楽しいむ〜さん一家

【書写山圓教寺】釈迦三尊像と四天王像を一挙公開(9/30まで)

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摩尼殿で如意輪観音を拝観したら、さらに奥へ進んでいきます。すると突然視界が開け、広場を取り囲むように巨大な建築物が現れます。

映画や大河ドラマ撮影でも使われ「西の比叡山」こと圓教寺の寺格を今に伝える威容を誇るのは、北側の大講堂、南側の常行三昧堂(常行堂)、それをつなぐ形で立つ食堂(じきどう)。合わせて三之堂(みつのどう)と呼ばれます。
大講堂には釈迦三尊像が安置されているのですが、実は元々その周囲には四天王像が配置されていました。これが言わば釈迦三尊のフルセット。三之堂は落雷と火災で2度失われ、現存するのは室町時代の建物ですが、この像はいずれも圓教寺草創期897年の作だそうです。四天王像は1933(昭和8)年に摩尼殿再建に合わせてそちらへ移されていたのですが、90年ぶりに元の位置に戻り公開されました。
手前が持国天、奥が多聞天。左は釈迦三尊の左脇侍、文殊菩薩。

四天王とは持国天・増長天・広目天・多聞天で、順に東・南・西・北を守護する神様です。仏様ではなくて神様なのは、元々インド古来の神様が仏教に取り入れられたものだからです。これらの像は一般的には「仏像」に含まれますが、天の住人ということで「天部」、その像は「天部像」というのが正しい言い方でしょう。

増長天
広目天
本尊となる釈迦三尊像は中央の釈迦如来、脇侍として右側の文殊菩薩、左側の普賢菩薩を配した一般的な形式となっています。(脇侍とされる仏像についてはいくつかのバリエーションがあるようです。)
今回も撮影自由。こう言われてしまうと信仰というかお祈りの対象というより、美術品のような感覚になるのも事実で、いろんな角度で撮影を楽しんでしまいました。
こちらも兵庫デスティネーションキャンペーンの一環としてのイベントで、9月30日までの期間限定で特別ご朱印を授与しています。こちらでもいただいてしまいました。
使っていた石上神宮の朱印帳がそろそろ満杯になりそうだったので、ついでに買ってしまいました。表紙に摩尼殿が描かれています。長田神社の禰宜さまと朱印帳のお話になって、次は長田さんで買うかなと思っていたのですが、ちょっと間に合わなさそうだったので・・・。次のは買います。すみません。
さて、いつもはロープウェイ山頂駅から徒歩で参拝しているのですが、この日はバス(有料)に乗ってしまいました。いや、これが結構なアップダウンを繰り返すアクロバティックな山道でして、乗る価値あり。4輪駆動の三菱ローザでしたが、もう1台日産シビリアンもいました。

【書写山圓教寺】奥秘仏如意輪観音御開帳(9/30まで)

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「秘仏」日頃は公開されない仏像。書写山圓教寺で2006年に厨子の中から発見され、9月30日までの期間限定で開帳されている摩尼殿(まにでん)の「如意輪観音像」を拝観してきました。このイベントは山陽電車も参加している「兵庫デスティネーションキャンペーン」の一環です。

姫路駅から書写山ロープウェイのりばまでは神姫バス。今話題の燃料電池バス、トヨタ「SORA」も投入されています。
ロープウェイで山頂へ。現在の搬器は2018年大阪車両製です。
西国三十三か所第27番札所でもある圓教寺。規模の大きな建物が多いですが、まず最初に目に入るのがこの摩尼殿です。大正時代に焼失したため現在の建物は1933(昭和8)年に再建されたもので、崖を利用して見上げるような建て方になっています。位置付けとしては本堂となります。
紅葉の季節には非常に多くの参拝者があふれますが、酷暑のためか参拝者は少なくゆったりと回れます。観光で来られた外国人の姿を多く見かけました。
さて、今回のミッションはこれ。秘仏如意輪観音の御開帳。前回が2006年といいますから17年も前のことになります。む~パパ、書写山には何度か来ていますが、ご尊顔を拝見するのはこれが初めて。
いよいよ内陣へ。天井の美しい彩色に心を奪われます。今回は内陣も本尊も自由に撮影OKです。
秘仏「如意輪観音像」。開祖性空上人が彫った本尊は室町時代に焼失しましたが、これは当時の本尊と同じ木で彫られたものだそうで、鎌倉時代に作られたようです。厨子に納められているのが2006年に発見され、今回の開帳はそれ以来となります。以後公開されるかどうかは未定とのこと。ひょっとしたらもう一生見ることはないかも知れません。穏やかで端正なお顔が魅力的ですね。
実物は厨子に納められていたことからお分かりのように、小さな像です。長い間誰にも知らずに収められていたためか彩色もよく残っており、非常に保存状態が良いです。
奥秘仏御開帳の特別御朱印。もちろんいただきました~。

