楽しいむ〜さん一家

【今のうちに】神戸市営地下鉄在来車を記録

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山陽電車とともに「3000」形引退が話題になった神戸市営地下鉄西神山手線。ここ数年中に新車6000形と交代し、在来車1000・2000・7000形が姿を消します。今のうちに記録しておきましょう。今回もむ~さん撮影、というか3000形撮影(前回)の合間に撮ったという話ですが、いやいや、日常の記録こそが本当に必要な活動です。む~パパ、暑くて参加していません。
現在絶賛増備中の6000形。元北神急行の7000形と行き交います。神戸市営地下鉄は車両管理を編成の下2桁で「第〇〇号」と行っているようで、写真の「6129」は実は6000形のトップナンバー。通常であれば「6101」。阪急電車・山陽電車的には「6100」となるような感じ。失礼ながらとても中途半端な感じがします。(2021.7.21 西神南)

6145号。6000形の17本目で比較的最近完成した編成と思われ、西神山手線・旧北神車33編成の半数以上が6000形に置き換わったことが分かります。逆に言うと残りの在来車は16編成(うち旧北神5編成)しかないということになります。(2021.7.21 総合運動公園~学園都市)

それでは現存する在来車をご紹介しましょう。

1000形。1977(昭和52)年3月13日の開業に際し登場した車両で、延伸などに伴い増備され最終的に18編成となりました。写真の1113号は1985(昭和60)年の新神戸~大倉山・名谷~学園都市の延伸に伴い増備されたもので、5両編成で登場しました。のち、制御器・主電動機を交換しVVVF車となっています。(2021.7.21 西神南)

1000形1116号。1987(昭和62)年、学園都市~西神中央延伸に伴い製造されたもので、1000形最後の増備となりました。外観としては大きくなったクーラーや手すりが付いて少々いかつくなった正面が特徴で、車内もラインデリア(風をかき回す扇風機のようなもの)が付くなどマイナーチェンジしています。のち制御器・主電動機を交換しVVVF車となりました。(2021.7.21 総合運動公園~学園都市)
2000形。1988(昭和63)年、北神急行開業に伴い4編成が製造されたもので、神戸市営地下鉄初のモデルチェンジ車となりました。正面非常口がオフセットされ運転台が広くなっています。制御方式は1000形と同じで車内も1000形1116以降と同様でしたが、座席の袖仕切りデザインが当時製造中の阪急電車と似たものに変更されています。のち1000形同様制御器・主電動機が交換されVVVF化。(2021.7.21 西神南)
7000形。元北神急行の車両で1987(昭和62)年に5編成が登場。当初からVVVF車で、その起動音が「宇宙船のよう」と呼ばれたのも昔話になりました。近年制御器は交換され下回りは最も新しくなっています。車内は同時期に製作されていた阪急7000系に準じていますが、座席袖仕切り部分がアルミデコラ張りになっていました。(6連化時に製造された7550形はモケット張りとなり阪急車と同じ仕様でした。)現在は神戸市交通局に移籍しているはずですが、北神急行時代の社章が残っています。(2021.7.21 西神南)

今のところ、どの車両も見ることが出来ますが、1000形は廃車が進んでおり2000形についても検査切れ編成から順次引退していくものと思われます。また7000形についても数年中に置き換えられるとのことです。車両が統一されることは運用上・保守上ともに極めてメリットが大きいことですが、鉄道ファンにとってはみな同じ車両となり面白みが無くなるのは間違いなく、残り1本になって大騒ぎにならない今のうちに記録・記憶に留めておくのが正解かと思います。

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【西神山手線】神戸市営地下鉄3000形が引退

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山陽電車の3000系引退が一段落し、鋼製で編成単位の未更新車は姿を消しました。時を同じくして、神戸市営地下鉄西神山手線でも6000形により全編成の置換えが進んでいますが、在来車では最新形式である3000形が7月24日をもって引退しました。梅雨明けの猛暑ですっかり撮りに行く気力の無いむ~パパに代わり、今回はむ~さんが単独取材です。
6編成あった3000形も廃車が進み、最後の1編成に。「Last Run」ヘッドマークが取り付けられました。(2021.7.21 西神南駅)
3128号に取り付けられたヘッドマーク。
反対側3628号のヘッドマーク。

