楽しいむ〜さん一家

【神戸電鉄】クラウドファンディングでよみがえった「デ101」

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神戸電鉄のデ101形は、同社の前身である神戸有馬電気鉄道が開業翌年の1929(昭和4)年に製造した車両で、開業時に用意されたデ1形の増備車です。トップナンバーであるデ101号は1971(昭和46)年に引退後も鈴蘭台工場に残され入換用車として余生を送っていましたが、2016(平成28)年に使用終了となりスクラップになる運命が待ち構えていました。

入換車として最後のお披露目となったデ101号。神鉄トレインフェスティバルで走行する姿。(2015.10.4 鈴蘭台車庫)

痛みが目立つ車体。誰もがこのまま解体されるものと思っていました。

が、ここに立ち上がったファンの団体がありました。有志で集まった「デ101まもり隊」により神戸電鉄の協力を得てクラウドファンディングを実施、集まった資金で保存に向けた修理工事が始まったのです。そして今年、2022(平成4)年4月23日、予定された工事が完了し一般公開(ただし申込み多数のため抽選)されました。

美しくよみがえったデ101号。今回は入換車として整備された姿としているそうです。本来は側面に客用扉や窓がありますが、入換車とする際埋められており、これを復元するのは将来の課題と言えましょう。※「101」の文字は撮影用の小道具で、実際は付いていません。(2022.4.23 鈴蘭台車両工場)
今回、特に腐食のひどかった車体すその部分は徹底的に補修されています。なお、当初は走行できる状態での保存を目指していましたが、機器の劣化が進行していたため、現在自力で走行することは出来ません。(2022.4.23 鈴蘭台車両工場)

この角度から見ると、埋められた窓がよく分かり、現役時代の姿が想像できます。(2022.4.23 鈴蘭台車両工場)

「デ101まもり隊」の次の目標は、入換車ではなく本線で走っていた現役時代の姿に戻すことでしょう。神戸電鉄創業期の貴重な姿を残す車両を後世に残すのは技術遺産としても意義のあることと思われます。

神戸電鉄と同じ「パーミル会」に所属する富士急行の河口湖駅前(山梨県)に保存されている、同社前身である富士山麓電気鉄道モ1形電車。神戸電鉄デ101と同系の車両で同じ日本車両製。デ101も最終的にはこの姿に戻せれば良いでしょうね。(2018.4.29 河口湖駅)

【検証】兵庫電気軌道は明石のどこを走っていた?

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前回、山陽電車の前身の一つである兵庫電気軌道(兵電)の明石駅がどこにあったか探り当てました。しかし謎は続きます。電車の通っていたカーブはなぜ街中に作れたのか?そもそもクランクの多い街路にどうやって線路を通したのか?少し考えてみました。

復習となりますが、1923年の地図。明石周辺の5駅の位置関係です。国鉄明石駅は現在のJR明石駅。神姫明石駅は高架になる前の山陽明石駅(電鉄明石駅)です。(出典:埼玉大学/今昔マップ)
というわけで、もっと昔へ飛んでみます。国立公文書館サイトで見ることが出来る「播磨国明石城絵図(重要文化財)」。1644年といいますから江戸時代。380年くらい前ですが、現在と大きく変わっているわけではありません。現在の国道2号線の無かった1923年の地図と比較すると、結構そのまんまだということが分かります。

浜国道の一部がクランクとなっていますが、1923年の地図でもまだそのまま。のち拡幅によって現在の形になったと考えられます。大明石町1丁目交差点からSカーブを描いている南北道。間にお城の堀があったため元々1本の道路ではなかったもので、兵庫電気軌道のカーブがあったからというわけでもなさそうです。

大明石1丁目交差点から国道2号線東方向。江戸時代の明石では外堀が巡らされ、その堀を埋め立てて線路が敷かれていました。併用軌道だったのかも知れません。さらに線路の移設後は国道2号線として整備されました。現在から見ると想像もつきません。

現在の明石駅前交差点。南西角すなわちこの写真を撮影した場所に兵電明石駅前駅があったと考えられます。
ここで現在の地図(出典:国土地理院)に1644年時点で存在していた道を赤色で、堀を青色で描いてみました。何となく見えてくるものがありますね。

遊園地前駅、人丸前駅はどこにあったのでしょう。ここから東へ歩いてみました。

【廃線跡】兵庫電気軌道時代の明石駅を探す

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山陽電車の本線は2つの異なる鉄道、兵庫~明石を開業した兵庫電気軌道(兵電)と、明石~姫路を開業した神戸姫路電気鉄道(神姫電鉄)から成り立っています。別の鉄道だったため明石駅も違う場所にあり、現在の山陽明石駅は地上時代、神姫電鉄の明石駅があった場所とのこと。では、兵電時代の明石駅はどこにあったのでしょう。昔の地図(1923年)から見てみましょう。

出典:埼玉大学教育学部「今昔マップ」

上図の赤線が兵庫から来た兵電の線路、青線が姫路から来た神姫電鉄の線路です。兵電は遊園地前(現存せず)、明石駅前を経て今の播淡汽船の乗り場前を明石駅としていました。こう見ても違う鉄道であったことが分かります。(両社が一緒になった宇治川電気時代に連絡線路が設けられ、兵庫~姫路間が直通運転するようになりましたが、当初は両者の架線電圧が異なっていたため明石以東だけを運行する車両がありました。)