朝夕は少し涼しくなりました。御開帳は9月30日までで、次回はいつになるか分かりませんので、この機会にぜひご参拝を。ちなみに摩尼殿のご本尊である如意輪観音像も、本来は毎年1月18日のみ御開帳の秘仏なのですが、この期間は毎日近くで拝観することが出来ます。

【みき歴史資料館】播磨の鉄道写真展開催中

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三木市の市立みき歴史資料館で「播磨の鉄道風景」と題した企画展が開催されています。
みき歴史資料館 企画展「播磨の鉄道風景~過ぎ去った時間を再現する~」 – 三木市ホームページ (miki.lg.jp)
「三木市在住の鉄道写真家、神澤誠一氏が高度経済成長期(昭和30年~同40年代)に撮影された播磨地域の鉄道写真をとおし、当時の鉄道風景や鉄道にまつわる体験談などを紹介します。(三木市ホームページより)」とあるように、まだ蒸気機関車が多数活躍していた播磨地方の鉄道写真が多く展示されています。あまり雑誌等で見たことのない貴重な写真のように思われます。

みき歴史資料館正面。三木城二の丸に建っています。外に出るのも危険な暑さの中、冷房の効いた施設はありがたいです。
二の丸遺跡の案内板。この地はのちに三木町立実科高等女学校(のち三木高等女学校を経て現在は三木高等学校。少し離れたところに移転しています。)が建っており、最近まで古い木造校舎が一部残っていましたが、現在は恐らく学校施設だったと思われる1棟(堀光美術館・別館)を残して取り壊されています。
国鉄三木駅の駅名標が出迎えてくれます。この写真展、規模は小さいものですが、高砂線の加古川橋梁では山陽電車の線路と並走する蒸気機関車の姿が捉えられており、なかなか見ごたえがありました。(著作権の問題と、実際に足を運んでいただくという観点から、写真自体は紹介しません。)
夏休みということもあって、鉄道模型の公開運転会が行われていました。ここは地元ということもあり、神戸電鉄や神戸市営地下鉄の車両と共に、山陽電車や阪神・阪急の車両も数多く展示されていました。
【おことわり】鉄道模型の展示・公開運転会は8/20で終了しています。

写真展の会期は9月24日㈰まで。入場無料。神戸電鉄粟生線三木上の丸駅から徒歩5分。近くには金物資料館や堀光美術館があります。

【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その4)

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その3から続きます。ようやく終点有馬駅へ向かいます。

途中、線路の跡は病院にさえぎられますが、その後は比較的分かりやすい道のりとなります。徐々に高度も上がります。写真手前が有馬方、病院は三田方です。
廃線跡は住宅地を抜け、さらにまっすぐ進みますが阪神高速北神戸線と交差する付近で少し途切れます。
この先の廃線跡は山の中ということもあり、しっかり残っていたのですが、その路盤は2013年に開通した有馬山口線バイパスに利用され、道路になりました。写真で阪急バスが向かう先にある橋は有馬線の十八丁川橋梁が架かっていたところで、石積みの橋脚が残っていたのですが現在は撤去されています。一般道ですが自動車専用。歩くのは非常に危険です。む~パパも残念ながら途中で引き返しました。
ここには長らく残っていた橋脚を取り壊すにあたり、これを記録する立て看板があります。橋脚に使われていた石は、モニュメントとしてこの付近の地面に敷きつめられていました。
橋脚は無くなりましたが、有馬方の橋台は今も残されています。
この先、バイパスを歩けないためよく分からないところもあるのですが、廃線跡はやや高度を下げ(実際は下がっていないのかも知れませんが)、終点有馬駅跡に至ります。戦後まで駅そのものは残っていたようで、神戸市ホームページによると
神戸市:昭和36年-No.08 土砂に埋もれた旧国鉄有馬駅(北区有馬町) (kobe.lg.jp)
と、1961(昭和36)年にまだ駅舎が残っていたことが分かります。以前は病院があったように思いますが、現状空き地です。
有馬川に架かる乙倉橋。国鉄有馬駅正面に架かる橋です。今でも駅前広場がそこに広がっているような雰囲気ですね。この角度から撮った国鉄有馬駅の写真はネットでも見ることができます。右側の木造建築は駅前旅館のような感じもしますが、当時の写真では平屋の建物が写っており、いつから建っているのかはっきりしません。
この乙倉橋には、有馬駅や当時の列車の写真が欄干に掛かっており、鉄道の記憶を今に伝えています。これによると乙倉橋は当初木橋で、1928(昭和3)年に鉄筋コンクリートの橋に架け替えられたそうです。
乙倉橋。1995(平成7)年の阪神大震災で大きな被害を受け改修されたそうですが、石積みの橋脚など、多くは当時の姿を留めているものと思われます。

