楽しいむ〜さん一家

【日本遺産】清酒の生まれた町・伊丹(後編)

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近代的な高層マンションが建ち並ぶ伊丹市中心部に、立派な町屋が建つ一角があります。2022年4月にオープンした「市立伊丹ミュージアム」の一部として保存された酒蔵「旧岡田家住宅」と市内近隣から移築保存された「旧石橋家住宅」です。
旧岡田家住宅正面。手前の店舗部分と奥の酒蔵部分を合わせ国の重要文化財に指定されています。店舗部分は1674年、酒蔵部分は1715年に建築されたものとされ、建築年代が分かる酒蔵では日本最古のものだそうです。
諸説ありますが、いわゆる「清酒」は、ここ伊丹で発明されたものとされます。最盛期は樽廻船により江戸に運ばれ人気を博しましたが、後発の灘五郷に追い抜かれてしまいました。多くの銘柄が他の土地に買い取られる中、現在でも「白雪」「老松」は伊丹で酒造りを続けています。

酒蔵部分には当時使われた酒造りの道具が展示されています。中では案内の方が付いて説明をしていただけますので、いろいろと見聞きすることが出来ます。この蔵、阪神大震災で倒壊したそうですが、耐震工事をした上で復元したとのこと。

伊丹郷町を東へ散策すると、JR伊丹駅すぐ手前に石垣や堀跡が見えてきます。有岡城跡です。
外側の石垣は公園化で作られたもののようですが、本丸跡には当時の石垣が建物礎石や井戸跡とともに残されています。
「官兵衛ゆかりの藤」織田信長に反逆した荒木村重に対し、説得に訪れた黒田官兵衛はこの有岡城に幽閉されてしまいます。その1年の間、官兵衛は藤の花を見て生きる力を得たという故事にちなみ、姫路城の藤を育てた子孫樹の藤棚が本丸の向かい側にありました。

思わぬところで姫路城から来た藤を見ることが出来ました。なかなか良いところです。

【日本遺産】清酒の生まれた町・伊丹(前編)

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阪急神戸線を塚口で伊丹線に乗り換え、数分で到着する終点・伊丹駅。かつて山陽電車に乗り入れていた6000系も活躍しています。
阪急伊丹駅正面。阪神大震災で全壊し再建されてからもずいぶん経ちました・・・。
伊丹は清酒発祥の地とされ、2020年、灘五郷と共に97番目の日本遺産として登録されており、観光地としても力を入れているところ。駅の玄関口に置かれた酒樽。
市内中心部には各所に案内板が設置されており、平坦な地形もあって散策に適しています。伊丹市街地は有岡城の城下町から発展したもので、台地部分を利用した総構えでした。阪急伊丹駅はその台地に沿った西側にあり、今でも中心部とは地形的に段差を生じています。有岡城と言えば、反乱を起こした城主荒木村重を説得するために行った黒田官兵衛が捕えられ、投獄されていたことでも知られます。

まずは、伊丹郷町と呼ばれる江戸時代からの市街地を歩いてみましょう。

旧有岡城総構えの北端に位置し、江戸時代を通じて地域の信仰を集めた猪名野神社。元は猪名寺内にあったものを現在地に遷座したものと言います。
さすが酒造りの町だけに手水も酒樽形。さすがに酒は出て来ませんでしたが(笑)。
境内には酒造家・商人の寄進した石灯篭が数多くあります。400年近く昔のものもあるそうです。写真のひときわ目立つ大きな石灯籠は、天保11(1840)年の銘がありました。

こうして歩いていると、伊丹が空港の町でもあることをすっかり忘れていまして、突然目の前の空を離陸直後の巨大な旅客機が横切っていく姿に驚いてしまいました。

次回は日本最古と言われる酒蔵建築を訪ねてみましょう。

快走!官兵衛号【妻鹿隧道編】

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「快走!官兵衛号」シリーズ第3回目。今回は「姫路ウィーク」ということで姫路市内の撮影地に出かけました。ファンの方にはよく知られた場所です。

