北大阪急行電鉄の新線部分を乗りに行った縁で、ふと同社の保存車両を見に行きたくなり、兵庫県は丹波篠山市に行って来ました。
カテゴリーアーカイブ: 沿線外
【丹波篠山】北大阪急行の保存車両に会いに行く
【3/23開業】北大阪急行新線部分に乗る!(後編)
それでは箕面萱野駅を出発し、隣の新駅、箕面船場阪大前駅に行ってみましょう。
【3/23開業】北大阪急行新線部分に乗る!(前編)
先日3月23日、北大阪急行電鉄千里中央駅から箕面萱野駅までの新線が開業、む~さん&む~パパ、早速初日に乗車してきましたのでレポートします。関西の鉄道としては久しぶりの新しい路線であり、明るい話題でもありますので、取り上げてみました。
では次回、隣の箕面船場阪大前駅に行ってみましょう。
【みき歴史資料館】播磨の鉄道写真展開催中
三木市の市立みき歴史資料館で「播磨の鉄道風景」と題した企画展が開催されています。
みき歴史資料館 企画展「播磨の鉄道風景~過ぎ去った時間を再現する~」 – 三木市ホームページ (miki.lg.jp)
「三木市在住の鉄道写真家、神澤誠一氏が高度経済成長期(昭和30年~同40年代)に撮影された播磨地域の鉄道写真をとおし、当時の鉄道風景や鉄道にまつわる体験談などを紹介します。(三木市ホームページより)」とあるように、まだ蒸気機関車が多数活躍していた播磨地方の鉄道写真が多く展示されています。あまり雑誌等で見たことのない貴重な写真のように思われます。
写真展の会期は9月24日㈰まで。入場無料。神戸電鉄粟生線三木上の丸駅から徒歩5分。近くには金物資料館や堀光美術館があります。
【山陽バス】発見!最後の前後扉車【いすゞKC-LV280L】
ある日のむ~パパ、とある山中をドライブしていたところ、突然前方に・・・。
そのポイントは後面に付く「乗降中」ランプ。これはオージ製ですね。
こちら、1999年式の1989号。「乗降中」表示灯は1998年式のワンステップバス(1885・1886・2813・2814・3844・3845)以降に投入された車両へ設置されました。当初はこの写真のような縦長で厚みのあるゴールドキング製?が採用されていました。(1999年 学園都市駅)
この後、方向幕はLED表示に変更されます。シンボルマーク変更後、1995号の姿。すでに入口は後ろに統一されていますが、「入口」「出口」表示はプレート式のままですね。いつの間にか広告枠が取り外されています。(2007.12.29 垂水営業所)
1993号。山陽バス発足後の姿。「入口」「出口」プレートが外され、ステッカーに変わっています。関西人には見慣れた前後扉のバス。山陽バスに投入されたのはこの3両が最後となりました。
(2011.6.19 学園都市駅)
今回発見した元山陽バスは、最後の前後扉車3両のうちの1両と思われます。山陽バスの車両は引退後第2の職場を求めて各地へ散っていますので、旅先で機会があれば会いに行きたいと思います。
【新快速】さよなら117系電車(その2)
「新快速」として専用設計された国鉄117系電車。7月21日に近郊型電車としての定期運用に終止符を打ちました。今回はその足跡を少し追ってみました。(その1はこちら)
山陽電車の好敵手というより阪急・京阪のロマンスカーと対抗した名車117系。ついに過去帳入りしました。
【新快速】さよなら117系電車(その1)
国鉄時代の1979(昭和54)年、並行する私鉄に対抗するため関西の新快速向けに専用設計された国鉄117系電車。山陽電車にとって手強いライバルとして並走した盟友であり、未だに国鉄最高の一般型電車との呼び声高い車両ですが、関西を去って長く住み慣れた岡山で今年7月21日をもって姿を消すことになりました。44年前の登場時からその姿を知るむ~パパ。最後の姿を捉えるべく出動しました。
笠岡で1本後の電車で西へ向かい、糸崎で折り返す117系に尾道駅から乗り込みました。車内外は名残を惜しむファンが大勢。む~パパ、通路を歩いて来る会社の後輩を見つけ声を掛けると、なんと彼は下って来る117系を尾道大橋から俯瞰撮影し、尾道駅まで戻って来てこの列車に飛び乗ったとのこと。いやはや、若い人はお元気なことで・・・。落ち着いたブラウンの転換クロスシートが並ぶ室内。蛍光灯もカバー付きで、阪急6300系や京阪3000系といったロマンスカーを意識したものであることは言うまでもありません。
車端部壁の木目柄は当時の国鉄車両としては非常に高級感がありました。写真の100番台は若干この茶色が明るい感じです。
7月21日をもって本来の「近郊型電車」としての117系は姿を消しますが、117系自体は「WEST EXPRESS 銀河」として残ります。(2022.9.3 米子)
次回は少し懐かしい写真をお目にかけます。
【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その4)
その3から続きます。ようやく終点有馬駅へ向かいます。
不要不急と判断され、戦時中に休止となった国鉄有馬線。現在は沿線に新しい住宅地もあり、鉄道として残していればそれなりに発展したのかも知れませんが、どうなっていたのかは誰にも分かりません。
【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その3)
→その2から
さてさて、む~パパ。前回で国鉄有馬線の築堤を見つけたのに、その後どこを通っていたのか見失ってしまいました。と言うのはちょうど廃線跡の真上に中国道西宮北ICが出来てしまったからなのです。
公智神社の前にかかる「駅前橋」。廃線跡ファンには有名な橋で、かつて鉄道があった歴史を今に伝えています。
【廃線跡】国鉄有馬線を歩く(その2)
さて、その後長尾川北岸を走った国鉄有馬線は、長尾川を渡って現在の神鉄道場駅の真横にやって来ます。
神鉄道場駅舎から撮影した有馬線跡。堀割に線路が通っていた痕跡がはっきりと分かります。
この先は分かりにくくなります。もう少し続けます。