楽しいむ〜さん一家

【東垂水】山陽電車がJRを越えていた場所はここ!

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先日の記事で「山陽電車がJRを越えていた場所」としてご紹介したJR列車線のなぞの石積み(これは前回記事で使用した写真の一部分を拡大したものです)。今回、新たな情報をいただいたので補足します。
今回、大先輩からいただいた写真。右端に見えるのが東垂水駅です。山陽電車が最上段、その下がJR列車線、手前の線路がJR電車線です。列車線のコンクリート擁壁の一区画だけがレンガ積みになっていますが、これこそが山陽電車の橋台を流用したものだそうです!ここを山陽電車が走っていた当時、列車線はありませんから、どうなっていたのか少し想像しにくいのですが・・・。
とすると、以前も書きましたがこのレンガ橋台から少し東寄りの、斜めのスロープ状になった石垣も遺構ではないかと勘繰りたくなりますね。ちょっと無理がありますが・・・。
JR(国鉄)線が複線時代にこの辺りを撮ったものはないかと探してみましたが、発見出来ませんでした。国鉄が鷹取~西明石間を複々線化したのは1965(昭和40)年で、同時に垂水駅が高架化されています。この写真は東垂水駅から東方を撮影したものですが複々線化直後のようで、すでに今と同じような風景です。撮影時期がはっきりしませんが、写っている2700形2702-2703は1964(昭和39)年製、手前のレールを用いた架線柱に1964(昭和39)年9月に塗装した旨記載があります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
山陽電車を利用する、ほとんどの方が東垂水付近で見たことのある灯台。正確には平磯灯標というそうで、1893(明治26)年に完成。む~パパの記憶では昔は赤かったように思うのですが、そもそも最初は黒だったとのこと。貴重な近代化遺産ですね。

情報提供、ありがとうございました。

【検証】開業当時の人丸前駅はどこ?

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旧兵庫電気軌道により開業した山陽電車の兵庫~明石間。先日明石駅の場所を解明しましたが、よく分からないのが遊園地前駅と人丸前駅。当時国道2号線はなく、元の山陽電車の線路敷が国道になったという話もあります。

明石市の市政関係書にある1919(大正8)年の地図。(ネット上にあったものを転載しています。)まだ明石以西の神姫電鉄区間は開業しておらず(開業は1923年)、兵庫電気軌道部分だけです。これを見ると線路はまっすぐ敷かれ、このまま国道になったかのようです。
ところが、1923(大正12)年の地図を見てみると、人丸前駅と遊園地前駅の間はまっすぐではなく、少し南に振っていることが分かります。また遊園地前駅自体、南北道の西にあるのですが1919年版では東にあるようです。上下でホーム位置が違っていたのかも知れません。(出典:埼玉大学/今昔マップ)
上が現在の地図(出典:国土地理院)。1923年にあった道を元に線路を描いてみました。現在も当時と同じ区画が多く残っているのが分かりますが、電車の痕跡は残っているのでしょうか?ここまでの地図を頭に入れて現地へ行ってみました。
遊園地前駅があった現在の桜町交差点。国道2号線の東方向を撮っています。現在の国道はまっすぐですね。線路はここから少し南にSカーブとなっていたのでしょうか・・・?
人丸前駅付近。南から北へ向けて撮影。奥に高架駅となった現在の人丸前駅が見えます。古地図に描かれている北西から南東へ斜めに横切る道は写真右側電柱付近から今も付いています。
斜めの道を北から。国道2号線で分断されていますが、国道南側にも続いています。
こちらが国道の南側。予想が正しければこの写真の真ん中を電車が横切っていたはず・・・。
古地図をたどると、右側に写る民家が最初の人丸前駅があった場所!のはずです。現在の国道2号線より20mほど南側でしょうか。痕跡は全くありません。

旧兵庫電気軌道の路線はまだまだ調査の必要がありそうです。