楽しいむ〜さん一家

【福知山】貴重な阪急2800系唯一の保存車を訪ねる

投稿日:


福知山から宮津へ抜ける国道176号線沿いにある喫茶店「ももの木」。その庭先に本物の阪急電車が鎮座しています。

保存用に敷かれたレール上に置かれた阪急電車。この2861号は京都線で特急車として活躍したロマンスカー2800系です。2800系は現在の阪急スタイルを確立した2000系シリーズのうち1964(昭和39)年に登場したもので、2扉の車体に転換クロスシートを配置、6300系登場まで京都線のエースとして活躍しました。

この2800系、6300系の登場後は順次3扉化・ロングシート化されましたが、極力特急時代の姿を残すよう配慮されたようで、中央扉を設置するにあたり2連窓を最大限残すため、その両側は戸袋窓としています。この写真では戸袋窓のブルーがよく分かります。(1990.5.17 阪急梅田)

ブルーの戸袋窓が今も残っています。現存する唯一の2800系と思われます。
阪急電車らしい端正な顔です。2861号は長らく中間車として使用され先頭に出る機会がなかったこともあり、列車無線アンテナが装備されていません。また、先頭に出なかったためか運行標識掛けが昔の京阪スタイルのまま残っており、登場時のスタイルを残すものとして貴重なものと思われます。
現役時代の2861号を含む編成。手前の2811号から少し見えている3両目が2861号です。
(1990年 十三)

【近代建築】垂水・福田橋を見る

投稿日:


山陽電車は神戸から姫路までの間に数多くの川を渡ります。垂水駅東側の橋梁で渡る福田川もその一つ。すぐ南側にJR線、さらに南には国道2号線を渡る「福田橋」があります。この福田橋、架橋は非常に古く1926(大正15)年とのことで、まもなく100年を迎えます。主要国道に架かる橋としては相当古い部類。む~パパ、橋を見に行くと同時に電車と絡めて撮れないかと思い、現地を訪れました。

歩道橋の上から見た福田橋の全景。石造りの2連アーチが美しい立派な橋です。この付近の国道2号は旧西国街道にあたります。1888(明治21)年に兵庫~明石間を開業した山陽鉄道(現JR)、1917(大正6)年には兵庫電気軌道(山陽電車)が通り、1926(大正15)年にはこの福田橋も完成して垂水の町は発展していきました。
あちこちが傷んでいますが、架橋当時の姿をかなり留めているものと思われます。
橋の四隅にある親柱。上部のレトロな灯具はガス灯をイメージしたものでしょうか。神戸らしいハイカラな感じです。
橋の中央部にある謎のオブジェ(?)。他の方のブログによると北木産の花崗岩だそうで、その方の引用されている資料がありましたので興味のある方はご一読ください。
神明国道福田橋架設工事の概要
南側から橋と電車を撮ろうと思ったのですが、山陽電車の橋梁が少し低くJRの電車しか写らないことが判明。川に降りればアーチの下から狙うことが出来そうですが、立ち入ってはいけない場所のようですのであきらめ、北側へ回ります。
5000系直通特急と福田橋を謎のオブジェが写るように合わせてみました。ちょっと中途半端な感じは否めません。こう見るとやはり川へ降りれば山陽電車が撮れそうではありますが・・・。
では、アーチ1組に絞って5000系直通特急と合わせてみました。
横位置で。鉄道側の橋脚がゴツすぎて、向こうのアーチ橋が霞んでしまいました。なかなかうまくいきません。今後とも要研究です。

その後、垂水の商店街を散歩していると、こんな写真が。昭和8年といいますから架橋から10年も経っていない頃です。親柱の灯具は今とは違う形ですし、根元から石製ではないような・・・。中央の謎のオブジェは今と形は変わっていないようです。周囲には高い建物がまだ建っていません。

【阪神間鉄道開業150周年】最初の機関車は今

投稿日:


日本で初めて鉄道が走ったのは1872(明治5)年10月14日(この日は現在「鉄道の日」となり全国の鉄道イベントが10月付近になる元になりました。)新橋~横浜間でした。鉄道は人を運ぶという目的が当然ありますが、当時重視されたのは貨物の運搬そして軍隊の輸送であり、首都東京と国際貿易港横浜をつなぐ鉄道を最初に敷くのは当然と言えるでしょう。すると第2番目は?となりますが、これも商都大阪と国際貿易港神戸を結ぶ鉄道であり、こちらは1874(明治6)年5月11日で、数日後に開業150周年を迎えます。昨年の山陽電車明石~姫路開業100周年に続き、兵庫県の鉄道にとってのメモリアルイヤーが続きます。

さて、「楽しいむ~さん一家」では4年前、実際に大阪~神戸間を150年前に走った機関車を取材しています。
【加悦SL広場】阪神間を初めて走った蒸機機関車が残る
この機関車、2020年の「加悦SL広場」閉園後どうなっているのかなと思っていたのですが、旧加悦駅に設けられた加悦鉄道資料館に移動しているとのことで、ちょっと見に行ってきました。

加悦鉄道資料館(京都府与謝郡与謝野町)。旧加悦鉄道加悦駅で、1985年廃止。かつて広い駅構内には多くの保存車両がありました。
加悦SL広場から移ってきた「2号」機関車。立派な屋根も設けられ、以前と変わらず大切に保存されています。
Wikipediaによると、この機関車は1873年にイギリスで4両が製造され翌年に日本へ来たそうで、神戸に配属されました。いろいろと遍歴はあるようですが国鉄としては最終的に120形(120~123)になり、明治末期から大正初期にはお役御免となって地方へ売却されていったそうです。仲間3両は戦前のうちにスクラップになったり消息不明となっており、この1両は幸運にもよくぞ生き残っていたものだと思います。
当時は側面と後ろ面の鉄板は無く屋根だけだったそうです。いくらボイラーが熱いとは言え、冬は寒かったでしょうね。石炭や水が機関車本体にある「タンク機関車」ですが、同時に輸入された機関車にはこれらを別に「炭水車」として連結した「テンダー機関車」もおり、む~パパ、あまり詳しくないので何とも言えないのですが本線で主力として活躍したのはテンダー機関車ではないか?タンク機関車は入換えや軽い列車を牽いていたのではないか、とは思いますが、鉄道黎明期のことゆえその道に詳しい方に解説はお譲りします。

大阪~神戸間の開業後、今度は京都へ向けて鉄道は敷かれていきます。その時イギリスから輸入された鉄橋が山陽電車でも使われていました。これも以前ご紹介しました。
【東二見】保存された鉄橋を訪ねる(その1)

また、阪神間鉄道開業150周年を記念して各種イベントが開催されます。鉄道が生まれた明治初期に思いをはせてみませんか。
神戸大阪鉄道150周年特設サイト(JR西日本グループ)