楽しいむ〜さん一家

【1986年】あのころの阪神電車・須磨浦公園にて

投稿日:


友人の遺した写真をご遺族から譲り受け、公開しています。今回は懐かしい阪神電車の姿をご紹介します。直通特急が走り始める12年前、仲良く阪急電車と須磨浦公園で折り返していた時代の記録です。
こちらへもどうぞ!→【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて
         →【1986年】あのころの阪急電車・須磨浦公園にて

須磨浦公園を出発した3501形。1958(昭和33)年登場。19m3扉の車体や貫通型の正面に2灯のおでこヘッドライトといった「阪神スタイル」を確立した歴史的名車で、赤胴車と言われる塗装はこの3501形から始まりました。この写真が撮影された1986年より8000系への代替廃車が始まっています。(1986.9.14 須磨浦公園)
こちらは7801・7901形。1963(昭和38)年より小型車を置き換える目的で大量増備された車両です。コスト削減のため車体裾を丸める加工をやめ、正面が平面となるなど簡素な外観が特徴です。発電ブレーキも省略されていました。賛否はありますが、む~パパ、阪神電車といえばこれ!という大好きな車両でした。(1986.9.14 須磨浦公園)
終点・須磨浦公園に到着間近の3000系。7801・7901形と増結用の同型車3521形を改造した界磁チョッパ制御車です。写真の先頭に立つ3206は元7812。3521形後期車から改造されたものは正面の雨どいが埋め込み式でしたので顔の印象が異なります。(1986.9.14 須磨浦公園)
7840号。7801・7901形のうち1970(昭和45)年から製造されたグループ。同時期に製造された7001・7101形と組成するため同じ外観です。元々のパートナーである7001・7101形より方向幕の取付けが早かったので、一時期ペアを組んでいる姿はあまり見なかったのですが、全車に方向幕が装備された後は写真のような美しいお揃いの編成も走っていました。ただ、む~パパ的には背の高さが違ういろんな形式を組み合わせた凹凸編成が、かつての阪神電車の魅力だとは思っています。(1986.9.14 須磨浦公園)
上写真の7840号の大阪方に組まれているのが7001・7101形。日本初のサイリスタ・チョッパ制御車(電機子チョッパ制御・力行のみ)で阪神初の冷房車でもあります。写真は同形式のラストナンバー。のち上写真の7801形40番台以降と共に添加励磁制御に改造され2000系となりました。(1986.9.14 須磨浦公園)
旧塗装が懐かしい8000系。この写真撮影時は8211・8213・8215の3編成が登場していました。阪神大震災での被災廃車もあり、リニューアル改造で塗装が変わったりしましたが、現在も直通特急として毎日元気に活躍中。背景に見えるベルトコンベアも神戸市民には懐かしい光景です。(1986.9.14 須磨浦公園)

【1986年】あのころの阪急電車・須磨浦公園にて

投稿日:


前回ご紹介した1986年の須磨浦公園付近。今回は当時乗入れていた阪急電車の姿を追います。
こちらへもどうぞ!→【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて

終点・須磨浦公園駅に到着する阪急6000系。宝塚線に遅れること1年、1977(昭和52)年、6000系は5000・5200系に代わり三宮で増結・解放できる2連+6連として神戸線にデビューしました。6010~6015号が順次登場しましたが、短期間6004号が6連で神戸線にいたことがあります。梅田方先頭車は写真のように電気連結器付き密着連結器を備えていました。連結器の左側に付いている箱はアダプターが収められており、非常時に連結器の違う車両と連結できるようになっていました。(1986.9.14 須磨浦公園)
神戸寄り先頭車は写真のように自動連結器となっていました。現在6000系は支線用を除いて宝塚線に転属し、神戸本線で見ることはありません。当時は車体色もマルーン一色で、む~パパ的には上部にアイボリーを配した現在の塗装は見慣れたとはいえ、今も少し違和感を覚えるのが正直なところです。(1986.9.14 須磨~須磨浦公園)
6000系のうち神戸線で最後に登場した6026号は6026-6676-6686-6126+6016-6116という4連+2連の増結予備車として現れました。乗務員室は同時期に登場した7000系に準じており、む~パパ、この編成に乗車したとき中間に入った先頭車の車掌台側に入れなくなっているのを見てショックを受けたものです(笑)が・・・。写真撮影時の1986年には6026-6126+6016-6676-6686-6116の2連+4連に組み替えられていました。神戸寄りの6116にも密着連結器と電気連結器が備えられているのが分かります。6016号は6連貫通編成として登場しませんでしたが、もし6010号のような6連で登場していたら、中間に「6666号」が現れたはずです。(1986.9.14 須磨~須磨浦公園)
須磨浦公園駅に進入する阪急7000系7016号。7000系は1980(昭和55)年より製造された神戸・宝塚線用車で、6000系をベースとした界磁チョッパ制御車です。出力が大きくなり神戸線でも4M4Tの8連で運転できるようになった万能車で、今のところ阪急最大勢力を誇ります。山陽乗入れに使用された6連は7001・7003・7016・7017・7021・7022・7023が存在したはずですが、この写真撮影時に6両編成のまま残っていたのは7016・7017・7022・7023の4編成と思われます。20番台の2編成は台車に5200系の廃車発生品を使用しているのに対し10番台は完全な新製車で、車内のシートやクーラー吹き出し口など細部が異なっていました。(1986.9.14 須磨~須磨浦公園)
走り去る7016号。阪急7000系は製造途中で多くのマイナーチェンジが加えられました。7011号以降は車体がアルミ製になり、7013号以降は乗務員室直後に窓が復活するなど、趣味的には面白い車両と言えます。近年は大規模な改造工事が加わり、ますます複雑な展開となっています。

【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて

投稿日:


全く個人的なお話になるのですが、昨年亡くなった趣味仲間が長年撮りためた電車・バスの写真を遺していました。このほどご遺族よりこれらの写真などを引き取り、仲間内でその扱いを相談した結果、写真については散逸させず、こうした場で公開していこうということになりました。著作権の問題が生じますので、何かで使用される場合はこのブログのコメント欄にてお願いします。

今回は初回ということで、1986年9月14日、270形電車の「さよなら運転」を須磨浦公園駅付近で捉えた写真をどうぞ。

270形は1959(昭和34)年、旧型車の車体更新車として登場したものです。同じ手法としてはすでに250形がありましたが、これは2000系と同じ形態の車体としたモデルチェンジ車で、270形と呼ばれていました。1次車270~273と2次車の274~289があり、末期は3両編成で普通列車用として活躍していました。
270形などの旧性能車は5000系の登場で全廃されましたが、これを記念して「さよなら運転」が実施されました。この車両は5両編成で営業運転されたことはなく、このような長編成は最初で最後でした。ちなみに山陽電車はまだ4両編成が最長だった時代です。
登場して間もない5000系。新車らしいピカピカの車体が印象的です。270形など最後に残った旧性能車を一掃するため3両編成7本21両が一挙に登場しました。登場時、クロスシートを備えていたのに普通列車専用でずいぶん贅沢な感じがしたものです。写真左には当時乗り入れていた阪急電車の姿が見えます。
5000系が登場した同じ年、在来車の塗装変更が始まりました。写真は初めてこの塗装になった3024号。まだヘッドライトケースや方向幕が現役最終時とは違っています。この車両もすでに過去帳入りしました。
こちらはリフレッシュ工事を受け現在も活躍中の3016号。1・2次車特有の出っ張った方向幕も今は見ることが出来ません。この車両はヘッドライトケースが更新されており、旧塗装時代にもライトケースが銀色の車両が存在したことが分かります。上の3024号はライトケースの中までクリーム色で、塗装変更とライトケース工事は別々に行われていたようですね。
3050形3056号。この編成より空気バネ台車となりライトケースも小さくなりました。ライトケースが銀色でガラスの入ったものになるのは3062号以降ですが、む~パパ的には3056のこの顔のほうが好きでした。側窓下段は当時固定化が進んでいたのか3016号や3024号の写真に保護棒は見えませんが、この3056号にはしっかり付いていますね。外観的には完全に原型と言えると思います。
3050形3100号。登場後3年ということでまだまだきれいですね。もちろん3両目に元祖ホワイトエンジェル3619号を従えています。

