楽しいむ〜さん一家

トミカを塗り替えて山陽タクシーを作る(中編)

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一気に後編としたかったのですが、手戻りがあったので少し時間がかかっています。毎日作業をしているわけではないのでお許しを・・・。
前編はこちら → トミカを塗り替えて山陽タクシーを作る(前編)

セオリーとして明るい色から塗ります。ドンピシャの色を探しても良いのですが、今回は手持ちの「小田急アイボリー」と呼ばれる市販の鉄道模型用塗料を使用しました。エアブラシによる吹き付け作業です。
上半分をマスキングして下半分の紺色を塗ります。今回は近鉄特急(旧塗装)の窓回りに使われるブルーを使ってみました。実物よりやや鮮やかな感じですが、ミニカーには良いと思われます。
マスキングテープをはがすと、ツートンの車体が現れました。これぞ山陽タクシー!ですね。
完成品のトミカを参考に色差しをします。ドアやボンネットにはガンダムマーカーが活躍します。
ここでちょっとアクセント。「山陽 TAXI」のロゴを実車と同じレタリングを写真その他からトレースして作成し、データ化して特注デカールを作っていただきました。これがあるのと無いのでは相当仕上がりに違いが出ます。
後ろもロゴや車名などをこちらはタトゥーシールで作成しました。ただ、エンブレムを立体的に見えるように表現するのは小さすぎて難しいので、単色で描くほうがきれいなのではないかと思います。

と、ここまで来たのは良いのですが、どうもサーフェイサーだけでは下地処理が十分でなかったようで、作業中にあちこち塗装が下地ごとはがれる事象が相次いだため、一旦作業を中断し塗装を全部はがして最初からやり直すこととしました。次回はここまでやり直してから続きを書こうと思います。もうしばらくお待ちください。

【山陽タクシー】意外に貴重な”私鉄系タクシー”伝統カラー

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最近、かつて派手なカラーリングが魅力だった東京のタクシーが黒や濃紺になっていくのを残念に思っているむ~パパではありますが、よく考えると山陽タクシーのような「私鉄系伝統カラー」をまとったタクシーって意外に少ないのでは?とふと思い、今まで撮りためたタクシーの写真を掘り返してみました。

まずはわれらが山陽タクシー。白+青の伝統色は40系クラウンではすでに確認されていますので、50年以上はこの塗装であろうと思われます。由来は不明ですが電車の旧塗装をイメージしたものでしょう。車種はトヨタ・クラウンコンフォートデラックス TSS10型(2012.5.26 明石駅)
続いては阪神電鉄系の阪神タクシー。青緑と青灰色のツートンカラーはこちらも伝統色ですが、同社ホームページによると一色塗りだった時代もあるようです。今のようなツートンカラーになった時期は不明ですが、50年くらいはこの色であったと思われます。電車ともバスとも違う独特な色使いですが、マニア的にはこれぞ阪神タクシーという感じではあります。車種はトヨタ・クラウンコンフォートスタンダード TSS10型(2023.12.17 武庫川駅)
こちらは神戸電鉄系の神鉄交通。山陽タクシーとは青と白の塗り分けが反対ですが、青は鈍い感じの青緑色です。増備の進むJPN TAXIは黒色で、このツートンカラーは数台を残すのみとみられています。車種はトヨタ・クラウンコンフォートスタンダード YXS10型(2011.10.2 鈴蘭台)
神鉄交通のトヨタ・JPN TAXI和(なごみ) NTP10型。今のところツートンカラー車は確認されていません。(2022.1.9 鈴蘭台駅)
阪急電鉄系の阪急タクシー。かつては上半分が黒、下半分がオレンジの奇抜な色彩でしたが、黒一色になって久しく、ひらがなで書かれた所属営業所が阪急らしさを醸し出しています。トヨタ・JPN TAXI和 NTP10型(2022.2.6 中山駅)