不要不急と判断され、戦時中に休止となった国鉄有馬線。現在は沿線に新しい住宅地もあり、鉄道として残していればそれなりに発展したのかも知れませんが、どうなっていたのかは誰にも分かりません。

【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その3)

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→その2から
さてさて、む~パパ。前回で国鉄有馬線の築堤を見つけたのに、その後どこを通っていたのか見失ってしまいました。と言うのはちょうど廃線跡の真上に中国道西宮北ICが出来てしまったからなのです。

1960年代の現西宮北IC付近。廃線跡がはっきり残っているのが分かります。(写真:国土地理院)
こんな感じで山を切り通して横断し、現在の西宮市山口町に至っていました。(写真:国土地理院)
現在の同じ場所。西宮北ICが中央部に出来たため、廃線跡が消えてしまいました。(出典:国土地理院)
丹念に探せば何かあるのかも知れませんが、本来の目的であるウォーキングを逸脱してしまいそうです。(写真:国土地理院)
2回目は神戸電鉄田尾寺駅で下車し、中国道で途切れた(上写真の下部分)ところから歩き始めることにしました。
ちょっと季節感がまるで違う写真で歩いた日がバレてしまうのですが「有馬口」駅があった付近。国鉄有馬線は公智神社の前を通過していました。
神様の前を素通りするわけにはいきません。もちろん御朱印をいただきました。

公智神社の前にかかる「駅前橋」。廃線跡ファンには有名な橋で、かつて鉄道があった歴史を今に伝えています。

む~パパ、なんとなく駅前橋のあたりに有馬口駅があったに違いないと思っていたのですが、その後新たな情報提供があり、公智神社より北側の土地に駅や鉄道施設があったとのこと。(出典:Google)
なるほど。本線から三田寄りに向けて側線があったそうで、確かにそれらしい形の土地が残っています。(出典:Google)
この先は橋梁部を除いて廃線跡は道路に転用され、有馬温泉へ向け続いていきます。

【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その2)

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その1はこちら

さて、その後長尾川北岸を走った国鉄有馬線は、長尾川を渡って現在の神鉄道場駅の真横にやって来ます。

手前が有馬方、奥が三田方。長尾川を渡る橋梁の痕跡はありませんが、廃線跡が比較的分かりやすい形で残っています。
神鉄道場駅付近の航空写真。(出典:国土地理院)
神鉄道場駅は三田線開業の1928(昭和3)年、道場川原駅として開業したもので国鉄有馬線に近接していましたが、国鉄側に駅はなく八多川を渡った先にあった新道場駅との連絡はしていなかったものと思われます。(出典:国土地理院)

神鉄道場駅舎から撮影した有馬線跡。堀割に線路が通っていた痕跡がはっきりと分かります。

有馬線開通当時は神戸電鉄が存在しておらず周囲には何もなかったので、駅(新道場駅)は八多川を渡って道場の町外れに設けられていました。有馬方には現在も橋台が残されています。
小さな溝を跨ぐ橋台。この辺りは大きな開発が進まなかったためか、現在でも痕跡が見られます。
この先、写真の部分で廃線跡は一旦途切れ田畑に転用されていますが、しばらくすると復活します。
ここからは築堤が現れ徐々に高度を上げていきます。「旧国鉄用地」と書かれた看板がありました。1943(昭和18)年に休止されたまま放棄され事実上廃止となった後、土地は民間などに払い下げられたようです。
はっきりと鉄道らしさの残る築堤。写真中央には朽ちつつも跨道橋が残されているのが分かります。
少し近付いてみました。どうもこの先は立入禁止のようですので、ここまで。石積みが見えます。

