楽しいむ〜さん一家

新緑の廃線跡を歩く【別府鉄道土山線・後編】

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大中遺跡公園を後に、いよいよ加古川市へ。

前編はこちら↓
新緑の廃線跡を歩く【別府鉄道土山線・前編】


廃線跡を利用した遊歩道が終わり、普通の道路へ飲み込まれてしまいました。かつて鉄道が走っていたとは思えない風景。途中のコンビニで水分を補給。熱中症対策には麦茶が良いそうですよ!

この辺りでよく見かける古紙回収コンテナ。形状から見て国鉄のコンテナと思われます。C35あたりかなと思いますが、妻面のリブ数が少ないような・・・。ご存じの方がおられましたらご教示ください。
さらに歩くと、突然現れる貨車の車体。別府鉄道の有蓋車「ワ1」形「ワ124」。実は以前にも紹介しております。廃線跡に佇み、ここに別府鉄道が通っていたことを今に伝えています。台枠部分にも車番が入っており再現度抜群。

貨車のところから、ほどなく明姫幹線(国道250号線)と交差します。ここが立体交差となっているのは別府鉄道を跨いでいた痕跡。上り線だけ高架になっていますが、こちらが先に完成したもの。別府鉄道の廃線により高架にする必要が無くなったため、今も下り線は地平のまま。下り線を載せるために用意された幅が広い橋げたが「トマソン」として現在も残っています。

廃線跡もいよいよ終着に近付きました。新幹線と山陽電車をくぐります。

山陽電車と別府鉄道の交差部分。単線のため幅が狭く、自動車の行き違いが出来ない状態が今も続いています。そもそも山陽電車が築堤となっているのは別府鉄道の上を乗り越えるためなのですから。

山陽電車をくぐるとイトーヨーカ堂の駐車場へ。かつての別府港ヤード跡です。多くの貨車が並び、多木化学の製造した肥料を鉄道で全国へ配送した栄華がしのばれます。

こちらは野口線の廃線跡。こちらは「松風こみち」として整備されており、地元のみなさんに親しまれる散策ルートとなっています。

山陽電車の別府駅。今日はここで終点です。

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新緑の廃線跡を歩く【別府鉄道土山線・前編】

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神奈川県に保存された客車の取材に行ったりしているうちに、「別府鉄道」がマイブームになっているむ~さんパパ。別府鉄道は別府港をターミナルとして高砂線の野口と山陽本線の土山へ2つの路線を伸ばしていましたが、いずれも廃線跡は遊歩道となっている部分が多く、新緑のウォーキングが楽しめます。

今回の起点、JR山陽本線土山駅。播磨町のシンボル、大中遺跡をイメージした駅舎とモニュメントが迎えてくれます。

駅前の地図で行程を確認。右側にあるのが土山駅。「歴史とのであいミュージアムロード」とある、緑で描かれた道が別府鉄道土山線の廃線跡です。山陽本線から分岐する形になっている「いかにも廃線跡」な感じが良いですね。大中遺跡公園より先は加古川市に入りますので地図から外れています。

「であいのみち」入口。写真を撮った場所も線路跡と思われます。
別府鉄道が走っていた頃の土山駅は、こちらの記事をご参照ください。

線路跡は整備された遊歩道になっています。多くの方が行き来する生活道路でもあります。線路で作られたアーチがあちこちに建っていますので「元別府鉄道のレール?」と思いましたが60㎏レールのようで、新しく用意されたものと思われます。

「歴史とのであい」の名の通り土山駅側から出発すると、このように歴史上の出来事を記したプレートが埋め込まれたレールに設置されています。「1962年 大中遺跡が発見される」播磨町にとっては歴史上の大事件ですよね!

廃線跡は途中で野添北公園を通過。花菖蒲はまだまだこれからのようです。今一つ花菖蒲とカキツバタの違いが分かっていませんが、花の中心が黄色いのは花菖蒲だそうで・・・。五重塔は圓満寺のもので、このように撮影するとなかなか絵になりますが鉄筋コンクリート製の「和風ビル」です。裳階(もこし)が付いていることから法隆寺五重塔をモデルに造られたものと思われます。(納骨堂だそうです。)

さて、もうしばらく歩くと廃線跡がぐにゃっと曲がっていますが、線路が曲がっていたわけではなくここから斜めに喜瀬川を渡っていました。現在は「ふるさと橋」が川に直角に架けられています。

のどかな喜瀬川の風景。

「ふるさと橋」を渡ると大中遺跡公園に着きます。中央を廃線跡が走り、左側が兵庫県立考古博物館、右側が竪穴式住居復元エリアになります。

眩しい新緑の中を廃線跡が続きます。

大中遺跡公園の中、播磨町郷土資料館に保存されるディーゼル機関車DC302と客車ハフ5。DC302は倉敷市交通局(現:水島臨海鉄道)から別府鉄道に移って来た機関車。ハフ5は以前も書きましたが神中鉄道(現:相模鉄道)のガソリンカーで、のち客車化されたものです。

廃線跡を利用した遊歩道はここまで。播磨町もここまで。ここからは道路に飲み込まれてしまいます。

(後編につづく)

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【別府】sandwich cafe うみねこ でパフェを食べる