む~パパ的には撮影者と同世代ということもあり、写真を見返すと昨日のことのように感じられます。

【板宿】 鉄道模型ファンの聖地「日乃電」

投稿日:


板宿の鉄道模型バー「日乃電」。商店街の再開発に伴い数年前に移転し現在の場所で繁盛中です。む~パパ、移転時にご紹介したいと思っていたのですが、ほどなくコロナ禍でアルコールが出せなくなり時機を逸してしまいました。世の中が元に戻りつつあるので、そろそろ書いても良いかな?と思います。お忘れになった方は以前の記事をどうぞ。
以前の記事はこちら → 2014.5.30 板宿商店街「佃煮屋さん」だと思ったら実は鉄道模型店!?
            2016.7.7 【板宿】商店街の鉄道模型バー「日乃電」

いつも活気にあふれる板宿商店街のアーケード。
「板宿きたいちば」の表示が目印。奥まで入って左に曲がると・・・。
電車の顔と懐かしいバイク「ラビット」がお出迎え。鉄道模型バー「日乃電」へようこそ!
入口が電車の正面貫通路になっています。ガラスの大きなこの電車は阪神881形を模したもの。実物はこの特徴ある貫通扉のデザインから「喫茶店」と呼ばれていました。
お店の中にはこの阪神電車がOゲージ(縮尺45分の1)で再現されています。851形と861形。小型車がたくさんつながって走っていた、かつて阪神電車で活躍した代表選手です。
店内はHOゲージの線路が敷かれ、持参した模型を走らせることが出来ます。取材したのは8月4日(阪神の日)で、阪神電車の模型ばかりを持ち寄り走らせる特別な日でした。手作りの阪神車両が大集合。
こちらは4月の「神鉄の日」神戸電鉄の自作車両が大集合しています。
こちらは3月4日「山陽の日」。山陽電車の模型が大集合!
「雷鳥」が混ざっていますが、それ以外は四国の気動車が集まった「四国の日」。
模型だけでなく貴重な鉄道関係の蔵書もあり、自由に閲覧することができます。酔わないうちに読みましょう。
阪神電車の前頭部に設置された本物のマスコンは神戸電鉄のものとか。
ど~んと実物の信号機。JRのものでしょうか。神戸電鉄の実物部品も多く展示されていますね。
カウンターにも鉄道部品が・・・。みなさん楽しく鉄道談義に花を咲かせています。

実はこのお店、日本全国の鉄道模型関係者に知られる存在で、いろいろと秘密の会合が開かれているそうですよ(笑)。もちろんお酒と模型を楽しめるお店ですので、板宿にお越しの際は是非お立ち寄りくださいね。

【廃線跡】国鉄鷹取駅南専用線を歩く

投稿日:


む~パパ、かつて東須磨に住んでいたので鷹取駅から南へ伸びる引込線の存在は知っていました。特に浜側の道路は踏切が2か所あり、一度も貨車の通過シーンを見たことはないのですが子供心にワクワクしたものです。廃止になって40年、廃線跡はどうなっているのでしょうか。