近鉄系の近鉄タクシー。小型車枠の車両はブルーですが中型車枠は黒で、このブルーが伝統色と言えるかどうかは微妙なところです。トヨタ・コンフォートTSS11型(2012.4.29 奈良・若草山付近)
私鉄系タクシー伝統色の牙城と言えば名鉄系の名鉄タクシー。鉄道やバスは赤がイメージカラーですが、タクシーはなぜか緑色。菱形の行灯とともに長く続いています。トヨタ・クラウンコンフォートスタンダードYXS10型(2012.9.15 近鉄四日市駅)
名鉄タクシーの場合、JPN TAXIでも伝統色を貫いており、山陽タクシー同様強いこだわりを感じます。トヨタ・JPN TAXI匠(たくみ)NTP10型(2023.3.7 名鉄名古屋駅)
阪神タクシーのツートンカラーと色違いと言える西鉄系の西鉄タクシー。同社系列のトラックと同じ色使いです。トヨタ・コンフォートTSS11型(2017.3.9 姪浜駅)
最近トミカも発売された小田急電鉄系の小田急交通。かつてのロマンスカーと同じ灰色とオレンジのツートンカラー。電車に合わせたカラー採用は珍しいですが、これもかなり前からの伝統色です。(2019.8.31 渋谷駅)
京王電鉄系の京王自動車。京王電鉄・バスと同じカラーリングで活躍しています。かつてはオレンジと黄色のツートンカラーでしたが、CI導入を機に現在のものへ変わっています。そう言う意味では伝統色とは言えませんね。トヨタ・クラウンコンフォートTSS10型(2018.8.14 東京都内)
京浜急行電鉄系の京急交通。こちらも電車と同じ赤に白帯です。背景は旧京急本社。日産セドリックY31型カスタム(2018.8.14 泉岳寺)
地方にも私鉄系伝統色をまとうタクシーが。島根・一畑電鉄系の一畑タクシーグループ(双葉タクシー)。こちらは白と赤のツートンカラーが長く続いています。日産セドリックY31型オリジナル(2015.3.14 松江駅)
福井・京福タクシー。鉄道・バスと同じ白にあずき色の帯を巻いています。いかにも私鉄系らしいカラーリングです。(2012.6.2 福井駅)

こう見ると私鉄系伝統カラーは意外に少ないことが分かります。む~パパとて全国くまなく行脚したわけではないので、ここには紹介し切れていない私鉄系伝統カラーがまだまだあるかも知れません。情報がありましたらお寄せください。

トミカを塗り替えて山陽タクシーを作る(前編)

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今回は子供たちに人気の「トミカ」を塗り替えて山陽タクシーを作ってみようと思います。トミカの塗り替えについては他のホームページやブログ等も参考にしています。模型を取り扱う方にとっては手元にあるであろう道具や溶剤等を使用していますが、改造される場合はあくまで個人の責任でお願いします。

山陽バスとともに垂水の交通を担う山陽タクシー。主力はトヨタのタクシー専用車クラウンコンフォートで、姉妹車のクラウンセダンと合わせ全車統一された時期もありましたが、急速に置換えが進み、現在は全体の約7割にまで数を減らしています。今後ますます減っていくと思われますが、山陽タクシーらしいツートンカラーはJPN TAXIに受け継がれ今も健在です。
さてこのクラウンコンフォートですが、トミカNo.51として発売されています。通常品は黒一色。少しずんぐりしたスタイルと前のウインカー部分がオレンジ色ベタ塗りなので、弟分のコンフォートのような感じがします。ほこりがいっぱいくっついていて申し訳ありません・・・。
こちらがトヨタ・コンフォート。元々は小型車枠であるマークⅡやコロナの後継として登場しました。クラウンの後継であるクラウンコンフォートと同型ですが、全長が短いほか、フロントグリルに王冠マークが無いなど細部デザインに違いがあります。(写真:秋田市内)
ちなみにトミカのクラウンコンフォートには、通常品をベースにしたトミカリミテッド「タクシーコレクション」という製品があり、東京のタクシー4種が2009年に発売されましたが、1度発売されただけで後が続きませんでした。現在は入手困難と思われます。通常品より細かい塗分けや色差しがなされており綺麗な仕上がりなので、今回これを目指すことにしましょう。
少々脱線しますが、トヨタクラウンコンフォートのトミカとしては、大人向けの「トミカリミテッドヴィンテージネオ」シリーズにもラインアップされています。完成度は申し分なく、こちらを塗り替えたいところですが、なにせ普通のトミカが10台買えそうな値段なので、手を付ける勇気はありません。
さてさて。塗り替えのためにまずトミカを分解します。床下と車体は2か所で固定されており、ここをドリルで削って外します。同じように行灯とヘッドライト部分も裏側を削って外してしまいます。後ろのドアは左側だけ開閉式ですが、バネはシートを表現するプラスチックのパーツに付いていました。
ここで本当は鉄道模型なんかで塗装をはがす定番のIPA(イソプロピルアルコール=自動車用水抜き剤として入手可能)に浸け込んでいたのですが、トミカの強靭な塗装をはがすことが出来ず、結局写真のツールクリーナーを塗ってぼろ布でこするという古典的手法によりはがすことが出来ました。
だいたい塗装がはがれた状態。溝部分に入り込んだ塗料はカッターナイフなどを使って削り取ります。作業が終わったら中性洗剤でよく洗って乾かします。

