楽しいむ〜さん一家

こんなところで山陽電車

投稿日:



む~パパ、四国は香川県の高松で地元の私鉄、琴電(高松琴平電鉄)のイベントに行ったことがあります。会場に止めてあった電車の中で古い電車(もちろん琴電ですが)の写真が展示してありました。一体何の話やねん?というところですが、その中の1枚に気になる電車が写っています。

撮影は高松市の中心部にある瓦町駅。「74」と書かれた電車にご注目。

これ、実は元々山陽電車の車両なのです。
とは言っても山陽電車の前身の一つ、明石~姫路間を開業した神戸姫路電気鉄道が最初に作った15両のうちの1両です。写真とは言えこんなところでお目にかかるとは思いませんでした。この写真で2両目に写っているのは恐らく62号車。こちらは京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)から来た車両です。すでに車体は新しく作り直されていますが、山陽電車と京浜急行の車両が仲良く手をつないでいる面白いシーンですね。

この写真を見て思い出したのが、む~パパのパパ(すなわちむ~じじ)が50年くらい昔に四国旅行したとき撮っていた写真。

これは屋島駅と思われますが、この「84」号も元は山陽電車。こちらは兵庫~明石間を開業した山陽電車の前身、兵庫電気軌道の36形という電車だったものです。

戦争で多くの電車を失った山陽電車が運輸省から大型車の割当を受け、路面電車同然だった路線を現在の直通特急が走る規格へと向上させる契機になったのですが、その代わり在来の小型車が琴電へと譲られていったのです。

ちなみに社名が「山陽電気鉄道」となって以後に作られた電車で他社へ移って働いた電車は(今のところ)無いんですよ。ご紹介した写真の電車たちもとうの昔に姿を消していますし。


現在の琴電。山陽電車と手をつないだ車両はもういませんが、現在でも京浜急行電鉄から来た車両が多く走っています。

ちょっと今回はマニアックすぎたかも・・・。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

人丸前~大蔵谷界隈を歩く

投稿日:



今日は大蔵谷の宿場町をご紹介します。「せっつ・はりま歴史さんぽ」みたいじゃないか!マニアネタ、酒はどうした?と聞かれそうですが、いやまあ飲んでばかりもいられませんので、しばし街歩きネタでお付き合い願います。

さてさて。人丸前駅を降りて南下すると「大蔵交番」という交番があります。

手前が大蔵交番。天文科学館をイメージした形をしていますが、この角度から撮ると後ろにある明石人丸教会の建物が目立ってしまって影が薄い・・・。でもこの写真、奥にひっそりと天文科学館も写っていますよ。大蔵交番の右に小さく写っている細長いものは石碑です。近寄ってみましょう。

碑文に「大日本中央標準時子午線通過之識標」とあり案内文も掲出されています。要するに明治21年に明石を通る東経135度の子午線が日本標準時に定められたにもかかわらず、一般の人々の認知が今ひとつ、ということで明石郡の先生方がお金を出し合って建てた碑、だそうです。なるほど~。

本当は山陽道の街道筋を東へ向かうべきなのですが、街道の入口が狭くなっていて見つけられず、そもそも大蔵交番の手前なのですが行き過ぎ、探しているうちに中崎公会堂まで来てしまいました。

・中崎公会堂 明治44年建築以来、現在も公会堂の機能を果たしています。せっかく来たので撮影・・・。

いや、こちらは寄り道でして。

いや、この写真も寄り道の1枚。壁は銅板葺きのようです。銅器で有名な高岡(富山県)ではよく見る感じだと思いますが、明石ではどうなのでしょう。

本来の街道筋を発見したので、ようやく東へ。

稲爪神社から旧山陽道方向。ここも落ち着いた昔ながらの街並みが広がっています。稲爪は「いなづめ」ですが、「いなづま(稲妻)」がなまったものでしょう。


さて、現在は国道2号の南側になりひっそりとした旧山陽道街道筋ですが、ご覧のように宿場町の面影を残す建築物がぽつぽつ残っています。建て替えられたりマンションになったり取り壊されて駐車場になったり、街並みとして残っているわけではありませんが、む~パパ、実はこういった残り方が自然で心地よいと思ったり。いつかは消えていくものなのでしょうが・・・。


そうした1軒の「卯建(うだつ)」に本当に「卯」の装飾がありました。ウサギが立っているから「うだつ」なのでしょうか。何やら縁起の良い飾りのように思います。今年が卯年であればタイムリーなんですが、そうは問屋が卸さない、と。

A:人丸前駅
B:大蔵交番
C:中崎公会堂
D:稲爪神社
E:卯のうだつがある建物


大きな地図で見る

人丸前に降りたら天文科学館。駅の南側もちょっと歩いてみませんか?
今度、歩いてみようと思われた方はクリック!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

