楽しいむ〜さん一家

【リバイバル神戸】神戸市電広島移籍50周年(1156号編)

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前回の582号に続き、もう1両。1156号をご紹介します。582号を撮った同じ紙屋町交差点で、広島港へ向かう1156号。こちらは神戸市電カラーではなく、広島市の姉妹都市であるドイツ・ハノーバーの動物電車カラーとなっています。582号と同様、共通ヘッドマークを掲出。

1156号は1956(昭和31)年に神戸の川崎車輌で製造された1150形のうちの1両で、ワンマン化されていなかった1155号を除く7両が広島に移りました。
神戸に残り小寄公園に保存されている1155号。(詳しくは以前こちらでご紹介しました。)
猿猴橋で。広島駅から広島港へ向かう1番に入った1156号。
夕暮れの広島港で。ゆるやかな曲線で構成された車体のデザインが、かつて「東洋一」と称された神戸市電らしさを引き立てています。
広電本社前で出庫する582号と顔を合わせた1156号。
1156号の車内。582号共々期間中「リバイバル神戸」ポスターで埋め尽くされていました。ちなみに写真で右列のポスターは神戸市営地下鉄でも掲出されていました。
神戸市電時代の1156号写真。神戸市交通局から提供された写真だそうですが、実は撮影者は亀井一男氏(故人:山陽電鉄OB)。ひょんなところで山陽電車の方が登場しました。

元は神戸市電の車両とは言え、神戸で走っていたのはわずか15年。その後現在までの50年を広島の地で過ごしています。神戸に残り公園で静かに余生を過ごしている同僚の1155号とどちらが幸せだったかは分かりませんが、彼らにとって残された時間はそんなに長くないかも知れません。
広電本社(千田車庫)で並ぶ京阪神の市電。左から大阪市電・神戸市電・京都市電。車両の老朽化とバリアフリーに対応出来ない旧型車の活躍の場は狭まりつつあり、現在日中も見ることが出来るのは京都市電の車両だけのようです。かつてあちこちの市電を集め走らせていた広島電鉄も時代とともに変化しています。

今年も「楽しいむ~さん一家」を可愛がっていただき、ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。それでは、よいお年を!
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【リバイバル神戸】神戸市電広島移籍50周年(582号編)

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神戸市電が廃止となって今年で50年。このほど広島電鉄と神戸市交通局が神戸市電車両の広島電鉄移籍50周年を記念し「リバイバル神戸」と称するコラボイベントを実施、共通ヘッドマークの掲示やグッズ販売などが行われました。
広島電鉄公式HPより リバイバルKOBE|広島電鉄 (hiroden.co.jp)
※イベント期間は10/14~12/26。取材の関係上イベント期間中に記事化できなかったことをお詫びいたします。
「リバイバル神戸」ヘッドマークを掲げた神戸市営地下鉄6000系。(2021.10.17 学園都市駅)
西神山手線・海岸線の2編成ずつに掲出されていました。(2021.10.17 学園都市駅)

このヘッドマークが広島電鉄で走る神戸市電車両にも掲出されているため、む~パパ、仲間たちと広島へ突撃!建て替え中で跡形も無くなった駅ビルに戸惑いつつも広電のりばへ。
路線の付け替えにより、数年後には廃線となる猿猴橋町付近を走るグリーンムーバーAPEX(5200形)。ヨーロッパの都市に普及した超低床連接車を国産化したもので、5両編成ですが台車は3つ。最近は全国で同種の車両を見かけるようになりました。

どうやら神戸市電車両は2両とも走っているとの情報。まずは広島市随一の繁華街、紙屋町に移動しました。
紙屋町交差点に現れた元神戸市電の582号。今回のイベントでは黄色の帯を巻いた「ワンマン仕様」となっていました。神戸時代のまま残る緑の塗装が美しいです。582号は神戸市電では500形と呼ばれた車両で、長期に渡り様々なタイプが作られましたが、これは1924年に登場した元々は557号だそうで、最後は592号となりましたが広電移籍時に582号になったとのことで、車体が徹底的に修繕されているとはいえ97年を経たご老体ということになります。神戸市独特の車番書体がそのまま残されています。
広島駅から折返し江波行きとなった582号を原爆ドーム前で撮影。神戸市営地下鉄と同じヘッドマークを掲出しているのが分かります。
その折返しを土橋で捉えたあと・・・、
江波終点で順光撮影。
翌日は昼から貸切運行されたため、広電本社のある千田車庫からの出庫を狙いました。
後年登場する神戸市電スタイルとは一線を画した重厚感あふれるスタイルも魅力的です。

次回はPCCカーとして登場した1156号をご紹介します。クリックにもご協力を!
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【阪神電車】尼崎海岸線廃線跡を歩く(その2)

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今回は阪神電車出屋敷駅から分岐していた「尼崎海岸線」のうち、もはやその跡をほとんど留めていない国道43号線以南の線路跡をたどります。その1はこちら
尼崎海岸線を分断した国道43号線。この国道の建設に伴い、尼崎海岸線は廃止されることとなりました。
前回もご紹介した航空写真(出典:Google 昔の航空写真)。黄色い点線で示した廃線跡のうち、道路として残っている部分を赤で示しました。
現地を南側から撮影。線路跡と言われなければ、何の変哲もない道路となっています。
そこから先。現在は公園となっている部分と隣の敷地を仕切るフェンスが、一応廃線跡に沿った形となっています。
ここから線路はこの道路と並行する形となります。当時の写真を見ても何もないところを電車が走っており、ここからは線路を想像することも難しくなります。
Google昔の航空写真より。道路に沿ってからは航空写真でも線路が付いているかどうか不明確なのですが、出屋敷駅より1つ目の駅「高洲駅」の屋根は辛うじて確認することが出来ます。

