楽しいむ〜さん一家

【現役最古のアルミカー】山陽電車3501号の登場時

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山陽電車OBのZ氏から貴重な写真をいただいたので公開します。長い間編成から外れていた山陽電車3000系の3501号登場時のもので、当時3両編成だった3000系を4両化するために増備され、運び込まれた直後のようです。
3078号に組み込まれた3501号。10年以上前の写真ですが現在でもこの姿のままです。
(2007.9.5 東二見車庫 写真:山陽電気鉄道)
誕生直後の3501号。もちろん冷房は付いていません。下回りも塗りたてのようで「未使用」状態です。(1968.5.15 東二見車庫)
台車。3500号・3501号は軸ハリ式台車を履いていた印象が非常に強いのですが、1968年に製造された2次車にあたり、他の鋼製車と同じウイングバネ式台車を履いて登場しました。ただ、かなり早い時期に3600号・3601号と交換して軸ハリ式台車を装着しており、営業運転開始時には交換されていた可能性もあります。
このブログで以前ご紹介した写真。まだ方向幕が取り付けられていない時代ですが、すでに3501号と3601号の台車は交換され、3601号のほうにウイングバネ式台車が付いているのが分かります。
検査標記。当時西新町にあった「明石工場」の文字が見えます。東二見工場稼働前でしょうか?撮影は東二見なのですが・・・。
窓下に特徴ある「うろこ模様」があることが分かります。また、上段窓サッシの角は3両編成で登場した3000-3001-3600と3002-3003-3601はRが付いていますが、3500号・3501号は当初よりRは無かったことが分かります。
サッシ上部にRのある元の編成。(1964年 写真所蔵:山陽電気鉄道)
登場時は妻面に栓受が付いていましたが、現在は取り外されています。ごちゃごちゃとジャンパー栓が付いている姿は魅力的ではありますが・・・。

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【廃線跡】軍用白濱鉄道の痕跡(御着~白浜の宮)その3

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さて、ここからは山陽電車の線路を目指すウォーキングとなります。実は今まで頼りにしてきたGoogle昔の航空写真1961~1964年でも、現在の姫路バイパス以南の痕跡は消えています。そこで他の方が載せておられた1947年の航空写真を元に現地を歩いてみました。
現在の航空写真に白濱鉄道を描いてみました。大体こんな感じのはずです。(写真:Google Map)縮尺が小さくなりすぎるので中途半端な感じですが、①の北側を通っているのが姫路バイパス。鉄道と交差する付近が姫路東ランプ。③の右下の四角い部分が姫路市立灘中学校。山陽電車白浜の宮駅は地図から切れていますが中学校の右下あたりに位置しています。
姫路バイパスの姫路東ランプをようやく横断(横断歩道がないので非常に危険です。歩かれる方は西にバイパスをくぐる道があるので、そちらへ迂回しましょう。)して、線路と道路が交差する上図①の地点へ。写真は南側から御着駅方向を撮っています。全く痕跡が残っていません。
上図②地点。このあたりで白濱鉄道とこの道路が交差していました。すぐ南側に姫路市立糸引小学校があります。1961年当時、田んぼに戻っているのが分かりますが、現在は完全に区画整理された住宅地になっており、何の痕跡も残っていません。
上図③の線路跡と並行する道路。この先で山陽電車松原県道踏切と交差します。
上図③付近。鉄道の路盤に見えなくもないです。ここを通っていたはず・・・。
上写真の路盤?築堤?に続く部分。民家の塀があるところと思われます。
姫路市立灘中学校。軍需工場の建物を使用して開校したといいます。
灘中学校の先、松原県道踏切を通過する山陽電車。目と鼻の先まで軍用鉄道が敷かれていたのは驚きです。
歩き疲れたので山陽電車で帰ることとしましょう。
今回歩いた大体の行程です。(出典:Google Map)

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【廃線跡】軍用白濱鉄道の痕跡(御着~白浜の宮)その2

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さて、鉄道の痕跡が全くない田んぼで途方に暮れるむ~パパではありますが、この先で比較的有名な痕跡へ向かいます。
写真左にある大歳神社の前を線路が通過していたはずですが、本当に何も分かりません。
またまた「Google昔の航空写真」に登場いただきましょう。1961~1964年のこの付近。田んぼの真ん中に薄く線路の痕跡があります。
こんな感じです。60年前だと結構残っていたんですね。
そして現在。姫路バイパスが東西を貫き、大きなトラックターミナルも出来て痕跡は失われていると思いきや・・・。
どうやらこの3か所に辛うじて残っているように思われます。行ってみましょう。
他の方のブログでは紹介されていませんが、土地の形状から廃線跡であると推定される場所。上の航空写真で最上部に短く残っている部分です。60年前からこのままですので、間違いないと思います。
さて、航空写真中央に比較的長く残っている部分。路盤はなく土地区画の形状として分かる程度です。この先に以前はしっかりした路盤が残っていたそうですが、現在は太陽光パネルが設置されており痕跡はありません。この後、線路跡は正面に見えるホテルの敷地へ続きます。
そのホテルまで来てみました。写真中央の塀が線路跡。敷地の境界の形として残っていますが60年前の写真から見て、当時も何か段差のようなものがあったかも知れません。
八家川。この辺で渡っていたはずですが、橋台等の痕跡は発見できませんでした。奥は姫路バイパス。