1974~1978年の航空写真より。専用線は鷹取駅の少し西から分岐し、国道2号線をまたいだところで二股に分かれ、それぞれ石油貯蔵施設に伸びていました。写真で示した山陽電車の線路は東須磨~月見山間です。名門国鉄鷹取工場も今はありません。(出典:国土地理院)
前掲の航空写真で山陽本線から分岐していた部分。当時どうなっていたか記憶が定かではないのですが、現在でもスッパリ切られているのが分かります。ここから築堤となって地平に降りてきたものでしょう。写真右側が鷹取駅方向。
分岐した線路は右へカーブし南へ向かいます。道路との交差部。「C」の看板がある部分が廃線跡。かつての踏切が道路より少し高くなっているのが分かります。
この元踏切から南側の廃線跡を見ると、カーブに沿って細長いマンションが建っています。マンションも微妙にカーブしているのが面白いですね。いかにも「廃線跡」です。
元の踏切部分が盛り上がった道路。廃線時に平坦にすれば良さそうなものですが・・・。ちょっとした地形の変化が鉄道の痕跡を今に伝えています。
この踏切跡の近くに「関西ノート」がありました。神戸っ子なら小学生の時にみんな使ったあの「神戸ノート」は、ここで作られているんですね!ちなみにむ~パパのときはB5版でしたが、む~さんやた~さんはA4版を使っていました。教科別の色や写真に使われた神戸の風景、未だに内輪で盛り上がる話の種になっています。
国道2号線との交差部。写真は南側から撮影。横断歩道部分が廃線跡。線路敷地の幅で建物が建っています。上を走るのは阪神高速道路。
航空写真で二股に分かれているところ。左側すなわち東側の廃線跡はそのまま歩道となって続きますが、西側は建物が建っていて分かりにくくなっています。
ここに来て、まさしく「鉄道用地」らしい細長い空き地が残っていました。この先は不自然に広い歩道となっています。
かつて線路は道路を渡って貯蔵施設へ延びていました。タンク貨車が行列していたはずです。
西側のもう1本はパチンコ店などが建ち線路跡に沿って歩くことが難しいのですが、踏切の跡が盛り上がった道路になって残っていたりして、探索すると面白いものです。

いかがでしたか?廃線跡探索はこれからも続きます。

【東須磨】鷹取工場で整備されたSLたち③~王子動物園のD51 211号(鷹取工場製造番号1)

投稿日:


神戸・王子動物園の外側から見える位置に設置された蒸気機関車D51。この機関車の特別な由来はご存じでしょうか?
最多の1115両が製造され、日本全国で活躍したデゴイチことD51。王子公園に保存された211号は、実は須磨区の鷹取工場で初めて製作された蒸気機関車なのです。
当時、蒸気機関車をはじめとする鉄道車両は川崎車輌など専門のメーカーで作られていたのですが、技術力向上を目指して国鉄工場内でも製作されるようになりました。須磨区の鷹取工場でも蒸気機関車の製作に取り組むこととなり、1938(昭和13)年、最初に作られたのがこのD51形211号なのです。「D51 211」のプレート下に「鉄道省 鷹取工場 昭和13年 製造番号1」の楕円形銘板が取り付けられています。この後も鷹取工場は多くの蒸気機関車を製造しましたが、記念すべきその第1号が王子動物園のD51 211号なのです。

ここで、かなり貴重な写真を公開しましょう。

1971(昭和46)年5月。王子動物園での保存のため、国鉄鷹取工場で整備されたD51 211の美しい姿。同工場では各地で保存される蒸気機関車の整備をしていましたが、このD51 211はこの工場で生まれた第1号の機関車であることから、やはり特別な思い入れがあったようです。(写真所蔵:国鉄OB)
鷹取工場の製造1号機ということもあり、王子公園へ送り出すための盛大なセレモニーが営まれました。多くの工場職員が同席のもと、風船が舞い、美しく整備されたD51は工場を後にしました。
(写真撮影・所蔵:国鉄OB)

鷹取工場に勤務する職員は、近隣社宅(国鉄アパート)に住んでおられる方も多く、最寄りの東須磨駅から山陽電車を利用する方も多かったそうです。山陽電車とも無縁ではない神戸ゆかりのD51。末永く大事に保存されることを祈ります。

【6000系】新車6017号と去りゆく3619号を追う。

投稿日:


6000系の新車6017号が今月から営業運行を始めました。最近ウォーキングにハマっていたむ~パパですが、久々に「撮り鉄」行動に出発。

新車をすぐに撮りたいのは、前にも書きましたが走っているうちに「下回り」「パンタグラフ回り」が、どうしても汚れてしまうので、きれいなうちに記録したいという、ただそれだけです。
(2022.4.10 月見山~須磨寺間)
今回の6017号は3両編成です。今までの3両編成は2編成を組み合わせて6両編成に出来るよう、どちらかの先頭車が中間車として使える幌枠・転落防止幌取付け仕様になっていましたが、今回はどちらの先頭車もそうした準備はなされておらず、純粋に3両編成でしか使わないようです。また、阪神線内に入った時に使う列車選別装置も取り付けられていません。
(2022.4.10 月見山~須磨寺間)