トンネルを出てくる3000系を激写!ここは白浜の宮~妻鹿間にある妻鹿隧道(トンネル)の東側。ちょうど両駅の中間付近で、白浜の宮駅から国道250号線を姫路方に歩いて10分くらいのところ。順光はもちろん午前の上り列車。む~パパ、ちょっと寝坊したので現地到着が昼過ぎになってしまい、この写真では正面はもう陰になっています。はっきり言って失敗。もっと早起きしないと・・・。ここ、妻鹿隧道東踏切道から20mほど姫路方の線路際なんですが、この踏切道から下り列車を撮ると・・・、

こ~んな感じで6両編成がキッチリ収まるんですね。このアングルの撮影可能時間帯は昼以後。側面は陰になります。(阪神8000系)

これに味をしめ、ちょっと油断しているうちに「官兵衛号」が来てしまいました。やむを得ず、そのまま踏切道から狙いましたが・・・、

うわ~、顔ばっかり。3両目までしか入りません。見事に失敗です~。

後追いで1枚。もはや敗北感でいっぱい・・・。

「バスまつり」ヘッドマーク付きの山陽5000系直通特急。理想としては背景にトンネルと緑を入れたこのアングルで「官兵衛号」を撮りたかったわけですが、後の祭り。

ここで撮ると、6両編成だと4両くらいがトンネルから外に出ていて、後ろはまだ中です。昔、山陽電車が最大4両編成だったころは、結構このアングルで撮られる方も多かったようなのですが、特急が6両編成になり、一部がトンネルの中なのを嫌われたのか、最近ここでの作例は少なくなりました。

昼を過ぎると下り列車が順光になるので、こういう写真を撮ったりもしますが、これでは妻鹿隧道のそばにいる意味が無いのではないか、と。

またチャレンジするのだ!

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なぜか同じ日に国府山城址を

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あまQさんが妻鹿駅で電車を撮影し御旅山に登っていた、その数時間後。む~さん一家が妻鹿駅に降り立ちました。本当は天気が良かったので市川で山陽電車を撮ろうと思っていたのですが、途中で曇って来るわ雨は降るわで戦意が消失していたのです。

本当は南側から国府山をバックに電車が撮れるかどうかを試したかったのですが、どうも列車全景を入れて撮るのは難しそうだ、と。曇っていたので日光を気にする必要がなくなり、山側(北側)から撮ってみましたが・・・。3000系の3078号。21年に渡って製造された3000系のうち1985(昭和60)年に製造された最終編成です。当初3両編成でデビュー、のちクロスシート化改造を受け、6両編成として特急にも使用されましたが、現在は4両編成で活躍しています。翌1986(昭和61)年からは5000系の製造に移行しています。

すっかり有名になった「黒田職隆」のお墓を経由して国府山城址への登山道の入口、荒神社へ。国府山城はご存じ黒田官兵衛が秀吉に姫路城を譲った後一族を移らせた場所。実はむ~パパ、別件で以前来たことがあるのですが、その際荒神社の清掃をしていた地元の方からは「年代的に官兵衛は忙しい時期で国府山城に住んだことはないはず。一族がいるので立ち寄ったりしたことはあったでしょうが。」と聞いていました。目薬で財を成したという話も懐疑的で「利益があったとしても膨大な数を売らねばならない。」とも。しかしながら、武士としては隠したほうが良いような目薬売りの話が伝わっている以上、何らかの形で目薬や広峰神社との関係があったんだろうな、とは思います。

妻鹿城(国府山城)址の立派な石碑。ふとそれを囲む柵に刻まれた寄進者の名前を見ると、左に「黒田長禮」の名が。すでに故人となっておられますが福岡藩最後の藩主黒田長知のお孫さんで、黒田家14代当主。鳥類学者だったとのことです。姫路との縁が現代までつながっていることに少し感動しました。

実は雨上がりに山登りするのは危険です。整備はされていますが山道であることは変わりません。きちんと晴れた日に行きましょう!頂上ではごく最近整備されたと思われる写真看板がありました。

美しい姿を現した姫路城が遠くに見えます(黄色丸印のところ)。姫路市街、眼下には市川が流れています。もう少し回り込めば御着のほうも望めることでしょう。

南側は市川河口から瀬戸内海、小豆島がよく見えます。交通の要所が効率良く監視できる戦略上のポイントだということが分かります。

ところで、下山するときにも滑って何度か転びそうになりました。ご訪問される場合は足元に十分注意してください。それにしても「官兵衛効果」でしょうか、こんな天気の日でも訪れる人をちらほら見かけました。中には「福岡」ナンバーのクルマで来られている方もいて・・・(官兵衛ゆかりの地を「地元民」として訪れているのでしょう。)。

もちろん電車で来ていただきたいんですけど!

