国鉄(現JR)加古川駅と高砂港を結び、周辺工場への引込線を多数有していた国鉄高砂線。1984(昭和59)年12月に廃止となってすでに37年以上経ちますが、現在でも鉄道の痕跡が数多く残り、廃線跡ウォークが楽しめる路線です。今回は数回に分け、あちこち歩いてみました。まずは加古川から。
現在の山陽電車加古川橋梁。高砂方から見たおなじみの撮影スポット(夏場はこの写真と反対側から日が当たりますので注意)。下流側に国鉄高砂線の橋梁(第二加古川橋梁)が架けられていました。2018年2月撮影。
さて、次回はここから加古川駅方面へ歩いてみましょう。
こんにちは!
画像にある場所、全て私のジョギング&ウォーキングコースです。ただし国鉄髙砂線橋梁が無くなった後なんでが…。
アルミカーとキハが並走してた時期があったのですね、知らなかったです。
今回は懐かしい画像の公開有り難うございました。
Toshiyuki iwaiさま コメントありがとうございます。
高砂線の廃線跡は比較的有名なのですが、さすがに加古川で並走している姿は現役時代にしかないので面白いかな、と思いました。廃止が1984年になりますので、ニューアルミカーとの並走はありますが、5000系や現塗装車との組み合わせはありません。
国鉄高砂線、とても懐かしいですね!
キハ20やキハ36などの首都圏色の気動車が2両編成で、走っていました。
加古川線・三木線・北条線・鍛冶屋線も気動車の2両編成でした。
当時、国鉄加古川駅は地上で、気動車の車庫もありました♪
大石六甲さま コメントありがとうございます。
加古川線は元々私鉄で、三木線・北条線・鍛冶屋線は高砂線とともにその支線として建設されたものです。今残る支線は北条線のみとなりました。加古川駅北側に広がっていた気動車区は現在航空写真を見ても全くその痕跡をとどめておらず、歩いてその頃を偲べるものは残っていないと思われます。
加古川線、元々私鉄だったのですネ!
ウィキペディアを読みましたが、地上時代の加古川駅の一部や2両の首都圏色の気動車が写っていました。加古川駅の北側、高架後、再開発がされたのですね…。
私が小学生の時、父と加古川から、鍛冶屋に行ったことがあります。
このとき、加古川駅は地上で2両の首都圏色の気動車に乗りましたが、すし詰め状態でした…。野村駅の手前の駅?まで、すし詰めでしたが、その後は空いていました。若い人が多かったので、おそらく、ロックコンサートがあったのではと思いました。
その頃は、加古川から鍛冶屋線・北条線・三木線・高砂線への直通便があり、野村から谷川に行く便があったと思います。国鉄時代、北条線・三木線・高砂線に乗ったことがないのです…。北条線が北条鉄道に、三木線が三木鉄道になってから両線に乗りました。高砂線にぜひ乗りたかったです…(泣)。
キハ40やキハ47等が登場してから、加古川線の様子も変わりましたね。
最近、五能線等を走っていたキハ40が、五能線カラーで北条鉄道に登場しました。
またいつか、加古川線を2両の首都圏色の気動車が走ってほしいですね!
大石六甲さま コメントありがとうございます。
実は私は国鉄時代に加古川線やその支線に乗ったことがなく、存在もあまり認識していませんでした。今から思えばもったいないことをしたものだと後悔しております。北条鉄道のキハ40は最近撮りに行ったので、またご紹介します。
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