楽しいむ〜さん一家

旧シンボルマークのあれこれ

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復活した旧シンボルマーク。その「現役時代」、あれこれを少々語ってみましょう。

鋼製車がツートンカラーだった1983(昭和58)年に制定されたシンボルマーク。よく考えれば当時は3050形アルミカー(3068以降)のみに取り付けられている、比較的限定されたものではありました。写真の3078号は1985(昭和60)年、5000系登場前年に製造された3000系最後の新製車です。
※新製時からシンボルマークを取り付けていたのは3074号以降の3編成のみと思われます。
(2003.9.15 東二見車庫)
1986(昭和61)年に登場した5000系。シンボルマークの下に「SANYO」とロゴが入りました。実はこのロゴが入ったためか5000系のシンボルマークは3050形のものより「やや小さい」のです。ご存じでしたか?今から思えば、きちんと測っていれば良かったかも、と・・・。(2004.5.5 東二見工場)
1986(昭和61)年、初めて現塗装になったのはこの3024号でした。同時にシンボルマークが付きました。実は在来の鋼製車でシンボルマークが付いたのは、この編成が最初になります。前面の帯位置が他の車両よりやや低い位置なのと、側面の赤帯幅がやや太いのがこの編成の特徴です。
(2006.2.18 東二見車庫)
3054号。本来シンボルマークの上辺は客窓の上辺に合わせてあるのですが、この編成は側ドアの上辺に合わせてあり少々位置が高いため違和感がありました。「貼り間違えた」ものと思われます(笑)。(2006.8.15 東二見車庫)
新シンボルマーク化後の3054号。取付け位置が修正され、他の編成と同じになりました。
(2012.8.13 東二見車庫)

3000系の帯については、ひょっとしたら一冊本が書けるかも知れないくらい、いろいろと語りたいことがありますが・・・、今となっては思い出の1ページになってしまいました。

【1983年】旧シンボルマーク誕生

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明石~姫路間開業100周年を記念し、復活した旧シンボルマーク。ファンからは「太陽マーク」とも呼ばれ親しまれていましたが、このマークはいつ登場したのでしょうか?山陽電車所蔵の写真から当時を振り返ります。

3050形アルミカーに取り付けられたシンボルマーク。ニューアルミカーは、あまりにも自然な感じなのと、鋼製車がまだツートンカラーだったときから付いていたので、最初から付いているものと思われがちですが、必ずしもそうではありません。(2006.12.5 東二見車庫)

「山陽電気鉄道100年史」によると、このシンボルマークは山陽電車創立50周年(宇治川電気から分離して現在の山陽電車が成立したのは1933〈昭和8〉年)を記念し社員に対する公募により、1983(昭和58)年5月に制定されたと記載されています。3050形アルミカーは1981(昭和56)年から毎年1~2編成製造されています。少なくとも1981年製3068号と1982年製3070号にはシンボルマークが無かったことになります。

3050形アルミカーのうち無塗装で登場した2本目3070号。写真は新造当時の姿で1982(昭和57)年6月、西代の側線に搬入された直後に撮影されたと思われます。もちろん側面にシンボルマークはありません。
こちらが3本目、1983(昭和58)年6月に竣工した3072号。同時に4本目となる3100号も仲間入りしました。すでにシンボルマークが制定されていますが、この写真を見る限りまだ車両には付いていなかったことが分かります。
【3619号】ホワイトエンジェルの39年 | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)
でもご紹介しましたが、3619号も当初はシンボルマークが付いていませんでした。時期的にこの2編成がシンボルマーク無しで営業運行に就いていたかどうかは、ちょっと定かではありません。
1983年頃に撮影されたと思われる写真(写真提供:アルプス銀水さま)。シンボルマーク取付けにあたり、色や大きさを検討していたようです。紺色のものがあるのは、当時はまだ鋼製車がツートンカラーだったので、そちらのイメージなのだろうと思います。
山陽電車だけでなく、阪急電車の「H」マークや、神戸電鉄の「K」マークも実寸(?)で作り、参考としていたことが分かります。なかなか面白い写真ですね。(写真提供:アルプス銀水さま)