この先は分かりにくくなります。もう少し続けます。

【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その1)

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関西の奥座敷・有馬温泉への鉄道路線は、現在神戸市内からアプローチする神戸電鉄有馬線(当時は神戸有馬電気鉄道)が唯一の足です。この路線は1928(昭和3)年に開業した関西圏としては比較的新しい路線。実は最初に有馬温泉へ到達した鉄道は1915(大正4)年に開業した有馬鉄道(開業当初より国が借り上げて運行)です。1919(大正8)年に国有化され有馬線(当時は「有馬軽便線」)となったこの路線は、三田駅から分岐する12㎞あまりの支線でした。戦時中の1943(昭和18)年に休止となりそのまま現在に至りますが、80年が経つ今日も鉄道の痕跡を多く残す「ハイキングが楽しい」路線として有名です。む~パパ、今回は思ったよりボリュームが大きかったので2回に分けて歩いてみました。
※有馬線跡はかなり有名で、数多くのサイトで紹介されています。今回「楽しいむ~さん一家」ではこれらのサイトを参考にした上で実際に現地を訪問し、この記事を執筆しています。

1回目のウォーキング起点は神戸電鉄三田駅。JR福知山線三田駅に接続しています。現在は新開地駅からの直通運転となっていますが、神鉄の有馬線は湊川~有馬温泉であり、有馬口~三田間は三田線となります。
現在の有馬線跡付近。(出典:国土地理院)
有馬線は三田駅から大阪方面へしばらく走ったあと、上図の位置で分岐していました。分岐までの線路跡は福知山線の複線化用地として利用されています。現在も線路跡がはっきり残っていることが分かります。(出典:国土地理院)
上写真で有馬線跡が途切れる部分がありますが、1960年代の航空写真を見るとつながっていることが分かります。(出典:国土地理院)
福知山線(写真の左側)と分かれていく部分。現在も線路跡ははっきり残っていまして、現代的な使い道と言えるソーラーパネルに覆われています。
道路をまたいで畑を突っ切る有馬線跡。ここも鉄道の痕跡がはっきりと残っています。有馬線はこのまま武庫川を越えていました。
農業用水を超える箇所。簡単な構築物ではありますが、はっきりとした鉄道遺跡です。
武庫川を渡る橋梁はありませんが、渡った先の線路跡は道路に転用されていました。
その後、上写真のとおり農地に転用され線路跡は一旦途切れますが、突然田んぼの真ん中に不自然な区画が現れます。このカーブに沿って有馬線が敷かれていたと思われます。三田駅の次となる塩田駅はこのあたりにあったようです。
この後の痕跡としては、農家の庭先にある台形の土地があり、十数メートルだけ残っていますが、明らかに土盛の路盤と考えられます。

以下、続きます。

【廃線跡】能勢電鉄川西国鉄前~川西能勢口間を歩く

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川西能勢口を起点に阪急電車の支線のような感じで延びている能勢電鉄。実はトンネルありニュータウンあり、沿線風景の変化に富んだ魅力的な路線なのですが、それはともかく。現在起点となっている川西能勢口から距離にして744m、すぐ近くにあるJR(当時は国鉄)川西池田駅とを結ぶ路線がかつてありました。路線としては妙見線なのですが、む~パパがその存在を知った頃は、川西国鉄前~川西能勢口間に朝夕だけ小さな電車が行き来する完全な盲腸線でした。今回は1981年12月19日に廃止となった、この廃線跡を歩いてみました。

