楽しいむ〜さん一家

【3619号】ホワイトエンジェルHMと注目の車両を追う。

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かの「ホワイトエンジェル」こと3619号が5月5日限りで引退そしてヘッドマーク(HM)掲示とのニュースに触れ、いわゆる「葬式厨」になりたくない!と思いつつ沿線で撮影してしまういけないむ~パパ。

天使の舞う中に3619号の正面イラストが描かれたHM。(2022.4.24 飾磨)
1号車側は3100号。なぜかこちらも「3619号Last Run」HM付き。あくまで脇役だとは思いますが・・・。(2022.4.24 飾磨)
あまり撮ったことのない場所で・・・。(2022.4.30 藤江~中八木)
3070号。今回引退した3619号と編成を組んでいた3100-3101と3070-3071が交換される形となり、神戸寄りの3070-3071は編成から外れました。多くのファンは3100-3101が3500・3501と置換えられ、付随車化されるものと予想していただけに、意外な展開です。3070号、廃車にはならないとは言えこの連休が編成としては最後の姿となりました。(2022.5.3 西二見~播磨町)
3501号。GW前に3078号の編成から外れました。これは3両編成の入場による不足分を補うための措置と思われ珍しいことではないのですが、前述のとおり3619号引退に伴う3070・3071号の処遇のこともありますので、復活するかどうか微妙なところです。(2022.4.24 飾磨)
前回あまり満足のいく出来でなかった新車6017号を再撮影。「新車をきれいなうちに撮る」プロジェクトですが、残念ながら床下機器が少し汚れてきています。でも、まだまだきれいですよ!(2022.5.3 西二見~播磨町)

6017号投入に伴う車両の動きについてまとめてみました。いよいよ3000系未更新車の置換えも大詰め。ここ数年沿線を沸かせた引退ヘッドマークもお終いということになりそうです。

【6000系】新車6017号と去りゆく3619号を追う。

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6000系の新車6017号が今月から営業運行を始めました。最近ウォーキングにハマっていたむ~パパですが、久々に「撮り鉄」行動に出発。

新車をすぐに撮りたいのは、前にも書きましたが走っているうちに「下回り」「パンタグラフ回り」が、どうしても汚れてしまうので、きれいなうちに記録したいという、ただそれだけです。
(2022.4.10 月見山~須磨寺間)
今回の6017号は3両編成です。今までの3両編成は2編成を組み合わせて6両編成に出来るよう、どちらかの先頭車が中間車として使える幌枠・転落防止幌取付け仕様になっていましたが、今回はどちらの先頭車もそうした準備はなされておらず、純粋に3両編成でしか使わないようです。また、阪神線内に入った時に使う列車選別装置も取り付けられていません。
(2022.4.10 月見山~須磨寺間)

思ったほどうまく撮れなかったので、この列車を追いかけ西へ。

加古川橋梁でサイドから。3号車6117号。床下が全然汚れていません。さすが新車。
2号車6317号。パンタグラフ周辺の屋根もピカピカです。
1号車6017号。
しばらく待っていると、ホワイトエンジェル3619号もやって来ました。
(いずれも2022.4.10 尾上の松~高砂間)
加古川の堤防にはタンポポがいっぱい咲いています。春を実感するには少々暑く感じられる1日でした。ところでこのタンポポ、花びらの下にある総苞片と呼ばれる部分が反り返ってないのは「ニホンタンポポ」だとか。現在外来種「セイヨウタンポポ」が多数派かと思うのですが、む~パパが見て回った限りこのあたり、両岸とも在来種ばかりのようです。カンサイタンポポでしょうか。

6017号はこの日姫路に到着後飾磨車庫に入庫してしまったとのことで、む~パパが撮れたのはこれだけでした。その後は3619号を狙います。

別府駅に移動しました。すっかり忘れていましたが、3078号の3号車にいる3501号(写真手前から2両目)は3076号と組んだ3500号共々、そろそろ危ないかも・・・。
(2022.4.10 別府)
ホワイトエンジェルこと3619号。背景の桜との組み合わせもこれが最後かも・・・。
(2022.4.10 別府)