む~パパ、暑くて外で立ちんぼできず、まだ旧シンボルマーク車両を撮影できていません。もう少し涼しくなったら出掛けようと思います。

【みき歴史資料館】播磨の鉄道写真展開催中

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三木市の市立みき歴史資料館で「播磨の鉄道風景」と題した企画展が開催されています。
みき歴史資料館 企画展「播磨の鉄道風景~過ぎ去った時間を再現する~」 – 三木市ホームページ (miki.lg.jp)
「三木市在住の鉄道写真家、神澤誠一氏が高度経済成長期(昭和30年~同40年代)に撮影された播磨地域の鉄道写真をとおし、当時の鉄道風景や鉄道にまつわる体験談などを紹介します。(三木市ホームページより)」とあるように、まだ蒸気機関車が多数活躍していた播磨地方の鉄道写真が多く展示されています。あまり雑誌等で見たことのない貴重な写真のように思われます。

みき歴史資料館正面。三木城二の丸に建っています。外に出るのも危険な暑さの中、冷房の効いた施設はありがたいです。
二の丸遺跡の案内板。この地はのちに三木町立実科高等女学校(のち三木高等女学校を経て現在は三木高等学校。少し離れたところに移転しています。)が建っており、最近まで古い木造校舎が一部残っていましたが、現在は恐らく学校施設だったと思われる1棟(堀光美術館・別館)を残して取り壊されています。
国鉄三木駅の駅名標が出迎えてくれます。この写真展、規模は小さいものですが、高砂線の加古川橋梁では山陽電車の線路と並走する蒸気機関車の姿が捉えられており、なかなか見ごたえがありました。(著作権の問題と、実際に足を運んでいただくという観点から、写真自体は紹介しません。)
夏休みということもあって、鉄道模型の公開運転会が行われていました。ここは地元ということもあり、神戸電鉄や神戸市営地下鉄の車両と共に、山陽電車や阪神・阪急の車両も数多く展示されていました。
【おことわり】鉄道模型の展示・公開運転会は8/20で終了しています。

写真展の会期は9月24日㈰まで。入場無料。神戸電鉄粟生線三木上の丸駅から徒歩5分。近くには金物資料館や堀光美術館があります。

【山陽バス】発見!最後の前後扉車【いすゞKC-LV280L】

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ある日のむ~パパ、とある山中をドライブしていたところ、突然前方に・・・。

あれ?これは山陽バスではないでしょうか。もちろん山陽バスのカラーがいすゞキュービックバスのカタログカラーだということはよく知られた事実ですが、この車両の時代はすでにメーカー標準色自体が変わっていますので、わざわざ山陽バスと同じ色に塗る必然性がありません。つまり、これは元山陽バスだと考えるのが自然でしょう。正面の山陽社章が入る部分には純正の「ISUZU」プレートが付いています。自家用バスとして登録されていましたので、詳しい撮影場所は伏せておきます。
(撮影:2023.8.11)
後ろから。自家用のためナンバーは伏せておきます。屋根の通風器(ラインデリア)配置やマーカーランプはいかにも山陽バスらしい仕様。型式はいすゞKC-LV280Lです。1995年から2000年にかけて導入されましたが、写真のような前後扉車は1999年が最後となります。実は毎年仕様が変化したので、この写真が登場時の仕様を保っているのであれば、ある程度元の年式が推定可能です。
(撮影:2023.8.11)

そのポイントは後面に付く「乗降中」ランプ。これはオージ製ですね。

こちら、1999年式の1989号。「乗降中」表示灯は1998年式のワンステップバス(1885・1886・2813・2814・3844・3845)以降に投入された車両へ設置されました。当初はこの写真のような縦長で厚みのあるゴールドキング製?が採用されていました。(1999年 学園都市駅)