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【ペーパークラフト】姫路城をわが手に(その1)

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姫路城をわが手に!といっても征服するわけじゃありません。絶賛修理中でまもなくその姿を現す天守閣ではありますが、今回はミニチュアのお話。プラモデルではありません。「姫路城を紙で作ろう!」という企画です。もちろん1から作るのではなく、インターネットで見つけたペーパークラフトを作っちゃおうというものです。

今回、利用するのはキヤノンさん(「ヤ」は小っちゃな「ャ」じゃないんですよ!←もちろん受け売りですが。)のホームページに公開されている無料のペーパークラフト。わが姫路城がラインアップされています。(名古屋城や大阪城もあります。)

キヤノンさんのペーパークラフトページはこちら。 http://cp.c-ij.com/ja/contents/1006/

む~パパ、最初はむ~さんに作らせてその模様をここで紹介しようと思っていましたが、ちょっと小学生に作れるレベルではなさそう。まさに「オトナの工作」の領域だと分かって、む~パパ直々にチャレンジすることにしました。

まずは印刷です。   
 
説明書(中央)は絶対必要です。これは普通のコピー用紙か何かに印刷すれば良いです。カラーにする必要はありません。しかし、本体はきれいなインクジェットプリンタ専用の厚紙を使いました。一般的にはペーパークラフト用みたいな感じで売られています。クルマなど、つやのあるものは写真用紙を使っても良いのですが、今回の姫路城はつや消し(マット紙と呼ばれるもの)を使うべきでしょう。

それにしてもA4にして12枚。ちょっと大変な作業になりそうです。

次に工作道具を用意します。
ペーパークラフト作成用具
まずはカッターマット。机を傷付けないために必要です。切る道具はカッターナイフとはさみ。はさみは有名メーカー品を使います。”弘法は筆を選ぶ”ものです。快適な工作には良い道具がどうしても必要になります。接着にはスティックのりが適していますが、強度を必要とする箇所には木工用ボンドも併用します。スティックのりは紙が伸びませんが、木工用ボンドは水分で紙がふやけるので、少量を要領良く使うことが必要です。最後に千枚通し。折り目を付けるときに使います。先は鋭くなくて良いので、インクの出なくなったボールペンも有効です。


準備が出来たら工作開始!
説明書によると上層階から組み立てるらしいです。説明図には従いましょう。勝手に作ると後で部品が付けられなくなったりしますので、これは重要です。まず部品を切り抜きますが、最初から線に合わせて切るのではなく、写真のように周囲を大まかに切り取ります。

細かいのりしろはカッターナイフを使って丁寧に切ります。カッターナイフは切れ味が鈍ったらすぐ刃先を折って、常によく切れるようにしておきます。もちろんカッターナイフの刃は予備を常に用意しておくと安心です。

のりしろなどの折り目に千枚通しでスジを付けているところ。

本当は裏面からスジを付けるほうが表面の印刷を傷付けなくて良いのですが、なかなか難しいので、はっきりと分かるところだけ裏面から付けるのが正解だと思います。

正直言ってシャチの切り取りは難しいです。ちょっと部品が小さすぎて腹ビレなんぞ「どうやって切るんだ!」状態。写真のように屋根はこのような構成です。いきなり接着せず、部品の合いを確かめます。この部分には唐破風(からはふ)が付いています。「唐破風って何?」という方は下の写真を・・・。

というわけで、直線的な千鳥破風よりカーブした唐破風のほうが難しいであろうとは容易に想像が付きます。これ、大天守に8箇所、小天守にもあります。もう勘弁してください・・・。

上の写真は何をしているかと言うと、紙の断面が白く目立つので灰色のペンで塗っているところです。これをするかしないかで、実は出来上がりに大きな差が出ます。それにしてもカーブしている部分、難しいな~。