塗装の前に、下地塗料のサーフェイサーを吹き付けます。ペーパー掛けして何度か吹きたいところですが、車体の細かい彫刻が消えてしまいそうなので、今回はボンネットやトランク、屋根部分だけ細かい耐水ペーパーで平滑にして軽く2回目を吹いているだけです。

以下、続きます。

今年もたくさんのみなさまに「楽しいむ~さん一家」を訪れていただき、まことにありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

【山陽バス】いすゞ旧型車の写真を発掘

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む~パパ、以前に古い山陽バスのネガを入手していまして、これをデジタル化したいと思っていたのですが、このほど少し道筋が付いたこともあり写真を一部公開します。
※これらの写真は山陽電気鉄道ではなく個人蔵です。商用利用はご遠慮ください。

山陽電鉄時代。清水が丘にあった垂水営業所。現在の山陽バス本社。建物は現在も変わっていませんが、H車庫と呼ばれる部分は社員の自家用車?が置かれているようです。1973(昭和48)~1975(昭和50)年頃ではないかと思われます。
山陽電鉄バス6607号車。いすゞBR20型。車体は川崎航空機(のち川重車体。現在のジェイ・バス)製。1966(昭和41)年式。車掌乗務を前提とした中扉のみの車両です。当時の経年から考えると廃車直前と思われます。当時の山陽バスには同寸法で下位モデルのBA30もいました。
6607と同型の6608号車。当時、バスのナンバーは割り当て制で現在のような登録順ではありませんでした。山陽電鉄は乗合車が6600番台、貸切車が6800番台となっていたようです。川崎のバスのお尻と言えば、む~パパ世代はテールランプがもう少し上で左右に寄ったものをイメージしますが、この頃はボンネットバス譲りのやや中央に寄ったものだったことが分かります。
ネガ順から見て6607号の車内と思われます。前扉が無いので左側最前部の座席が2人掛けになっているのが分かります。中扉付近には車掌台がありマイクや運賃箱、扉開閉スイッチが装備されています。
6607号と思われる図面。これによると右側最前部、左側の前2列が2人掛け座席となっており、写真とは違っています。後年改造されたのでしょうか?謎は深まります。
6613号車。同じくいすゞBR20ですが、こちらは前扉が付いたワンマンにも使える仕様となっています。
同じような年式のはずですが、左テールランプの脇に何かのフタがあったりして、微妙な変化が見られます。「文明堂のカステラ」広告は一時期全車に付いていたそうで、山陽バス必須アイテムの一つと言えるでしょう。
6613号車の車内。先頭部は1人掛けの座席になっています。前部に運賃箱が無いので、ワンマンカーとして使っていたわけではないようです。
6613号と思われる図面。前半部の座席は全て1人掛けで、写真とも合致しているようです。

謎に満ちた山陽バスの世界。少しずつ解き明かしていきましょう。

【9月20日はバスの日】山陽バス至宝の存在だった4406号【キュービックなのに旧車体】

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9月20日は「バスの日」。何か面白い題材はないものかと資料を漁っていましたが、見つけました!かつてこんな大変珍しい車両が山陽バスにいました。