しかしこの表示灯、内部にものすごくホコリがたまるので、のち密閉式のオージ製に変更されます。ややこしい話なのですが1998年式観光マスクの1887・1888号に試験採用されたあと、1999年式のうち1993~1995号、山陽バス最後の前後扉車で本採用されました。今回発見した自家用バスはこの3両のうちいずれかと思われます。写真は1994号納車直後の貴重な姿。(1999年12月 垂水営業所)
山陽バス最後の前後扉車1994号納車直後の姿。当時は方向幕を装備していました。前後に方向幕が設置されているのは、当時名谷線に前乗り先払い路線があったためで、どちらの路線にも使用できるようになっていました。「入口」「出口」の表示もプレート式で、裏返すと入口と出口が入れ替わります。また、この3両から初めて側面に山陽電車のシンボルマーク(旧デザイン)が付きました。
(1999年12月 垂水営業所)

この後、方向幕はLED表示に変更されます。シンボルマーク変更後、1995号の姿。すでに入口は後ろに統一されていますが、「入口」「出口」表示はプレート式のままですね。いつの間にか広告枠が取り外されています。(2007.12.29 垂水営業所)

1993号。山陽バス発足後の姿。「入口」「出口」プレートが外され、ステッカーに変わっています。関西人には見慣れた前後扉のバス。山陽バスに投入されたのはこの3両が最後となりました。
(2011.6.19 学園都市駅)

今回発見した元山陽バスは、最後の前後扉車3両のうちの1両と思われます。山陽バスの車両は引退後第2の職場を求めて各地へ散っていますので、旅先で機会があれば会いに行きたいと思います。

【板宿】 鉄道模型ファンの聖地「日乃電」

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板宿の鉄道模型バー「日乃電」。商店街の再開発に伴い数年前に移転し現在の場所で繁盛中です。む~パパ、移転時にご紹介したいと思っていたのですが、ほどなくコロナ禍でアルコールが出せなくなり時機を逸してしまいました。世の中が元に戻りつつあるので、そろそろ書いても良いかな?と思います。お忘れになった方は以前の記事をどうぞ。
以前の記事はこちら → 2014.5.30 板宿商店街「佃煮屋さん」だと思ったら実は鉄道模型店!?
            2016.7.7 【板宿】商店街の鉄道模型バー「日乃電」

いつも活気にあふれる板宿商店街のアーケード。
「板宿きたいちば」の表示が目印。奥まで入って左に曲がると・・・。
電車の顔と懐かしいバイク「ラビット」がお出迎え。鉄道模型バー「日乃電」へようこそ!
入口が電車の正面貫通路になっています。ガラスの大きなこの電車は阪神881形を模したもの。実物はこの特徴ある貫通扉のデザインから「喫茶店」と呼ばれていました。
お店の中にはこの阪神電車がOゲージ(縮尺45分の1)で再現されています。851形と861形。小型車がたくさんつながって走っていた、かつて阪神電車で活躍した代表選手です。
店内はHOゲージの線路が敷かれ、持参した模型を走らせることが出来ます。取材したのは8月4日(阪神の日)で、阪神電車の模型ばかりを持ち寄り走らせる特別な日でした。手作りの阪神車両が大集合。
こちらは4月の「神鉄の日」神戸電鉄の自作車両が大集合しています。
こちらは3月4日「山陽の日」。山陽電車の模型が大集合!
「雷鳥」が混ざっていますが、それ以外は四国の気動車が集まった「四国の日」。
模型だけでなく貴重な鉄道関係の蔵書もあり、自由に閲覧することができます。酔わないうちに読みましょう。
阪神電車の前頭部に設置された本物のマスコンは神戸電鉄のものとか。
ど~んと実物の信号機。JRのものでしょうか。神戸電鉄の実物部品も多く展示されていますね。
カウンターにも鉄道部品が・・・。みなさん楽しく鉄道談義に花を咲かせています。

実はこのお店、日本全国の鉄道模型関係者に知られる存在で、いろいろと秘密の会合が開かれているそうですよ(笑)。もちろんお酒と模型を楽しめるお店ですので、板宿にお越しの際は是非お立ち寄りくださいね。