部品を合わせてみます。接着する手順を考えましたが、まず正面を先に付けて左右は後から接着するほうが良さそうです。

最上部の屋根が半分完成しました。屋根瓦はもっと緩やかなカーブを描いてつながっているはずなのですが、紙でそこまで要求するのは難しいです。

ここまでで1時間経過。このペースだといつ完成するか分かりませんが・・・。

(以下、続く・・・。不定期連載になりそうです。下のバナークリックにもご協力を!)
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快走!官兵衛号【名残の桜編】

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今年の桜は短かったですね~。満開になったと思った週末が荒天おまけに花冷え。気がついたら散ってしまっているではないですか!「いつ花見するねん!」という感じですが、こればかりは仕方ありません。

む~パパ、今年は「山陽電車と桜」の写真を撮るぞ!と気合を入れていたのですが、結局何もしないうちにままになってしまいそうな・・・。世間でも花見はもう終わりみたいな雰囲気の中、貴重な満開の場所が見つかりました。林崎松江海岸駅から西側の線路際がいけそうです。

4月12日(土)の様子。散りかけてはいますが、まだまだ大丈夫。この桜を背景に「官兵衛号」シリーズ第2回目の写真を撮ることにしましょう。

林崎松江海岸駅ホーム西端から狙います。順光ならば午前しかありません。側面は昼頃にならないと日光が回り込みませんが、仕方ありません。
遠方から望遠で。桜並木が綺麗に写りました。いかがでしょう?


もう1枚。踏切脇の1本がひときわ大きく目立ちますので、強調してみました。

官兵衛号の撮影は終わったので、しばらくその辺を散歩してみました。


西松江踏切を南側から。暖かい春の空気を感じる写真になりました。(桜の木の下にいるのはむ~さんです。)


こんな感じはいかがですか~?(上の写真にいる場所からむ~さん撮影)


菜の花も綺麗に咲いています。

と西松江踏切に来てみると、そこにはカメラを構えた「同業者さん」が。「おはようございます!」ということで、いろいろとお話をしました。そこで教えていただいた撮影ポイントで梅田から戻って来た官兵衛号を撮ったのが下の写真。
桜と菜の花と官兵衛号。なるほど~。
沿線のファンの方は長い時間をかけていろいろな撮影ポイントを開拓しておられます。一朝一夕に撮れるものではありません。む~パパ、これからも出来る限りそうした諸先輩方にお伺いして自分で足を運び、撮ってみたいと思っています。


同業者さんと楽しくお話をしているうち、またまた官兵衛号が姫路から上ってくる時刻。今度は南側から後追いで狙ってみました。この日の天候は一応晴れでしたが、ぼんやりと薄く曇った感じで、実は順光も逆光も関係なく撮れたわけで・・・。

最初で最後の桜と官兵衛号の取り合わせ。気に入った方はぜひクリックを。
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快走!官兵衛号【塩屋編】

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今年1月から走り始めた「官兵衛号」。大河ドラマで主人公黒田官兵衛を演じる岡田准一さんを車体にあしらった5030系が、直通特急として姫路~阪神梅田間を毎日行き来しています。沿線にはカメラを持ったファンの姿があちこちに見られ、久々に山陽電車の話題を提供しています。

そうなると、む~パパもカメラを持って沿線へ電車の写真を撮りに行きたくて、うずうずしてきます。今年は沿線の撮影ポイントで「官兵衛号」を捉えたシリーズでご紹介したいと思います。

第1回は塩屋。言わずと知れた山陽電車の撮影名所の一つです。異人館をバックに走る電車を撮るも良し、線路際でSカーブを曲がってくる躍動感あふれる姿を撮るのも良し。隣を走るJRの列車を眺めながら、チューハイでも飲みつつカメラを構えましょう。
※「官兵衛号」のダイヤは山陽電車ホームページで公開されています。撮影前には必ずチェック!!