3000形は1992(平成4)年から1994(平成6)年にかけて製造。神戸市営地下鉄初のVVVF車です。のち在来車1000形・2000形も制御器・モーターを交換しVVVF車となりましたが、3000形は結果的に下回りが一番古い車両となってしまい引退を早めたと考えられます。かつては下回りを流用し新しい車体を載せた車体更新車というものが、山陽電車を含む各社で盛んに作られていましたが、現在では下回りが先に使えなくなってしまいます。

む~さん、炎天下で結構歩き回ってるようで。総合運動公園~学園都市間の跨線橋から。む~パパ、中高生の頃はここまで自転車でやって来ていました。学園都市駅に進入する3000形。逆光の中、緑が映えます。6000形と並ぶ3000形。この組み合わせも見納め。む~さん、望遠レンズを付け替える暇が無くスマホで撮影したとか。少なくともコンパクトデジカメより最近のスマホのほうが綺麗に写りますね~。

む~さん、一体何往復分撮影したのやら・・・。西神南駅に進入する3000形。ホームに反射するヘッドライトがなかなか美しいです。む~パパ、最近撮影技術では連敗中・・・。

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【祝】山陽5000系デビュー35周年

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主に直通特急として活躍中の山陽電車5000系。1986(昭和61)年7月10日に営業運転に投入され、今年で35周年を迎えました。当時一挙に7編成が登場し旧性能車を置き換えたことはむ~パパの記憶には新しいところですが、もうあれからずいぶん長い年月が経ったものです。ちなみに5000系は制御方式が異なるものの同スタイルの5030系と合わせると、2000(平成12)年まで14年間にわたって増備されたため、非常に多くのバリエーションがあり趣味的には面白い車両なのですが、それは追々ご紹介するとして、今回は登場時の5000系の姿を追ってみましょう。
登場時、市販されていた下敷き。川崎重工構内で撮影されたトップナンバー5000号の貴重な写真です。右上に書かれた文字「フレッシュ!マロンシートカー」「普通車でデビュー!」にご注目。登場時の5000系は旧性能車の置換えという位置付けであり、全て3両編成で通常は普通車のみに使用されていました。また、先頭車と中間車では座席の色が異なっており、先頭車は茶色系、中間車は赤色系でした。「マロンシート」という言葉は当時沿線学生の間では流行りましたが、鉄道ファンにとっては意味の分からない単語でした。シート色も特に栗色という感じではありませんでしたし・・・。(所蔵:む~さんパパ)

高架になる前の西飾磨駅で行き交う5000系。網干線は当時ワンマン運転にはなっておらず、3両編成だった5000系も運用されていました。1986年に登場した1次車7編成(5000~5012)のうち、最後の5012号(写真右)は川崎重工の試作ボルスタレス台車を履いて登場しました。のち5018号の台車と交換し他の1次車と揃えられました。山陽電車では以後ボルスタレス台車の採用はありませんでしたが、現在阪神電車から乗り入れて来る9000系・9300系・1000系にはボルスタレス台車が採用されています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
登場時の座席。これは先頭車のもので中間車はこげ茶とワインレッドの組み合わせとなっていました。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

試運転中5000号の貴重なショット。震災まで存在した地上時代の西代駅で。後方は現在もそのままの姿で建っている山陽電車の本社。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
同じく試運転中の5000号。舞子公園駅。明石海峡大橋の完成や橋上駅舎化により風景は激変しました。駅の北側にあるマンションもまだありません。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

同じく舞子公園駅で、今は無き3202号。3号車の3621号はOK台車を履いています。まだ現塗装車は登場していません。(記録によると1986.7.15に登場したとのこと。)
(写真所蔵:山陽電気鉄道)

それにしても豪華な普通車が登場したと驚いたものです。クリックにもご協力ください。
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【姫路】御立公園の美しい保存蒸気機関車【C57】

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姫路市内、書写山にほど近い御立公園に保存されているC57形蒸気機関車を見に行ってきました。
以前は「御立交通公園」と言い、交通安全教育のための小さな街路が設けられ、その後は有料遊具がありましたが、それらの施設は撤去され、都市公園として生まれ変わっています。公園内部の周回路は線路をデザインした石材が埋め込まれ、保存機関車を意識した雰囲気となっています。

御立公園のシンボル、C57。1937(昭和12)年、神戸の川崎車輌(現:川崎重工)で製造されたC57の最初期グループである5号機です。ファンには「貴婦人」と呼ばれた旅客用の機関車で、最近まで山口線で営業運転していた1号機と同型です。