曽根界隈を歩く

投稿日:



曽根といえば曽根天満宮のお祭りが有名ですが、天満宮の北側に古い街並みが残されているのはご存じでしょうか。高砂駅近辺の古い街並みはPRも盛んで最近有名になってきましたが、曽根はまだまだかと思い、む~パパ、何度か歩いてみたのです。今日ご紹介する写真の季節がいろいろだったりしますが、ご了承ください。

・曽根天満宮本殿
山陽曽根駅を降りてすぐ曽根天満宮の参道があります。天神さまの敷地の東側道路を北に向かい旧国道250号線を越えると、何の変哲もないような住宅地に入ります。入り組んだ路地を歩くと、少し開けたところにお屋敷がありました。旧入江家です。

・旧入江家正面
高砂市ホームページによると、曽根町は古くから海上交通の要所として栄えていましたが、のち製塩業も盛んになったそうです。入江家は製塩で財を成したお宅ということで、そのお屋敷は兵庫県指定重要文化財にも指定されています。通常は非公開で、む~パパ中に入れませんでしたが、保管されているお宝とともに公開される日もあるので、次は内部リポートも出来たらと思います。ただ、お屋敷の保存状態は残念ながらあまり良くないようです。古い日本家屋の保存にはお金がかかりますが、貴重な建物でもあり何とか綺麗にしていただきたいところです。

・旧入江家の裏側。長い蔵が道路に面しています。
旧入江家を過ぎたあたりから西側は江戸~明治時代から建っていそうな古い商家の建物があちこちに残っています。建て替えられたと思しき区画もありますので江戸風情というほどではありませんが、それでも結構な数が残っています。

・なかなか情緒ある街並みです。

・古い時計屋さんを見つけました。

・高砂の3連蔵にはかないませんが、2つの蔵が並ぶ立派なお店です。

さて、日も傾いた頃、小腹がすいたので曽根の街からは天川をはさんで向かい側にある和菓子屋さんに寄りました。

・安田大納言 本店

とりあえず名物という「あん玉」を食べてみました。非常にあっさりした”あんドーナツ”です。歩いた後はほどよい甘さが体に染みました。

A:山陽曽根駅
B:曽根天満宮
C:旧入江家
D:古い時計屋さん
E:2つ蔵のある商家
F:安田大納言

大きな地図で見る


魅力的な曽根町をお散歩してみてください。クリックもよろしく。
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

山陽バスが30周年!?

投稿日:



小正月を過ぎて言うのも何ですが、「あけましておめでとうございます!」
本年もむ~さんパパをよろしくお願いします。

2014年は記念すべき山陽バスの30周年
「え?、何の?」
そう、山陽バスに初めて黄色い路線バスが登場した1984年から、今年はちょうど30年になるのです。もはや黄色くなる前は何色だったのか沿線のみなさまの記憶も薄れているのではないか?と思いますが、昔のカラーリングはまたの機会にご紹介するとして、今回はマニアチックに貴重な資料を特別に公開(?)しましょう。

これは記念すべき黄色い山陽バス1号車の3427号です。1997年に引退するまで13年間垂水の町で活躍していました。

ちなみにこれが後ろから見た黄色い山陽バス1号車。いすゞP-LV214K・ショートオーバーハング仕様(川崎車体)1984年式。こう書くとちょっとマニアック過ぎたかな?

さてさて。ここから公開するのは貴重な資料。む~パパのお友達が所蔵していたもので、30年前のバスのカタログです。

クルマにあるようにバスにもカタログがあります。これは1984年当時のいすゞ路線バスのカタログ。「あれ?山陽バスが???」とお思いの方も多いでしょうが、山陽バスの黄色いカラーリングは当時のいすゞのカタログに載っていたカラーリングだったんですね。さすがに当時としてはあまりに斬新だったためか、日本で同じカラーを採用したバス会社は他に無く、この黄色とグレーの塗り分けが山陽バスのカラーとして定着したのです。
※送迎用など自家用バスとしてこのカラーリングを採用した例はあります。

ここで、このカタログをめくってみますと・・・。

このように黄色だけでなく、青や赤の”山陽バス”が出てきます。何か気持ち悪いですね~。

ただ、同じ塗り分けで「色違い」ということでしたら、赤いものが青森県の南部バス、島根県の一畑バスで走っていますし、現在はありませんが緑のものが三重県の三重交通にありました。それぞれ少しずつアレンジされていますが、みんな山陽バスの兄弟ですね。青いのが走ってるのはむ~パパ見たことないです。

いや~、だいぶマニアックなお話になっちゃいました。では次回をお楽しみに。

山陽バスに乗ってみようと思われたあなたはこちらをクリック!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村