歩いたり写真を撮ったりするのが楽しい季節になりましたね。

【3619号】ホワイトエンジェルの39年

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6000系の18本目となる6017号が東二見に搬入され、まもなく運転開始が見込まれます。となると入れ替わりとして動向が気になる「ホワイトエンジェル」こと3619号。今回は突如真っ白になって登場した1983(昭和58年)の写真を交え、この車両を少しご紹介しましょう。

検査直後の3619号。現在と同じ姿です。(2012.8.13 東二見車庫)写真:山陽電気鉄道

3619号は3000系3次車後期型(3619~3622)に分類されます。昭和50年代には3018号4両編成の3号車に組み込まれ、3018-3019-3619-3609として活躍していました。3000系が3両編成から4両編成になる過渡期には、このように先頭車が中間に入る編成が見られましたが3619号は最後まで中間に残り目立つ存在でした。のち3018号は3連化。編成から外れた3619号は冷房改造されるまで休車状態だったようです。

1983(昭和58)年、3619号は冷房改造されるとともに新造されたアルミカー3100-3101号に合わせた白い塗装となりました。写真はまもなく搬入される3100-3100号を出迎えるため、東二見から送り込まれたと思われる3619号。3050形アルミカー4両編成に引っ張られて西代までやって来ました。すでに車庫は東須磨に移転後で建物は無く、このように数本の線路が敷かれている状態。県立スポーツ会館(震災で被災後、解体)、地上にある西代駅舎、教習車830号の姿が見えます。(写真:山陽電気鉄道)
同じ日の別角度からの写真。3619号は同時に登場した3622号までの4両とも当時はウイングバネ式のKW-2台車を履いて登場したようですが、この4両分の台車は当初から3000系アルミカー3000~3003号と交換するため電動化できる設計だったらしく、数年のうちに交換されこの写真のように軸ハリ式のOK台車となっています。む~パパも3619~3622号はOK台車を履いていた印象が強いです。(写真:山陽電気鉄道)
3619号に取り付けられた電気連結器付き回り子式密着連結器。どこまで具体的に構想されていたのか不明ですが、3100-3101号は3000系4連に増結し6連を組めるようになっていました。3101号には簡易運転台があり(準備工事のみ)、本線上で増結解放するつもりだったと考えられます。3619号はそれまでの準備のため対応した連結器を取り付けていましたが、現在は他車と同じ棒状連結器となっています。(写真:山陽電気鉄道)
3100-3101号と組む際、不足する空気を補うため3619号にはコンプレッサーが取り付けられました。山陽電車ではおなじみのC-1000やHB-2000ではなく、C-2000Mと呼ばれるもので270形初期車から流用されたものと考えられます。写真の時期に山陽電車で実装されたこのコンプレッサーは1台だけでした。(2006.12.5 東二見車庫)写真:山陽電気鉄道