この5号機、金沢にいたこともあったようですが基本的に関西から離れたことはなく、山陽本線や播但線でも活躍しており、姫路に縁の深い機関車です。
解説板。現在は公園のリニューアルに伴い屋根が付けられていますが、保存当時屋根は無く、一時荒廃しかかった時期もあったとのことです。有志の保存会が熱心に手入れした結果、屋外保存では全国で最も状態の良い保存車とまで評価されるようになりました。公園で朽ちて行く保存車の多いことを考えると、美しい状態を保持するのがいかに難しいかを物語っています。
大きな動輪は旅客用機関車の証。先輪が2、動輪が3(なので「C」です。)、従輪が1の2-3-1の軸配置は「パシフィック」と呼ばれ、オネゲル作曲の管弦楽曲に、そのものズバリの「パシフィック231」という曲があります。保存機にはロッドや車輪などに白だけでなく赤や緑の色を入れたりして不自然なものが見受けられます(実物にも入っているものはありました。)が、この5号機は非常に質素な出で立ちで好感が持てます。
機関車の前は石材やレンガでターンテーブルをイメージした広場となっています。

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【姫路】夢前川のそばに出現した台湾の蒸気機関車

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網干線の西飾磨~夢前川間、国道250号沿い「マキウラ鋼業」さんの前に、突然蒸気機関車が現れちょっとした話題になっています。
この「535」のプレートを付けた小さな機関車。数奇な運命でここにやって来ました。元々は日本統治下にあった台湾で、サトウキビや精糖工場の製品輸送のために敷かれた鉄道で使われていたもので、1936(昭和11)年日本車両製です。戦後も「台湾糖業公司」の元、同じ目的で使われていました。日本で言う軽便鉄道、軌間は762㎜ですから山陽電車の約半分です。
「日本車両」のマーク。同社は豊川工場(愛知県)で現在も新幹線車両などを製造する鉄道車両メーカーとして健在です。

後ろに写るトラックなどからその大きさが分かります。

この機関車。台湾で役目を終えた後、日本の貿易商が買い取り里帰り。明石市内で公開されたあと、高砂市内のレストランで展示されていました。しかしレストランは閉店。しばらく放置されていたようですが、その後行方不明に。実はスクラップにするため、ここ姫路にあるマキウラ鋼業さんに処分依頼があったとか。マキウラ鋼業さんはスクラップにはせず保存する道を選び、綺麗に整備されて会社の前で展示されています。幸運な機関車ですね。

さて、この機関車の隣に展示されている大八車。上に載った箱に「消防」の文字。これは明治・大正期の消防ポンプだと思われます。ただ、肝心のポンプ部分が失われている様子。む~パパ、たまたま最近別の場所で同じ消防大八車を見た覚えがありました。

奈良県・龍田大社の境内にあった消防大八車。姫路に保存されているものも、本来このように消防ポンプが載っていたものと思われます。写真のものは完全体でしょうが、ちょっと実用には耐えられないものと・・・。


どちらもなかなか貴重なものです。クリックにもご協力ください。
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【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】

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それでは後編を。→前編

現ハリマ化成(旧陸軍高射砲連隊)をかすめた軍用線は、北へ向きを変えます。
線路の向かう先にあるのは加古川刑務所(旧陸軍神野弾薬庫)。戦時下とあって用地はあくまで一直線になっていますね。
地元の地図。南が上だったのでひっくり返していますが、線路の跡がくっきりと描かれています。む~パパが立っている「現在地」ちょうどカーブの途中。

東播磨道の側道に無理にくっつけようとしたためか、少々不自然な道路形状となっていますが・・・。

その先は一直線に廃線跡が道路となって続いています。
行き着く先は加古川市立日岡山学校給食センター。以前は加古川刑務所敷地の一部だったのですが、この部分は使われておらず、戦時中の兵器庫や線路が2005年頃まで残っていました。と言っても塀の内側だけに見ることは出来なかったようで、取り壊す際に見ることが出来た人は相当幸運だったと思います。また一つ戦争遺跡が消えていったわけですが・・・。
少し戻って加古川野口郵便局付近。軍用線に並行して少し北側に架けられている「連隊橋」。言うまでもなく高射砲連隊のことと思われます。架橋は1938(昭和13)年。

連隊橋のたもとには軍人墓が建立されていました。

加古川の戦争遺跡。次は高射砲道路も歩いてみます。クリックにもご協力ください。
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