場所を決めるために「官兵衛号」が通過する30分前には行きました。同じようにカメラを持った方がおられたので「おはようございます!」と挨拶。何本か試し撮り。阪神8000系が来ました。これはこれで貴重な旧塗装。今や山陽電車の線内には3編成しか乗り入れない貴重なカラーリングです。標準レンズでパチリ。ちょっとシャッターを切るまで粘りすぎたようで、画面右側に余裕がありません。かと言って前に余裕を持たせると、ここでは後ろまで入らないようです。

ちょっと東寄りに移動・・・。


塩屋東第1踏切の少し東側から望遠レンズで狙ってみました。「官兵衛」ヘッドマ-ク付きの3000(3050)系アルミカー。4両編成なので後ろ2両がよく写っていませんが、6両編成の「官兵衛号」ならばきれいにS字を描くはず。場所はここに決定!

場所選定に時間を使ってしまい、すでに次の列車が「官兵衛号」のはず。

おっ、時間通りやって来ました!焦らず十分引き付けて・・・。


「パチリ!」まあまあ、こんなもんでしょう。

目標の列車を見送った後「終わった」感に浸りつつ、しばらく撮影を継続。

「後追い(向こうへ行く列車を後ろから撮ること)」で5000系トップナンバーの直通特急を。


3000(3050)系アルミカー。ちょっと”狙って”みました。いい雰囲気でしょ!


踏切のすぐそばにある異人館「旧グッゲンハイム邸」。

今度はこの建物をバックにして撮影チャレンジしようかな、と。

今回撮影したのは☟ここです。


大きな地図で見る

暖かくなったらカメラを持って出掛けましょう。
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廣峯神社と牛頭天王

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む~パパ、小説や漫画を読むと、いわゆる「聖地巡礼」をしたくなるタイプなのです。そう、これは5年前のお話。む~じじの本棚に司馬遼太郎「播磨灘物語」1・2巻があったので何気なく読んでいたら、

あれれ、終わらへんやん!

実は単にむ~じじが2巻で挫折して放置していただけ。実は4巻まであるという事実を知り、3・4巻を買う羽目に。おまけに継ぎ足したのは新装本だったのでム~パパの「播磨灘物語」は1・2巻と3・4巻で本の分厚さと字の大きさが違い、大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映が決まって再読したら3巻以降、字の大きさと書体に慣れなくてしばらく読みにくかったり、と5年前と同じ状態に・・・。1・2巻を買い直す気にもならず現在に至っています。

だいぶ脱線しましたが、要するにそのとき無性に廣峯神社に行きたくなったので、む~さん一家、聖地巡礼しました!というお話なのです。

とりあえず廣峯神社の正面。5年前なのでむ~さん、めっちゃ小っさい。

室町時代築、神仏習合スタイルの本殿を裏手に回ると、丸い穴が並んでいます。これは九星に対応したもの。一体何をする穴かというと(姫路の人はよくご存じだとは思いますが)

右の札にお願いを書いて、自分の星の穴に入れるという単純明快なシステムのためのものだったのです。

はい、この通り。

で、この御幣(ごへい)をもらいます。
「あれ、色がおかしいのではないか?」そうです、気付かれましたか?む~さんが手を突っ込んでいるのは「五黄土星」。御幣は「一白水星」のものなんですね。実はこのとき年女だったむ~さんママが、主祭神である牛頭天王(ごずてんのう)にウシつながりで(あながちこじつけでもないらしい)やってみたもの。む~さん、手を突っ込んでいるだけで実は何もしていません。
その後、む~パパ、ご朱印をもらいました。

お寺で納経、神社では御朱印。最近、若い女性の間で流行っているらしいですね。

さて、この牛頭天王、現在はスサノオと習合していますが同じ神を祭る京都の八坂神社とどちらが本家かということで相当昔から揉めているようです。地元民としては瀬戸内海に面した播磨のほうが本家と思いたいところ。吉備真備が創建者だということですが、備後の素盞嗚神社から勧請したという話もあるようで、なかなか謎につつまれていますね~。

これが備後の素盞嗚神社(広島県福山市)です。茅の輪くぐり発祥の地ということです。スサノオ系では日本で唯一本地堂(本地仏を祭るやつです)が残っています。む~パパ、単に備後一ノ宮ということで何の予備知識もなく行ってみたのですが、ここと廣峯神社の関係は当時全く知りませんでした。

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