楽しいむ〜さん一家

【あれから2年】3030号旧標準色の復活作業(前編)

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2019年に登場以来、鉄道ファンというより昔からの沿線のみなさまに親しんでいただいた旧標準色の3030号。いよいよ今年、ラストランを迎えます。む~パパも育った山陽沿線、小学校の窓から毎日見ていた山陽電車もこの色でした。今日はこの懐かしい標準色の塗装作業を東二見車両工場で取材した時の模様を公開します。
(写真所蔵:山陽電気鉄道 2019.6.8撮影)
旧標準色塗装直前の3615号。すでに前面の車番は移設されています。よく見ると塗り分け線が入れられていますね。いつもより念入りにパテで下地を整えられているのが分かります。
側面のドアは現塗装になってから交換されており、ドアレールが塗り分けに合わなくなっていたため付け替えられたそうです。何というこだわりでしょう!他社の復刻旧塗装と比較して気合の入り方が違います(ホント?)。
さて、この日は下半分の紺色を塗る日でした。シンナーを加えて濃度を調整しているようです。模型では明るい色から塗るのがセオリーですが、こちらは濃い色から作業していました。

まず最初に旧標準色となったのは、意外なことに「雨どい」でした。記念すべき塗装開始です!
続いて車体下半分の塗装が始まりました。スプレーガンで紺色を塗っていきます。車体は大きいのですが思ったより早いペース。

紺色に染まった車体。感動的ですらあります。

下半分が塗り終わった状態。上半分が現塗装のクリームなので、阪神電車のようなカラーリングです。

紺色がたっぷり入った塗料缶。これで何両分塗れるのでしょうか???

後編では工場内で旧標準色が初めて表に出た記録を公開します。クリックにもご協力を!
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【廃線跡】兵庫臨港線をたどる(後編)

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兵庫臨港線もいよいよ終端。比較的新しい第3突堤へ伸びる線路跡をご紹介して終わりとしましょう。実は前回までの取材で日没となったので、後日第3突堤だけ見に来てます。
前編はこちら
中編はこちら


空中写真で見ると、第3突堤へ分岐するカーブに沿って三角形の建物が残っているのが分かったので、現地へ。この建物は食堂で、表からみるとさほど違和感はありませんが、裏側は線路跡に沿ってきれいにカーブを描いていました。
その後、車道でも歩道でもない空間として廃線跡は続くのですが・・・、

ん・・・?


何となくレールの形でアスファルトにひびが・・・。恐らくレールを撤去せず、そのまま埋めてしまったようです。掘り返したらレールが出て来ること間違いなし・・・。
(注:とは言っても決して掘り返しに行ってはいけませんよ。)
実は空中写真で見ていて「レールがある」ことに気付いていたのですが、さらに進むと事務所脇から突然レールが現れます。これは埋めてあるわけではなく、恐らく当時からこのような形状だったものと思われます。
よく見ると、駐車しているハイエースの向こうに、もう1組レールが敷かれていました。すぐ近くで分岐し、引込線は2本に分かれていたのでしょう。さてここに10m程度のレールを確認したわけですが、その先は「立入禁止」ということで・・・。港と鉄道が密接に
つながっていたことを示す遺跡。そうした時代背景を感じながら街中を歩くのも、結構楽しいものです。

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【廃線跡】兵庫臨港線をたどる(中編)

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前編はこちら

さて、大輪田橋から少し東へ歩くと中の島交差点に出ます。
歩道に車が並んでいるように見えますが、この部分が廃線跡です。ここは市電の和田岬方面へ行く路線と、尻池方面へ行く路線が分かれていました。臨港線とは平面交差しており、鉄道が集まるジャンクションとなっていました。最盛期はさぞかし賑やかだったことでしょう。
1975(昭和51)年の空中写真。赤い線が臨港線。兵庫突堤には前回ご紹介した1961(昭和36)年の写真には存在しなかった下側の第3突堤が現れ、新たに線路が敷かれています。それぞれ突堤の端まで血管のように線路が敷かれていました。たくさんのはしけが浮いているのが見えます。(出典:国土地理院)
2009(平成21)年の空中写真。突堤の中央部は埋められ、倉庫群に変わっているのが分かります。臨港線は無くなりましたが、何となく線路の形に空き地が残っているのがお分かりいただけるでしょうか。(出典:国土地理院)
廃線跡ファンには有名なスポット。神戸中央卸売市場のすぐ南側、神戸市場前駅へ分岐していた付近に踏切装置がポツンと残されています。巻き上げるタイプの遮断機の支柱と思われます。さらに支柱の下を見てみると・・・。
この部分だけ線路がはっきりと残っています。「今にも列車が来そう」とは大げさですが、かつて日本各地にあった臨港線の雰囲気を今に伝えています。