その名は4406号。まだ車掌乗務だった1系統で使用されていた車両です。当時の1系統は現在のような中型車ではなく、大型ショート車(車体断面は大型車と同じですが、中型車と同じ長さのバス)が投入されていました。この4406号、型式はいすゞP-LT312J(川崎車体 1984年式)。詳しい方でしたらよくご存知ですが、下回りはキュービックなんだけれども、旧型のモノコックボディを載せた極めて珍しい車両だったのです。(1996年 垂水営業所) 
こちらが本来のいすゞP-LT312J(全但バス)。山陽バス4406号と同型式ですがキュービック車体のため、とても同じには見えません。ちなみに山陽バスの大型ショート車ではP-車(昭和58年排ガス規制車)は4406号1両のみだったため、ご参考までに全但バスにご登場願いました。関西ではこのクラスの車両は全但バスのほか、奈良交通にも多く見られました。(2007.5.20 八鹿駅前)
正面から見ると大型車と区別は付かず、1996年当時在籍していたCQAやCJAと同じ顔をしています。ちなみに4406号、登場時は白と緑に窓回りがクリームの旧塗装をまとっていました。(1996年 垂水営業所)
4406号の後ろ姿。大型ショート車でこのクラスと言えば、本来ECMやEDMといった型式になりますが、その場合はこの角度から見て最後尾の側窓下に通気口(網)が付いていまして(上写真:自家用車廃車体)、4406号はこの網がない!というのが、キュービックバスのシャーシを使っている「証」だったりします。こういうことばかり言っているのが「バスマニア」なんですよ~。コワいですね~。
狭い道をくねくね走っていた当時の山陽バスは、中型バスではとても多くのお客さまをさばききれなかったようで、大昔から伝統的に大型ショート車を導入していました。この写真は当時の垂水駅東側高架下で転回していた頃の山陽バス1系統4208号。いすゞU-LT332J(1992年式)で、U-車(平成元年排ガス規制車)となり車体もキュービックになっていますが、1系統専用の大型ショート車です。(1996年 垂水駅)

ちなみに4406号のようなキュービックの下回りを持つ旧車体の車両は、西日本では山陽バスにいた1両だけで、東日本では京浜急行電鉄にそこそこ在籍していましたが、自家用を入れても全国で50~60台程度しか存在していなかったのではないかと言われています。今ほどバスマニアが存在していなかった当時でも、非常に珍しいので譲ってほしいという申し出があったくらいで、現在だと多くのファンが撮影に来ていたのではないかと思われる車両でした。1997年のワンマン化までには姿を消しています。その後は残念ながらスクラップになったそうです・・・。

【3072号】復活!ホワイトエンジェル(その1)

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かねてより内装を中心とするリニューアル工事を受けていた3072号がこのほど完成し、試運転を経て先月末より営業運転を開始しています。久しぶりの大きな話題にむ~パパ、早速取材してきました。

3050形アルミカーとしては初めてリニューアル工事を受けた3072号。今回目を引くのは車体が白く塗装されたこと。溶接痕などアルミカー特有の汚れが目立つようになってきたためでしょう。磨き出しても元に戻るわけではないので、塗るほうがきれいに仕上がると判断されたようです。ただ、クリーム色の鋼製車と同じ色ではあまりにも芸がないと考えられたのか、やはり日本のアルミカーではパイオニアである山陽電車、かつてアルミカーに合わせた塗装で名をはせた3619号「ホワイトエンジェル」と同じ色(いわゆる灰色9号)に塗装されました。実にカッコ良いです!
(2023.9.2 須磨浦公園~山陽塩屋)

加古川橋梁で1両ずつサイドビューを狙ってみました。

3641(4号車)
3541(3号車)
3073(2号車)
3072(1号車)

各車とも屋根に付いていたベンチレータ(通風器)が外されています。ドアは全て新品に交換されていますが、ステンレス製で未塗装のため元のイメージを保っています。側窓もユニットサッシごと交換されています。従来のリニューアル車同様、車端部は1枚ガラスの固定窓となりました。ドア間は上段下降・下段固定とされていますが、鋼製車のように黒く塗装されていないため、こちらも元のイメージのまま。写真で見ると上段より下段が広くなったのが分かる程度です。床下機器には変化は見られません。
(2023.9.2 尾上の松~高砂)
3633号。現在鋼製車は3638号以外リフレッシュ工事を受けていますが、黒いサッシ窓や中央にレールのある側扉など、今回とは仕様が異なることが分かります。
(2023.9.2 尾上の松~高砂)
リニューアル工事前の姿を最初の写真と同じ「スマシオ」で。登場時は1号車3072号の補助電源装置がMGでしたが、写真はすでに140kVaのSIV(静止型インバータ)に交換された後のものです。
(2018.1.13 須磨浦公園~山陽塩屋)
少し資料を探してみたところ、MGを搭載していた頃の写真も発見しました。旧シンボルマークが付いていますね。ちなみに3072号は1983(昭和58)年、3100号と同時に製造されたもので、登場して数か月間はシンボルマークが付いていませんでした。(2007.2.6 東二見車庫)

それでは次回、車内を見てみることにします。

【山陽バス】発見!最後の前後扉車【いすゞKC-LV280L】

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ある日のむ~パパ、とある山中をドライブしていたところ、突然前方に・・・。