現在の高洲駅跡。中央右寄りにあるバス停の屋根付近で、当時と同じ場所に現在の高洲停留所があると思われます。海抜0メートル地帯。ここからさらに東浜まで線路は延びていましたが、地盤沈下による浸水被害のため1951(昭和26)年に休止となり復活することはありませんでした。
ここから先、東浜までは直線で線路が延びていたと思われますが、現在も工業地帯で人通りも少なく寂しいところです。南から北に向かって撮影。
東浜から南側は海ですが、当時は埋め立て地のような感じでこの先も土地が広がっており、今とは地形が異なるようです。また、当時はこの先まで線路が延びていたような感じもするので、東浜駅はもっと先の今は海となっている部分にあったのでしょうか?謎は深まるばかり。
廃線跡近くの民家。恐らく道路をかさ上げした際に家の基礎部分とは段差が出来たものと考えられます。地盤沈下の様子がよく分かります。

痕跡の残っていない廃線跡も興味深い地形が残っています。クリックにもご協力を!
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【阪神電車】尼崎海岸線廃線跡を歩く(その1)

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阪神電車の出屋敷駅から、かつて「尼崎海岸線」という支線が南に向かって延びていました。当時のライバル阪急が阪神エリアを貫く新線計画を立て、それに対抗して阪神が免許申請したもので、この免許、阪神側に下りたため工業地帯への足として建設したものですが、国道43号線の建設に伴い1962(昭和37)年廃線となりました。廃線前は地盤沈下による浸水被害のため先の区間は休止された状態でした。廃線から60年近く。もう痕跡は残っていないものと思いましたが・・・。
おなじみ「Google Map昔の航空写真」より1945~1950年の出屋敷駅付近。尼崎海岸線は出屋敷駅から西へ出発、すぐ南下していました。こんな感じで線路が敷かれているのが分かります。
現在の出屋敷駅付近。よく見ると線路跡が残っているのが分かりますか?
線路跡は工場などに転用されていますが、比較すると現在も線路跡が分かる部分があります。
こちらは現在のGoogle Mapより。出屋敷駅部分を拡大。駅は近代的な高架駅に生まれ変わり、付近は住宅地化していますが・・・。
「出屋敷西公園」が廃線跡を活用しているのは言うまでもないですが、その北側にも阪神本線に合流するカーブ部分の線路跡が一部残っているようです。これは興味深い!

というわけで現地を取材してみました。
出屋敷駅屋上駐車場から南側を撮影。中央部に廃線跡を転用した公園。手前の斜めに仕切られた塀は本線への合流部でしょう。
出屋敷駅。この辺りから尼崎海岸線が南へ分岐していたのですが、高架化された現在そのような光景は想像すら出来ません。
駐車場の奥を斜めに横切る塀。この向こうが出屋敷駅から分岐する廃線跡です。
その先が出屋敷西公園。廃線跡をそのまま転用した細長い公園です。

今回はここまで。続いて国道43号以南の廃線跡をご紹介します。クリックにもご協力を!
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【阪急電車】神戸側起点の上筒井駅跡付近を探索(その2)

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今回は「その2」ということで、阪急神戸線の最初のターミナル、上筒井駅。現在の王子公園から上筒井に至る廃線跡をたどります。
出典:Google昔の航空写真
1945~1950年の王子公園駅(当時は西灘駅)付近。戦後すぐの撮影のようで、空襲の跡も生々しく焼け野原が広がっているようです。山手幹線はすでに延長されていますし、市電も1941(昭和16)年には原田まで延長されています。阪急上筒井線廃止(1940年)から最長でも10年。空襲もあったためか何が何だか分からなくなっているようですが、よく見ると途中までは残っているような・・・。
赤が阪急、青が国鉄(現JR)です。黄色で示した部分が廃線跡です。この時代すでに点線で示した部分は廃線跡が定かではなくなっていますが、実線で囲った部分は土地の形がまだ線路跡であることを示しているようです。
現在(出典:Google 昔の航空写真)。
よく見るとまだ区画としては残っているような感じがします。
阪急上筒井駅跡は現在兵庫県福祉センターの敷地となっています。駅の痕跡は全くありません。
阪急電車はこの写真の左側の敷地(上筒井駅)からこの交差点を斜めに横切って、右側の敷地に入っていました。痕跡は全くありませんが、それ以上に傾斜が急なことが気になります。出発してすぐ下り坂おまけにカーブしていたということでしょうか。

ここから先は廃線跡らしき区画がありますが、私有地ゆえ立ち入りは不可能です。

唯一廃線跡に沿っていると思われる部分。この奥の住宅部分が該当します。

古い地図によると、この道路が途中で折れている部分を上筒井線が横切っていたようです。

恐らく正面のマンションが廃線跡に建っているものと思われます。

何となく残っているような雰囲気なのですが・・・。クリックにもご協力を!
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