思ったほどうまく撮れなかったので、この列車を追いかけ西へ。

加古川橋梁でサイドから。3号車6117号。床下が全然汚れていません。さすが新車。
2号車6317号。パンタグラフ周辺の屋根もピカピカです。
1号車6017号。
しばらく待っていると、ホワイトエンジェル3619号もやって来ました。
(いずれも2022.4.10 尾上の松~高砂間)
加古川の堤防にはタンポポがいっぱい咲いています。春を実感するには少々暑く感じられる1日でした。ところでこのタンポポ、花びらの下にある総苞片と呼ばれる部分が反り返ってないのは「ニホンタンポポ」だとか。現在外来種「セイヨウタンポポ」が多数派かと思うのですが、む~パパが見て回った限りこのあたり、両岸とも在来種ばかりのようです。カンサイタンポポでしょうか。

6017号はこの日姫路に到着後飾磨車庫に入庫してしまったとのことで、む~パパが撮れたのはこれだけでした。その後は3619号を狙います。

別府駅に移動しました。すっかり忘れていましたが、3078号の3号車にいる3501号(写真手前から2両目)は3076号と組んだ3500号共々、そろそろ危ないかも・・・。
(2022.4.10 別府)
ホワイトエンジェルこと3619号。背景の桜との組み合わせもこれが最後かも・・・。
(2022.4.10 別府)

歩いたり写真を撮ったりするのが楽しい季節になりましたね。

【東須磨】鷹取工場で整備されたSLたち②~太子山公園のD51

投稿日:


東須磨駅も最寄りだった旧国鉄鷹取工場で整備された保存機関車。今回は第2回として太子山公園(兵庫県太子町)のD51を紹介します。

JR網干駅より北へ約2㎞。太子町役場にほど近い太子山公園。網干(山陽網干駅より南側)と播磨新宮を結んだ播電鉄道が遊園地を経営していた場所です。近隣には同鉄道の車庫跡があり、ピットの跡が残されているそうですが、それはまたの機会に取材するとして・・・。この公園にD51が保存されています。
立派な屋根の下で保存されるD51 345号。
4つの動輪が「D」の証。定期的に手入れされているようで、今にも走り出しそうです。
キャブ(運転室)。丸い旋回窓が取り付けられているところから見て、厳しい冬を越してきた機関車であることが分かります。そう、この345号機は1940(昭和15)年に日立製作所(山口県)で製造され仙台に配置された後、戦後は主に北海道で活躍した機関車なのです。1976(昭和51)年、追分で廃車となり、保存のため鷹取工場で整備されました。
鷹取工場構内で。恐らく同工場に入場したのは初めてではないでしょうか。撮影日時不明ですが、廃車・保存時期から見て1976(昭和51)年と思われます。

鷹取機関区に隣接する留置線で。短い排煙板(デフレクタ)や装備から北国のD51であることが分かりますが、縁もゆかりもない太子町に保存されたとはいえ現在も大切にされており、幸せな余生を送っていると思われます。

国鉄マンの手により美しく整備され送り出されたSLたち。現在の姿を追います。

【東須磨】鷹取工場で整備されたSLたち①~播磨中央公園のC56

投稿日:



先日、このようなニュースが舞い込みました。

播磨中央公園のSL、大井川鐵道に譲渡へ「ファンの思い尊重する最善策」|北播|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

SL「C56形」搬入 45年間兵庫の公園に展示 解体予定が大井川鉄道に|あなたの静岡新聞 (at-s.com)

加東市の播磨中央公園に保存されていたC56型蒸気機関車。痛みがひどく解体寸前だったものが大井川鐡道(静岡県)に引き取られたというお話です。

今回静岡へ行った播磨中央公園のC56 135号機。バック運転にも適した切り欠きのある炭水車がC56の特徴です。(撮影 2021.7.4)