あれ?これは山陽バスではないでしょうか。もちろん山陽バスのカラーがいすゞキュービックバスのカタログカラーだということはよく知られた事実ですが、この車両の時代はすでにメーカー標準色自体が変わっていますので、わざわざ山陽バスと同じ色に塗る必然性がありません。つまり、これは元山陽バスだと考えるのが自然でしょう。正面の山陽社章が入る部分には純正の「ISUZU」プレートが付いています。自家用バスとして登録されていましたので、詳しい撮影場所は伏せておきます。
(撮影:2023.8.11)
後ろから。自家用のためナンバーは伏せておきます。屋根の通風器(ラインデリア)配置やマーカーランプはいかにも山陽バスらしい仕様。型式はいすゞKC-LV280Lです。1995年から2000年にかけて導入されましたが、写真のような前後扉車は1999年が最後となります。実は毎年仕様が変化したので、この写真が登場時の仕様を保っているのであれば、ある程度元の年式が推定可能です。
(撮影:2023.8.11)

そのポイントは後面に付く「乗降中」ランプ。これはオージ製ですね。

こちら、1999年式の1989号。「乗降中」表示灯は1998年式のワンステップバス(1885・1886・2813・2814・3844・3845)以降に投入された車両へ設置されました。当初はこの写真のような縦長で厚みのあるゴールドキング製?が採用されていました。(1999年 学園都市駅)

しかしこの表示灯、内部にものすごくホコリがたまるので、のち密閉式のオージ製に変更されます。ややこしい話なのですが1998年式観光マスクの1887・1888号に試験採用されたあと、1999年式のうち1993~1995号、山陽バス最後の前後扉車で本採用されました。今回発見した自家用バスはこの3両のうちいずれかと思われます。写真は1994号納車直後の貴重な姿。(1999年12月 垂水営業所)
山陽バス最後の前後扉車1994号納車直後の姿。当時は方向幕を装備していました。前後に方向幕が設置されているのは、当時名谷線に前乗り先払い路線があったためで、どちらの路線にも使用できるようになっていました。「入口」「出口」の表示もプレート式で、裏返すと入口と出口が入れ替わります。また、この3両から初めて側面に山陽電車のシンボルマーク(旧デザイン)が付きました。
(1999年12月 垂水営業所)

この後、方向幕はLED表示に変更されます。シンボルマーク変更後、1995号の姿。すでに入口は後ろに統一されていますが、「入口」「出口」表示はプレート式のままですね。いつの間にか広告枠が取り外されています。(2007.12.29 垂水営業所)

1993号。山陽バス発足後の姿。「入口」「出口」プレートが外され、ステッカーに変わっています。関西人には見慣れた前後扉のバス。山陽バスに投入されたのはこの3両が最後となりました。
(2011.6.19 学園都市駅)

今回発見した元山陽バスは、最後の前後扉車3両のうちの1両と思われます。山陽バスの車両は引退後第2の職場を求めて各地へ散っていますので、旅先で機会があれば会いに行きたいと思います。

【山陽バス】高架下にあった垂水駅ターミナル(その2)

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垂水駅高架下にあったバスターミナル。好評だったので続編として内部風景をご紹介します。懐かしいと思われる方も多いことでしょう。撮影は新ターミナル移転直前の2002(平成14)年1月です。
(その1はこちら

バスのりば側からの写真。2系統清水が丘行きにお客さまが乗車中。タクシーはその外側に並んでいます。
バス着車位置ごとにのりばが設定されていました。1系統が先頭で最も西寄りにあり、2・3系統が2番目、4・5系統が3番目でした。順番にベンチに座って並ぶようになっていましたが、この写真の少し前まで仕切らた柵に沿って並ぶようになっており、ベンチはありませんでした。
2・3系統のりば部分にあった案内所。回数券自動販売機が設置されており係員もいました。
乗車扱い中の3系統ゴルフ場行き。1997年のワンマン化前は車掌が乗務しており、都市部の車掌乗務は珍しいということで話題になっていました。写真の3847号はワンマン化後に投入された前中扉車です。
4・5系統のりば。柵に立ったまま並んでいた時代が長かったのですが、ベンチが同じ配置で並んでいます。すでに「お知らせ」としてターミナルの場所が変更される旨の立看板が設置されています。
壁に埋め込まれた電照式の案内板。5系統はかなり後から追加されたため、上から貼るステッカーで対応しています。
垂水駅のバスのりばで多くの方が思い出されるのが「山陽そば」。1系統のりばの後ろにありました。お出汁の匂いに引き寄せられ、バス待ちの間にちょっと一杯、食べられた方は多いのではないでしょうか。お隣はケンタッキーがお店を出していました。夜行の高速バスも発着しており、東京(立川)の表記も見えますね。左側の白い空間はすでに廃止となっていた熊本行きの表記を消した跡です。

