中編より続きます。終点尼崎港駅から先へ延びていた専用線跡を歩いてみました。
カテゴリーアーカイブ: 阪神電車
【廃線跡】尼崎港線を歩く(後編)
【廃線跡】尼崎港線を歩く(中編)
【廃線跡】尼崎港線を歩く(前編)
兵庫県の鉄道廃線跡を探索するむ~パパ。今回は塚口駅と尼崎港4.6㎞を結んでいた尼崎港線を歩きます。この路線は元々単独の路線ではなく福知山線の支線として作られました。この点、播但線の一部だった飾磨港線とよく似ていますね。旅客輸送は貨物輸送のついでだったようで1981(昭和56)年3月31日に廃止。次いで1984(昭和59)年2月1日に路線そのものも廃止されてしまいます。
【1986年】あのころの阪神電車・須磨浦公園にて
友人の遺した写真をご遺族から譲り受け、公開しています。今回は懐かしい阪神電車の姿をご紹介します。直通特急が走り始める12年前、仲良く阪急電車と須磨浦公園で折り返していた時代の記録です。
こちらへもどうぞ!→【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて
→【1986年】あのころの阪急電車・須磨浦公園にて
【阪神】武庫川線の廃線部分を歩く(その3)
甲子園口駅で国鉄(現JR)東海道線に接続した阪神武庫川線ですが、ここで終わりではなく東海道線に沿って西ノ宮(現西宮)まで実際に線路が敷かれていました。
今回は線路に沿って西宮まで歩いてみましょう。
【阪神】武庫川線の廃線部分を歩く(その2)
前回(その1)の続き。武庫大橋から北側の廃線跡を歩きましょう。その前に、む~パパが前回歩いた1982(昭和57)年の2年前、1980(昭和55)年の廃線跡を記録したブログをご紹介いただきました。管理人さまに許可を得てリンクを貼っています。2年違いですが旧武庫大橋駅に杭が打たれていたり、変化があります。
↓ リンク先
阪神武庫川線廃線区間の記録: 国鉄・私鉄の思い出 (seesaa.net)
【阪神】武庫川線の廃線部分を歩く(その1)
武庫川駅からは短い支線「武庫川線」が走っています。む~パパが小さい頃は2つ先の洲先駅まででしたが1984(昭和59)年に武庫川団地駅まで延長され、現在の営業キロは1.7㎞。編成ごとに違うカラフルな色に塗られた5500系が専属で活躍しています。写真は本線改札内から見た武庫川線のホーム。中間改札が設けられていますね。
今回この武庫川線の「廃線部分」を歩いてみます。武庫川線は浜手にあった軍需工場(川西航空機→現在の新明和工業)への従業員輸送および資材搬入のために建設されたもので、1943(昭和18)年に武庫川~洲先間が、その後武庫川駅より北側の路線が国鉄(現JR)甲子園口駅を経て西ノ宮(現西宮)駅まで建設されました。途中、阪神国道(現国道2号線)との交差部には武庫大橋駅が設けられ、阪神電車はここまで運行されていました。国鉄からは資材運搬のため貨物列車が乗り入れており、武庫大橋駅以南は狭軌と標準軌両方の列車が入れる3線軌条となっていました。
さて、武庫川駅から北側を見てみます。堤防に沿って線路が北上しています。左側から合流するのは阪神本線との連絡線で、車両を本線から出し入れするためのもの。む~パパ、小さいころから何やら怪しげな線路が北へと続いているのを見て「いつかは歩いてみたい」と思っていまして、まだ武庫大橋駅のホームが残っていたころに行ったことはあるのですが、久しぶり(40年以上ぶり!)の再訪となります。
※あらかじめお断りしておきます。この廃線跡については多くの方がブログ等で紹介されています。今回の記事はこれらを参考にさせていただき、実際に歩いてみたものです。
ここから先、堤防に沿った線路跡にきれいに住宅が建ち並んでいます。写真は比較的最近分譲された区画のようで、少し前の写真ではまだ姿が見えません。
国道2号線との交差部。武庫大橋駅があったところです。ここからはまだ北へ線路が続いていましたが、交差部は埋められ痕跡は無くなっていました。
※追加情報がありました。かつてはここから北側に狭軌の線路が残っていて、国道2号をくぐるところに境目があり、線路が食い違っていたそうです。謎は深まります。
次回は武庫大橋駅以北を訪ねます。
【大阪】安治川トンネルと九条周辺を歩く【阪神なんば線】
む~パパ高校生の頃、NHKで「匂いガラス」なるドラマ(唐十郎作 1986年放映)を見て、安治川トンネルという川底を通るトンネルの存在を初めて知ったのです・・・。とは言え、実はそのまま30年以上忘れてたのが最近、大阪市営渡船を回ったりした関係でふと思い出し、ちょっと周辺を歩いてみました。
水都と呼ばれる大阪。安治川は市内南西部にある多くの河川の一つで、水運が盛んなため架橋出来なかったことから市内の他の河川と同様、渡船が行き来していました。安治川の場合、多数の船が航行するため渡船も危険ということで、代替手段としてトンネルが設けられました。完成は1944(昭和19)年。空襲にも耐え現在も多くの人々に利用されています。
他社で活躍した阪神電車② えちぜん鉄道MC1101形・MC2101形
阪神電車からは赤胴車の3301形だけでなく、ジェットカーと呼ばれるクリームと青の普通専用車のうち相当数が、1101形・2101形(のちMC1101形・MC2101形)としてえちぜん鉄道(移籍当時は京福電気鉄道)に移っています。今回はこれらの車両を少しマニアックにご紹介しましょう。
こちらは同じMC2101形ですが片運転台のまま残った車両です。こちらは冷房改造されています。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)
ここで少~しウンチクを。MC1101形・MC2201形(元阪神5101形・3301形)は阪神電車初の大型車で、前面を上から見ると丸くカーブを描いていました。ところがジェットカーの増備車である5231形を前身とするMC2101形の前面は平面を組み合わせた三つ折りとなっていて、同時期の赤胴車である3601・3701形(のちの7601・7701形)と同じ顔をしているはずです。ちょっと検証してみましょう。
む~パパ、小学生のときから山陽沿線に入ってくる阪神電車のうち3501形と7701形は車体が同じなんだけれども、顔の印象が何となく違うような気がする、なぜなんだろうと疑問に思っていたのですが、上記の違いを先輩から教えていただき、とても納得した覚えがあります。が、そのとき実車はすでになく、検証することが出来ずにいました。もう11年も前ですが、えちぜん鉄道で実際に違いを見ることができて良かったと思っています。
他社で活躍した阪神電車① えちぜん鉄道MC2201形
大手私鉄など都市部の車両が役目を終えた後、地方に移って再び活躍する例は枚挙にいとまがありません。今回はそうした中から、かつてえちぜん鉄道で活躍した阪神電車の車両をご紹介します。
阪神電車時代、架線電圧の昇圧(600V→1500V)時に前面に取り付けられたいかめしい配管が魅力的です。写真は同好者による貸切運転時で、甲子園行きノンストップの看板が付けられています。(2012.6.2 永平寺口)
えちぜん鉄道にいた懐かしい元阪神車両は2014年、その活躍に終止符を打ちました。