ここからは山陽電車の線路を目指すウォーキングなのかも。クリックにご協力を!
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【廃線跡】軍用白濱鉄道の痕跡(御着~白浜の宮)その1

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1944(昭和19)年4月といいますから戦時中のこと。姫路市白浜の地に大阪造兵廠姫路白浜製造所という軍需工場が開かれました。現在の灘中学校は戦後この建物を流用して開校したとの話で、山陽電車白浜の宮駅から北西の方角になります。この工場では上陸用舟艇や特攻船を作っていたとのことで、付近の小学生までもが動員されていたようです。資材を運ぶため山陽本線御着駅から線路が敷かれており「白濱鉄道」と呼ばれていました。今回は他の方のブログなどを参考として実際に現地を歩いてみました。
JR御着駅。姫路から2つ東にあたる山陽本線の駅です。こじんまりした木造駅舎が良い雰囲気ですね。
駅前ロータリーに面した古い建物。かつて旅館でもしていたのでしょうか?
毎度おなじみとなったGoogle昔の航空写真より。1961~1964年の御着駅付近。線路跡がくっきりと残っているのが分かります。
御着駅から神戸方向に向かい南側へ分かれる軍用線。
白濱鉄道が分岐していた地点。高架は山陽新幹線。大きくカーブを描いていた部分は区画整理により姫路工業団地となっており、当時の面影は全くありません。
関係ないかも知れませんが、分岐して右カーブが終る地点にあるJR西日本テクノスの工場。この会社は改札機やエレベーターといった駅内設備の製作を担っており、旧国鉄時代から関係会社として存在しました。航空写真によると比較的近年まで空き地だったところで、ひょっとして国有地のまま残っていた場所かも。
この先は写真の1961~1964年時点でも痕跡が不明確なのですが、現在の写真と比較したところ、当時と同じと思われる区画を発見しました。
現在の同付近。赤線で示した部分はどうやら廃線跡のようです。
ここです。う~ん。本当かな・・・。微妙なカーブが線路っぽい(?)。先に見えるのは「文化シャッター」の工場。廃線跡、敷地内を貫通しているはず。
その延長線上をたどっても、もう訳が分かりません。地図上ではこの辺のはず。南から御着方向を撮ってみました。

この先にようやく廃線跡らしい遺構に出会います。クリックにもご協力を!
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【阪神電車】尼崎海岸線と金魚鉢(番外編)

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あけましておめでとうございます。新年最初は「阪神電車」から!

む~パパが昔からお世話になっている板宿の鉄道模型バー「日乃電」のマスターから、先日の「尼崎海岸線を歩く(その1)(その2)」の記事に対し、この尼崎海岸線が走っていた当時の非常に貴重な写真をご紹介いただきました。
これが当時の出屋敷駅。左から2本が本線、右の「出屋敷⇔高洲」の行先を掲げているのが海岸線の電車です。本線左側の801形や、中央のステンレス車体で人気のあった5201形ジェットシルバー(5201-5202号)もかなり目を引きますが、海岸線に使われている車両が国道線の路面電車であることもなかなか興味深いです。海岸線は元々は本線の車両(701形)が使用されていたそうですが、車両大型化の進展で先に廃車となってしまい、国道線の路面電車71形にパンタグラフを取り付けて使用していたとのこと。
※この写真は日乃電さま参加のイベントに来られたお客さま(氏名不詳)から提供されたもので、日乃電さまからは使用許可をいただいていますが、著作権上問題があるようでしたら、コメント欄からご連絡をいただければと思います。
再掲となりますが上の写真の同一箇所(現在)です。あまりに変わってしまい、昔の姿を想像すらできません。

さて、この路線でも使われていた路面電車の車両ですが、ファンからは「金魚鉢」と呼ばれ親しまれていました。今でも尼崎市内に2両が保存されており特徴あるその姿を見ることができます。(この他にも保存車はあるようですが非公開です。)
水明公園に保存されている阪神71形のトップナンバー71号。1937(昭和12)年に製造されたもので、各部が曲線で構成された車体と非常に大きな窓が特徴的です。同時代の近代建築と共通するデザイン思想を持つ産業遺産であり、日本を代表する路面電車車両の一つと言えます。
トップナンバー「71」の車番部分。
雨どいを省略し限界まで上に広げた側窓。昭和初期のモダニズムを強く感じます。
こちらは蓬川公園に保存される74号。71号と同じく公園の施設として利用されており、状態も同じような感じです。利用されているためか荒廃しているわけでもなく、廃止後47年を経ているわりには良い状態だと思います。


水明公園(71号保存)


蓬川公園(74号保存)

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