸市電1155号。この公園には市電のほかにも蒸気機関車が1両保存されています。
公園では市電と向かい合いながらも少し離れた場所に展示される「S108」のプレートを付けた小さな蒸気機関車。石炭も水も機関車本体に積み込む「タンク機関車」です。軸配置は動輪3つのC型。「機関車トーマス」的なスケール感ではないでしょうか。
初めてむ~パパがここに来たのは1981年ですのでもう40年も前。再訪した現在、周囲には高いマンションが建ち風景は一変しましたが、機関車は変わらずここに置かれています。
この機関車は「S108」とあるように国鉄の機関車ではなく、元々は中国南部の海南島で使われる予定だったとのこと。これも先日ご紹介した夢前川そばの蒸気機関車と同じ日本車両(愛知県)で製造されたものです。しかし、戦局の悪化で外地へ送ることが出来なくなり内地で働くことに。結局一番長く働いたのは、大手化学メーカー石原産業(大阪市)の四日市にある主力工場に付属した専用線でした。
石原産業の専用線は四日市から塩浜まで延びていた国鉄(現JR)の貨物線からさらに先にあった工場専用線3本のうちの一つです(2008年廃止)。S108号は3㎞あまりの専用線で1967(昭和42)年まで過ごし、ここにやって来ました。小寄公園の前身本山交通公園は元々自動車教習所として1951(昭和26)年に開園しました。1971(昭和46)年に交通公園になり、その時、同年廃止の市電1155号が運び込まれたのは時期的に間違いないと思いますが、このS108号はそれより4年前の1967(昭和42)年からこの地に来ていたのでしょうか???
平和な余生を過ごすはずだった神戸。しかし1995(平成7)年1月17日、阪神大震災に襲われます。市電のほうは軽かったためか無事でしたが、S108号は横倒しとなり、周囲が落ち着くまでそのままの状態でした。しかし幸運にも解体は免れ、元通り起こされて今も大切に保存されています。
ただ、不思議なのは、どういった経緯でこの機関車が遠く四日市から神戸まで保存のために運ばれてきたのでしょうか。元の所有者である石原産業も大阪の会社で、む~パパの知る限り神戸に縁があるとも思えません。経緯をご存じの方がおられましたらご教示ください。
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