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急に「パフェが食べたい!」と思うことはありませんか?(ないかなぁ・・・)「食べたい」と急に思ったむ~パパ、た~さんを誘って別府にある「sandwich cafe うみねこ」を訪れました。

別府駅で降りて南下すると、イトーヨーカ堂に隣接して古風な建物が見えてきます。多木化学の本社です。「多木化学株式会社」のプレート下に「別府鉄道株式会社」のブレートが!現在も土地管理会社として存続しているとのこと。

黒い洋風建築は非常に目立つ存在。1915(大正4)年に建てられ今年で104年になります。多木化学は日本初の化学肥料製造会社。鋤のマークが建物の周囲を巡っています。

多木化学本社のすぐ浜側、旧国道と交差する角に「サンドイッチカフェ うみねこ」があります。なかなかの人気店です。

お店の名前からも分かるように、本来はサイドイッチを主に出すお店で、ものすごい種類のサンドイッチがメニューを飾っています。

15時以降はカフェタイム。多種多様なパフェが用意されています。せっかくなので春季限定の「Mixベリーパフェ」と「抹茶いちごのパフェ」をオーダーしました。

真ん中辺に入っていたイチゴのシャーベット、むちゃくちゃ美味しかったです!


ちょっとだけ電車を撮ろうと線路際にも行きましたが、運良く未更新車の3054号が通過しました。



次回はサンドイッチのレポートをお届けしたいと思います。クリックにもご協力を。
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春の阪急レールウェイフェスティバルで伝説の名車P-6に会う!

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5月にしては少し暑い晴天に恵まれた12日、阪急正雀工場(大阪府摂津市)で春の阪急レールウェイフェスティバルが開かれました。

正雀駅。3300系や5300系など、まだまだ昭和の電車が活躍する京都線。

このような機会でもないと車庫・工場の中へは入れません。

昨年はあいにくの雨天で屋外のイベントはちょっと参加しにくい状況だったのですが、今年は好転に恵まれ大盛況。

洗車体験!写真的には向こうから顔を出しているのを撮るのが正解かな・・・。

む~パパ的に関心があったのは100形の乗車体験。と言いつつ行くのが遅すぎて(それでも午前10時には行ったのですが)乗れなかったわけなのですが・・・。)

100形。阪急京都線の前身、新京阪鉄道が1927年より製造した車両で、ファンには「P-6」と言うほうが通りの良い名車。大山崎付近で並走する国鉄の特急「つばめ」を追い抜いたという伝説もあり熱狂的なファンが多いため、ここでの解説は省略します。車庫構内ではありますが、現在も走る状態で大切に保存されていることに敬意を表します。

実はむ~パパ、走っている姿を見るのは初めてだったりします。

工場公開などなど、内容は昨年に準じますが気になったものを。

阪急タクシー!ボディの下半分が赤く塗られていたのを知っている世代と言えば、む~パパが最後かも・・・。む~パパもこの写真のクラウン(50系前期型)が現役の頃はさすがに知りませんが・・・。後ろはキャロルだ、なんてことは置いておいて・・・。

正雀工場の建屋の扉など。

この色は阪急電車と同じマル~ンでは。

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【海老名】現存する別府鉄道の客車たち【播磨町】

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む~パパの遠征シリーズ。さて今回降り立ったのは・・・、

相模鉄道「かしわ台」駅(神奈川県海老名市)。相模鉄道の工場・車庫がある拠点です。

「車両センター」のほうへ向かいます。

工場裏手に保存されている車両たち。この6021号は6000系唯一のアルミ製試作車。相鉄もアルミ車の導入には積極的で、「東の相鉄、西の山陽」と呼ばれていたとかいないとか。

あ、ちょっと脱線してしまいました。実はむ~パパ、何を見に行ったかと言うと。

この客車。「ハ24」と表記されています。木造でオープンデッキ、2重屋根(ダブルルーフ)構造、見るからに古いカタチですよね。1926(大正15)年に造られた現存する最古級の客車です。

実はこの客車、相模鉄道から三岐鉄道(三重県)を経て1959(昭和34)年、別府鉄道にやって来ました。別府鉄道では「ハフ7」と名乗り、1984(昭和59)年の廃止まで現役で活躍していました。

別府鉄道時代。緑とクリームに塗り分けられた好ましい姿をしていました。(別府港)
(写真:ミニコラムの技術課長さま提供)

車両センターで申し出ると車内も見学できます。何ともレトロな車内。これが昭和50年代まで現役で走っていたとは驚きです。

別府鉄道の客車はもう1両、ハフ5が播磨町郷土資料館に保存されています。

別府鉄道ハフ5。これもハフ7と同じく元々は相模鉄道(前身の神中鉄道)が製造したガソリンカーキハ10で、エンジンを外して客車化、三岐鉄道を経て別府鉄道に来たものです。

ハフ5の車内。こちらは元々ガソリンカーのためデッキはありません。

現役時代のハフ7とハフ5。1983(昭和58)年、土山駅。今見れば想像も付かない何ともローカルな雰囲気ですが、これでも80年代の光景です。この2両の客車はいずれも現在の相模鉄道出身。海老名市と播磨町に分かれていますが、両方とも今も大切に保存されているのは奇跡と言えるでしょう。(写真:ミニコラムの技術課長さま提供)

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