そこから先は、車道でもなく歩道でもない中途半端な「空間」として廃線跡は続いています。
突堤の引込線は至る所に痕跡を残しています。この写真は明らかに戦前からあると思われる古い倉庫。隣に止められたトラックの場所が廃線跡。カーブした線路に沿って倉庫の後ろ側がカットされています。向こうに見える建物も線路に沿ってカーブしていますね。
何気なく見ていると気付きにくいですが、元々突堤になっていた部分へ向かう道路は線路の形に緩やかにカーブしています。

少々長くなったのでこの辺で。後編に続きます。

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【廃線跡】兵庫臨港線をたどる(前編)

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昨年、電鉄兵庫駅の痕跡をご紹介しました。しかし兵庫駅からはもう一つ消えた鉄道路線がありました。それが「兵庫臨港線」。自動車が発達する前、鉄道が主要な物資輸送手段だった頃、主要な港や市場には隅々にレールが敷かれ、船から降ろされたあらゆる物資が貨車に積まれて全国へ運ばれていたのです。神戸には兵庫と神戸に臨港線がありましたが、近い場所にありながら両者は接続していませんでした。
1961(昭和36)年の空中写真。赤い線で示したのが兵庫臨港線のルート。路上を走っていた山陽電車の線路も写っています。(出典:国土地理院)
和田岬線と臨港線が分かれる付近。線路そのものは和田岬線と並行して写真奥の兵庫駅から延びてきており、複線のようになっていました。写真右の塀が臨港線の跡に沿ってカーブしているのが分かります。この辺りは1911(明治44)年開業ですから、山陽電車開業の翌年ということになります。
同じ場所で反対向きに撮影。建物が立て込んだため廃線跡は分かりにくいですが、写真中央のマンションが新川駅跡となります。
そのマンションを反対側から。この駐車場が線路跡です。

そのまま廃線跡を探索すると、建物の角が直角でない工場を見つけました。線路に沿った形で建てたようです。手前の新しいビルは元の線路敷に建っています。
大輪田橋上から。写真奥が兵庫駅側。運河を鉄橋で渡っていました。む~パパ、それは覚えています。小学校の歴史研究で橋のたもとにある清盛塚を訪ねた際、「あ、こんなところに鉄橋がある。」と・・・。1984(昭和59)年に廃止になっていますので、む~パパが見たときはまだ現役だったのですが、走っている列車を見た記憶はありません。現在は鉄橋の痕跡は全くありません。

この先で中央市場と兵庫突堤へ線路は分かれます。(中編へ続く)

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【塩屋】シオヤチョコレート

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む~パパ、む~ママのリクエストで「シオヤチョコレート」に行ってみました。

塩屋駅のそばにあるのではなくて・・・、狭い商店街を抜け、塩屋さくら苑の前ということですが・・・。
塩屋コミュニティバス「しおかぜ」も塩屋さくら苑の前に止まります。塩屋北町やイオンジェームス山方面から来られる方は是非ご利用ください。

しかしながら、普通に歩き回るだけではお店を見つけることが出来ず、その辺を迷うこと10分あまり。ようやく駐車場に小さな看板を見つけました。
「あ・・・」
ごく普通の民家が改造されてチョコレート工場になっています!裏に回って初めてお店の入口を発見。カフェスペースがありご近所さんの憩いの場になっているではありませんか!とにかく地元感満載です。

いやもう、おしゃれというか手作り感満載の店内でチョコレートを買い求めました。数種あり、一つ1000円くらいです。
カカオと砂糖だけを使ったとのことで、豆の焙煎から始める本格的なものとのこと。甘味と共に本来の酸味を感じるシンプルな味。なかなかというか、かなりマニアック。


とにかく、お店を発見することから始めましょう。クリックにもご協力を!
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