のち、3050形のコンプレッサー更新により捻出されたHB-2000に交換されています。(2012.8.13 東二見車庫)写真:山陽電気鉄道

3619号の活躍も、もうあと少しと考えられます。機会があれば今後も古い写真を公開しましょう。

【現役最古のアルミカー】山陽電車3501号の登場時

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山陽電車OBのZ氏から貴重な写真をいただいたので公開します。長い間編成から外れていた山陽電車3000系の3501号登場時のもので、当時3両編成だった3000系を4両化するために増備され、運び込まれた直後のようです。
3078号に組み込まれた3501号。10年以上前の写真ですが現在でもこの姿のままです。
(2007.9.5 東二見車庫 写真:山陽電気鉄道)
誕生直後の3501号。もちろん冷房は付いていません。下回りも塗りたてのようで「未使用」状態です。(1968.5.15 東二見車庫)
台車。3500号・3501号は軸ハリ式台車を履いていた印象が非常に強いのですが、1968年に製造された2次車にあたり、他の鋼製車と同じウイングバネ式台車を履いて登場しました。ただ、かなり早い時期に3600号・3601号と交換して軸ハリ式台車を装着しており、営業運転開始時には交換されていた可能性もあります。
このブログで以前ご紹介した写真。まだ方向幕が取り付けられていない時代ですが、すでに3501号と3601号の台車は交換され、3601号のほうにウイングバネ式台車が付いているのが分かります。
検査標記。当時西新町にあった「明石工場」の文字が見えます。東二見工場稼働前でしょうか?撮影は東二見なのですが・・・。
窓下に特徴ある「うろこ模様」があることが分かります。また、上段窓サッシの角は3両編成で登場した3000-3001-3600と3002-3003-3601はRが付いていますが、3500号・3501号は当初よりRは無かったことが分かります。
サッシ上部にRのある元の編成。(1964年 写真所蔵:山陽電気鉄道)
登場時は妻面に栓受が付いていましたが、現在は取り外されています。ごちゃごちゃとジャンパー栓が付いている姿は魅力的ではありますが・・・。

何十年と経つ間に、絶えず手を加えて車両はメンテナンスされています。クリックにもご協力を!
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【禁断の平面交差】山陽長田駅周辺の今昔(その2)

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前回は長田駅の今昔をお届けしましたが、今回はいよいよ禁断の(?)平面交差があった長田交差点をご紹介します。

現在の長田交差点(南西角から北東角を撮影)。東から来た山手幹線がこの交差点の北側で南に90度曲がり、同じく東西をつなぐ中央幹線と直交します。山手幹線には神戸市電が、中央幹線には山陽電車が走り、ここで平面交差していました。山陽電車は神戸高速に姿を変え1968(昭和43)年に地下化、市電は1971(昭和46)年に廃止となりました。
1968(昭和43)年頃の長田交差点。現在の写真と比較すると、左端の4階建ビルは現在も残っているのが分かります。市電との交差部分を通過直後の山陽電車2000系2012号。今も東二見に保存される日本初のアルミカーです。電車の右に見えるトラックはマツダ・ロンパー。電車の左にはトヨタ・初代ハイエース(1967年発売)が見えます。ロンパーの後ろにはいすゞTX型ボンネットトラックの姿もあります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
同じ場所を南北に通過する神戸市電800形。700形で確立された神戸市電スタイルを発展させた大型3扉車で、以後神戸市電の決定版となった車両です。市電の架線電圧は600V、山陽電車は1500Vで、交差部は電気が流れていないデッドセクションでした。車が割り込んだりしてここで市電が停止してしまうと起動することが出来なくなり、乗客が降りて電車を押したという逸話も残っています。市電の前にいる白っぽい車は日産・サニーバン(初代)。すれ違う市電の間に見えるのは日産・セドリックバン(130系・前期型)のようですね。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
交差点の反対側、南東角から北西方向を撮影。角地には山陽長田ビルが見えます。
1968(昭和43)年頃の同所。写真中央の村野工業高校の建物は今も変わっていません。市電との交差部に山陽電車3000系兵庫行き特急がやって来ました。写真の3006号は今も同じ3両編成で活躍中です。現在の山陽長田ビルの部分には「神戸市仮設店舗住宅」が建っていますね。電車の隣を通過する40系コロナ。信号待ち?の面白い顔をしたトラックはトヨタ・トヨエース。右端にキャブ部分だけ写っているのはダイハツ・ハイゼットです。左遠方には当時の長田消防署が見えています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

今も残る当時の建物、年代を確定できる当時の車。昔の写真からもいろいろなことが分かります。クリックにもご協力を!
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【地下化】西代駅周辺の地上線路跡をたどる

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前回の続きです。(11/7 写真追加)