写真でも分かりますが、残念ながら全くの放置状態。SLが現役を引退する時期にブームが巻き起こり、全国各地で保存されたものの1両ですがSL自体が人々の記憶から薄れる中、保存への関心もなくなり、アスベスト問題もあってスクラップになることが決まっていました。そもそもこのC56は現役時代兵庫県で走ったことはなく、九州や中国地方で活躍し1974年、鹿児島で最後を迎えました。滝野町文化会館に保存されたのは1975年2月のことです。

実は、現役を引退した蒸気機関車が公園などに保存される前、当時の国鉄工場で美しく整備されてから送り出されています。このC56 135号機は須磨区にあった鷹取工場で最後に整備されました。多くの職員が山陽電車を利用していた沿線ゆかりの国鉄工場でもあり、整備当時の写真をここで公開することとします。(以下1975年撮影)
鷹取工場構内で整備が完了したC56 135号機。まだナンバープレートが付いていません。
ナンバープレートが付いたC56 135号機。
カラー写真もありました。この状態で滝野町へ運ばれました。

新天地でのC56135号復活を祈ります。クリックにもご協力を!
にほんブログ村 鉄道ブログ 関西の鉄道へ にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 兵庫県情報へ
にほんブログ村

【地下化】西代~板宿間の地上線路跡は今

投稿日:



地下化工事の完成直前に阪神・淡路大震災で被災、そのまま地上線から現在線に切り替わった西代駅~東須磨駅間。ついこの間と思っていたのも四半世紀前となり、あの付近で地上を走っていた山陽電車の姿も記憶からも薄れつつあることでしょう。今回はその頃の痕跡がどこかに残っていないか、探索することとしました。

今日の起点は板宿(神戸市須磨区)。いつも賑やかな板宿商店街の南端出口に地上時代の板宿駅がありました。写真は地上駅舎跡で「山陽そば」は地上駅舎時代からありました。線路を挟んで南側にも細い駅舎があり、自動券売機が斜めに置かれていたことを思い出します。

板宿商店街の南端入口から東方向。この道路の下に山陽電車が走っています。

地上時代の同一場所。背景のビルは同じで「餃子の王将」が現在もありますが、茶色のビルに入っている「ケンタッキーフライドチキン」が以前は「ミスタードーナツ」だったことが分かります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

Google「過去の航空写真(1979-1983)」から。写真中央が板宿駅。駅から左斜め上へ延びている白い線が板宿商店街のアーケードです。かつて板宿本通りは北出口の手前で左に少し角度が付いていて、アーケードを抜けた先にダイエーがありました。

板宿駅から西代駅方向に歩いてみても、ほとんど鉄道の痕跡はありませんが、かすかに当時の面影を残しているところがあります。

こちらもGoogle「過去の航空写真(1961-1963)」から。左右に通っているのが山陽電車の線路で、左が板宿方向。写真中央に道路が線路を避けるように上部が欠けている区画があります。線路に沿った道路がここだけ一旦住宅地に入り、再び線路際に戻っています。

分かりにくいですが地上時代の当該地点。西代駅方向。踏切から細い道が線路に沿って付いていますが、写真右の自転車に乗った人物が写る付近で道が無くなり、民家が線路際まで迫っているのが分かります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

現在の同所を西側から。左手に黒っぽい車が走っている部分が地上線跡。航空写真で道路が線路を避けて少し折れている部分に当たります。

東側の線路際へ出ていた部分。奥が地上線跡となります。

地上線跡に出てみました。向こう側が板宿方向。元々線路際まで家が建っていた部分だけ歩道幅が狭くなっているのが分かります。この写真では手前の広い歩道部分のうち、右半分は地上線跡、左半分は元々線路際にあった道路ということになります。

過去の航空写真を見ていると、西代から山陽電車に沿っていた道路が、この辺りで左にカーブする線路と分かれ、板宿方向へまっすぐ伸びているのが分かりました。その延長線上が板宿本通りのアーケードが折れている部分と一致しており、妙法寺川に沿って北上する神戸三木線(県道22号線)の旧道であろうと思われます。近年は区画整理により大半が失われ、現在の航空写真ではごく一部が残るのみとなっているようです。

続いて西代駅付近を探索しています。クリックにもご協力を!
にほんブログ村 鉄道ブログ 関西の鉄道へ にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 兵庫県情報へ