懐かしい高架下のバスのりば。遠い記憶のかなたになってしまいましたが、まだまだ覚えられている方も多いのではないかと思います。

【山陽バス】高架下にあった垂水駅ターミナル(その1)

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山陽バスといえば、山陽電車垂水駅の高架下から出発していくイメージが強かったむ~パパ。先日世間話をしていて、周囲は「そんなん知らん」という人間が大多数だという事実を知らされ大きなショックを受けています。思えば今の垂水駅西口ターミナル開設が2002(平成14年)2月だといいますから、21年も前のお話。知らない人がいても不思議ではありません。いや~、そんなものなのですね~。

現在の垂水駅北側。タクシーが並ぶおなじみの風景ですが、写真の奥、すこし高架下に凹んだ部分があるのがお分かりでしょうか。現在はタクシーが2列に並んでいる場所ですが、ここに垂水駅バスターミナルがありました。
2002(平成14)年1月。現在地に移設直前の山陽バス垂水駅ターミナル。現在と比較すると山陽電車のホームにエレベーターが設置されたり東口(当時はありませんでした。)が開設されたりした関係で、元のターミナルが一部埋められているのが分かります。当時は前から3つのりばがあり、先頭から1系統、2・3系統、4・5系統となっていました。
垂水駅へ到着した4系統のバス。路面表記でも分かりますが、道路上で停車しお客さまを歩道へ降ろしていました。現在でも道路が狭く感じますが、写真のようにバスが停車すると片側通行となってしまいます。
このターミナルは1967(昭和42)年、山陽垂水駅(当時は電鉄垂水駅)の高架化で「たるせん」と共に誕生しました。写真は開業当時のもの。停車するのはいすゞBX型ボンネットバス。霞ヶ丘へ回るのは歴史ある伝統の路線です。(写真提供:山陽電気鉄道OB)
高架下のターミナルには案内所のほか、「山陽そば」も店を構えていました。
センターラインを越えのりばへ向かう1系統のバス。1997年のワンマン化までは霞ヶ丘へ回る1系統は車体幅の広い「大型ショート」と呼ばれる車両を使用していましたが、ワンマン化以降は中型車を使用しています。
バスターミナルを東側から。2または3系統のバスと4系統のバスが停車しています。山陽タクシーは今もおなじみのツートンカラー。白いタクシーは今は無き垂水タクシーの車両です。懐かしいキュービックバスが多数活躍していますね。タクシーも現在と外観は同じクラウン・コンフォートですが、写真の頃は3Yエンジン搭載のYXS10型で、現在のTSS10型より非力でした。
現在の山陽バスターミナル跡。バスやタクシーに一般車が入り乱れるカオスの様相を呈していた垂水駅ですが、現在は少し寂しい空間になっています。

思えばバス・タクシーとも当時の車両は全て入れ替わり、時代が変わったことを実感します。

【山陽タクシー】EV(電気自動車)タクシーが登場!

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山陽タクシーにEV(電気自動車)タクシー「日産リーフ」が登場し話題となっていますが、このほど最終完成形となったこともありホームページでも公表されました。
EV(電気自動車)タクシーの運行を開始しました。 | 山陽タクシー (sanyo-taxi.jp)

今回山陽タクシーに登場したEV「日産リーフ」。ひとまず白い車体に大きなステッカーを貼り付け営業運行に投入されました。が、実はこれは仮の姿であり・・・。(2023.6.10 垂水駅東口)

本当の姿に「変身」したのです。その作業を取材しましたのでご紹介しましょう。(協力:山陽タクシー)

まずは大きなステッカーをはがします。
ボンネットの位置決め。奥端までつなげないのは「フラッグ感」を出すためだそうです。
熟練の職人さんにより、青帯が一気に貼り付けられます。圧巻の技術に感動です。
青帯の下に「GO」広告が入りました。広告上にブルー帯を入れ山陽らしさを演出しています。ツートンカラーにならなかったのは、このためだったのですね。
完成した1795号車。オレンジの濃淡(サンライズマークと言うそうです)は、山陽電車6000系のドア横にあしらわれているデザインと全く同一です。なかなかカッコ良い仕上がりだと思いませんか?