JR福知山線(宝塚線)川西池田駅。川西・池田が合わさった駅名ですが、川西は兵庫県、池田は大阪府ですので2府県にまたがっています。これは全国的に珍しいのではないでしょうか。川西か池田かどっちやねん!と言いたところですが、駅自体は兵庫県川西市に所在します。
能勢電鉄川西国鉄前駅付近。正面に見える薄くJRマークの入ったクリーム色の建物が川西池田駅の橋上駅舎です。能勢電鉄の駅は川西池田駅から少し宝塚寄りに歩いた場所にありました。写真の手前に延びる道が廃線跡です。(国鉄の橋上駅舎化前は200mくらい宝塚寄りにあったとのことですので、最初は真ん前だったと考えられます。)
川西国鉄前駅。ホームだけがある簡素な構造です。背景の四角い建物が2枚目の写真にもある川西池田駅の駅舎。電車は51形。クリームと青のツートンカラーは現在も5100系リバイバルカラーとして走っています。(写真:山陽電車OB提供)
ゆるやかにSカーブを描く廃線跡。正面奥の壁のように見えるのが阪急宝塚線の線路です。
阪急電車に向け右へカーブする廃線跡。この後左へカーブして阪急電車をくぐります。
能勢電鉄が阪急電車をくぐっていた場所。阪急電車は高架化され能勢電鉄廃線跡は道路になり、風景は一変しました。
上写真と同じ場所。阪急電車をくぐる能勢電鉄の電車。変化が激しすぎて同じ場所とは思えません。
(写真:山陽電車OB提供)
北側に抜けました。今度は右にカーブします。
ここに電車が走っていたことを示すモニュメント。
川西能勢口駅が地上にあった頃、ここへ川西国鉄前からレールがつながっていました。高架化で大手私鉄らしい近代的な駅へ変貌。今となってはここに1両の小さな電車が発着していたとは思えません。

川西能勢口駅から川西池田駅までは、歩いても数分の距離。川西能勢口駅の高架化を考えれば残すのは難しかった区間と言えます。

Google Mapより

【神戸電鉄】美嚢川で桜と電車を撮る!

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例年、山陽電車で桜の名所をご紹介してきましたが、今年は気分を変えて神戸電鉄沿線へ行ってみました。

神戸電鉄沿線と言えば長田駅周辺とここ美嚢川(みのうがわ)。粟生線三木上の丸駅~三木駅間に架かる橋梁は、一部コンクリート製のカーブした独特のスタイルが魅力的です。河原には桜が植えられ多くの花見客でにぎわいます。
美嚢川を渡るデ1100形。神戸電鉄らしい2扉の車両もすでに4編成を残すのみとなりました。青空に赤い帯の電車が映えます。(2023.4.1 三木上の丸~三木)

ここで、む~さん。三木城の上から撮ると言い出し、次の電車が来るまでにと走って行ってしまいました。いや~、さすが10代。元気ですね。む~パパ、茫然と見送るのみ・・・。

美嚢川橋梁を上写真の反対側から。背景の山が三木城址です。あの上まで登るとは。
(この写真は2013.3.31撮影)

む~さん撮影。三木城址から。美嚢川を渡るデ1350形。桜が満開です。

同時刻。美嚢川河原からむ~さんが撮った同じ列車を。上写真でむ~パパが撮っているのが写っている・・・はずです。
粟生から戻って来たデ1100形を流し撮り。数少なくなった神鉄らしい2扉車をうまく捉えました。

沿線の桜も今週まで。お花見は楽しめましたでしょうか?

【王子公園】夜桜通り抜け2022(昨年の様子)

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すでに「山陽沿線まちガイド(リンク先へ飛びます)」でもご紹介されていますが、神戸市立王子動物園で4月2日(日)~4日(火)「夜桜通り抜け」が開催されます。今年は桜の開花が例年より早く、神戸ではすでに本日開花宣言。ちょっと通り抜けに間に合うかどうか分かりませんが、今回は昨年の様子(2022.4.5)をご紹介。

18:00頃が落ち着いているとのお話ですが、む~パパ、仕事を終えてから出動した19:20は長蛇の列。王子動物園前をあちこち引っ張り回されますが、それほど長く待たされるわけでもなく園内へ。

いやいや、なかなか見事なものです。みなさん、思い思いに眺めたり写真を撮ったりと、楽しんでおられます。
この日は見事な満開。幻想的な雰囲気の中、憑かれたようにそぞろ歩きます。
桜並木の奥にはライトアップされた「ハンター邸」があります。1889年北野町に建てられた異人館で、北野町内で一度移築されたとのことですが、1963年現在地へ移りました。国重要文化財。
ピンク色の桜と、ライトアップされグリーンに光るハンター邸のコラボレーション。和洋の組み合わせの妙と言いますか、美しい光景です。
もう1枚。素材が良いだけに自分が写真家になったような気分ですが(笑)。
古風な観覧車と桜。

今年の桜は通り抜けに間に合うでしょうか。機会があれば是非お訪ねください。