現在の同付近地図。(出典:国土地理院)
城下町らしい、見通しをあえて悪くした街路が今も残っていますが、1923年の地図が正確であるとして、当時から残る道路を簡単に色付けしてみました。国道2号線は兵電の線路跡を流用したものと言われておりまだ存在していません。こうして見ると、魚の棚商店街西側の入口付近の南北道が不自然にカーブしており、これが1923年の兵電線路と一致します。
兵電明石駅へ向かう線路跡を流用した道路。大明石1丁目交差点。道路がS字にカーブしています。
奥の左にカーブした部分は線路跡をそのまま残していると考えられます。左に魚の棚商店街の西側入口が見えます。
元々の南北道路と兵電線路跡の間にある三角形の土地。1923年の地図にも描かれており、建物の変遷はあったのでしょうが、土地の形状は変わっていないものと思われます。奥が魚の棚商店街。
同じ場所から西側。古い地図では奥まで道路が付いていませんが現在は延長されており、新しく延びた部分は道路幅が手前より狭いことが分かります。
明石港前交差点。車が出て来る道路部分が兵電明石駅のあった場所でしょう。
電車を降りた乗客は、目の前にある港から淡路島に渡っていました。

次回と予告しながら1回空いてしまいましたね。

【6000系】新車6017号と去りゆく3619号を追う。

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6000系の新車6017号が今月から営業運行を始めました。最近ウォーキングにハマっていたむ~パパですが、久々に「撮り鉄」行動に出発。

新車をすぐに撮りたいのは、前にも書きましたが走っているうちに「下回り」「パンタグラフ回り」が、どうしても汚れてしまうので、きれいなうちに記録したいという、ただそれだけです。
(2022.4.10 月見山~須磨寺間)
今回の6017号は3両編成です。今までの3両編成は2編成を組み合わせて6両編成に出来るよう、どちらかの先頭車が中間車として使える幌枠・転落防止幌取付け仕様になっていましたが、今回はどちらの先頭車もそうした準備はなされておらず、純粋に3両編成でしか使わないようです。また、阪神線内に入った時に使う列車選別装置も取り付けられていません。
(2022.4.10 月見山~須磨寺間)

思ったほどうまく撮れなかったので、この列車を追いかけ西へ。

加古川橋梁でサイドから。3号車6117号。床下が全然汚れていません。さすが新車。
2号車6317号。パンタグラフ周辺の屋根もピカピカです。
1号車6017号。
しばらく待っていると、ホワイトエンジェル3619号もやって来ました。
(いずれも2022.4.10 尾上の松~高砂間)
加古川の堤防にはタンポポがいっぱい咲いています。春を実感するには少々暑く感じられる1日でした。ところでこのタンポポ、花びらの下にある総苞片と呼ばれる部分が反り返ってないのは「ニホンタンポポ」だとか。現在外来種「セイヨウタンポポ」が多数派かと思うのですが、む~パパが見て回った限りこのあたり、両岸とも在来種ばかりのようです。カンサイタンポポでしょうか。

6017号はこの日姫路に到着後飾磨車庫に入庫してしまったとのことで、む~パパが撮れたのはこれだけでした。その後は3619号を狙います。

別府駅に移動しました。すっかり忘れていましたが、3078号の3号車にいる3501号(写真手前から2両目)は3076号と組んだ3500号共々、そろそろ危ないかも・・・。
(2022.4.10 別府)
ホワイトエンジェルこと3619号。背景の桜との組み合わせもこれが最後かも・・・。
(2022.4.10 別府)

歩いたり写真を撮ったりするのが楽しい季節になりましたね。

【寄り道】明石公園でお花見をしました。

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む~パパ、本当のところは山陽電車の前身である「兵庫電気軌道」の旧線跡をたどっていまして、旧明石駅なんぞを探そうと山陽明石駅に降り立ったのですが、天気も良いし「ついでに」花見もしようと明石公園にやって来ました。

お城のある町は間違いなく品格があります。明石や姫路の町は城下町の風情を今に伝えています。おかげで旧線跡探索が出来るわけですが・・・。
明石公園=明石城なのですが、現在も当時の櫓(やぐら)が2基残されており重要文化財に指定されています。こちらは南西側にある坤(ひつじさる)櫓。伏見城から移築されたものと伝わります。
もう1基が巽(たつみ)櫓。現在の明石警察署裏にあった船上城から移築されたと伝わります。元々は乾櫓、艮(うしとら)櫓と合わせ、4基ありました。坤櫓に隣接して天守台がありますが、結局天守閣は築かれませんでした。
2つの櫓はあえて向きを変えて設置され非対称になっており、このことが一種の音楽的なリズムを感じさせます。
桜の下には雪柳が咲き誇っていました。
城郭部の北に広がる「剛の池」。取材に訪れた4月2日、見た感じは5分咲きという状態でしたが、近くに寄ると下の方は満開で本当に見事なものでした。
今週はまさに見頃。次の土日まで楽しめるでしょうか・・・?
動物たちも春を楽しんでいます。公園はサギの巣がたくさん・・・。
高い建物が無かったその昔。ここに立つと明石海峡を一望できたはず。国防上重要拠点だったことがよく分かります。折しも山陽電車の6000系が姫路に向かって出発していきました。
この日はキッチンカーが多数出店していました。その中に懐かしいウォークスルーバン(トヨタ・クイックデリバリー)が。かつて「宅急便」用として全国を走った初代型。今となってはかなり珍しいと思われます。

と言うわけで、次回は本題である「明石旧駅跡を探す」をお送りしましょう。