阪神淡路大震災まで板宿駅とともに地上にあった西代駅。現在の山陽電車の起点です。1968(昭和43)年の神戸高速鉄道開業以来、ここから地下の高速長田駅に向かっていましたが、それまでは長田駅を経て道路上を兵庫駅へ向かっていました。
地上線跡は道路となっています。写真は板宿側から西代駅方向です。正面に山陽電車を越えていた道路橋が見えます。この先で線路は急カーブで左に曲がり、すぐ西代駅がありました。現在線路と駅は地下にありますが、基本的に地上時代と線路の形は変わっていません。
地上時代の西代駅を出発した3050形アルミカー。山陽電車の駅によく見られる形の橋上駅舎がありました。1988(昭和63)年8月15日。西代駅の西にあるのに「西代東踏切」なのは元々駅がこの地より西側にあったことを物語っています。
かつて西代には山陽電車の車庫がありました。地下化工事のため車庫は東須磨に移転しましたが、車庫移転後も側線が残り新造車の搬入などに使われていました。写真は1968(昭和43)年頃。神戸高速鉄道開通直前、西代駅橋上駅舎から西方向を撮影したもの。兵庫へ向かう3000系特急の姿。中央は旧下りホーム跡で当時は運転指令室として使用されていました。左下隅に地下道入口が写っていますが、現在もこの場所に残っています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
西代駅すぐ西側にあった踏切跡から東方向。中央に地上時代の写真にあった地下道の入口があります。旧線路跡と南側の地盤に段差があります。
この写真は1968(昭和43)年、神戸高速鉄道開業直前、西代駅東方で地下線へ入る3000系と、兵庫駅から地上線をやって来た2000系ステンレスカー2014号の姫路行き特急。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
11/7写真追加。同じ場所を同じ角度から。現在では電車が地下に潜っていた場所とはとても思えません。
同じ場所を西方向へ。歩道の左側(南側)の道がここで途切れており、かつて地下へ向かう勾配の横に付いていた道路だということが分かります。
同場所の航空写真(出典:Googleマップ)。兵庫スバル自動車の北側がかつてトンネルの入口があった部分です。

引き続き旧長田駅付近へ向かいます。クリックにもご協力を!
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【地下化】西代~板宿間の地上線路跡は今

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地下化工事の完成直前に阪神・淡路大震災で被災、そのまま地上線から現在線に切り替わった西代駅~東須磨駅間。ついこの間と思っていたのも四半世紀前となり、あの付近で地上を走っていた山陽電車の姿も記憶からも薄れつつあることでしょう。今回はその頃の痕跡がどこかに残っていないか、探索することとしました。

今日の起点は板宿(神戸市須磨区)。いつも賑やかな板宿商店街の南端出口に地上時代の板宿駅がありました。写真は地上駅舎跡で「山陽そば」は地上駅舎時代からありました。線路を挟んで南側にも細い駅舎があり、自動券売機が斜めに置かれていたことを思い出します。

板宿商店街の南端入口から東方向。この道路の下に山陽電車が走っています。

地上時代の同一場所。背景のビルは同じで「餃子の王将」が現在もありますが、茶色のビルに入っている「ケンタッキーフライドチキン」が以前は「ミスタードーナツ」だったことが分かります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

Google「過去の航空写真(1979-1983)」から。写真中央が板宿駅。駅から左斜め上へ延びている白い線が板宿商店街のアーケードです。かつて板宿本通りは北出口の手前で左に少し角度が付いていて、アーケードを抜けた先にダイエーがありました。

板宿駅から西代駅方向に歩いてみても、ほとんど鉄道の痕跡はありませんが、かすかに当時の面影を残しているところがあります。

こちらもGoogle「過去の航空写真(1961-1963)」から。左右に通っているのが山陽電車の線路で、左が板宿方向。写真中央に道路が線路を避けるように上部が欠けている区画があります。線路に沿った道路がここだけ一旦住宅地に入り、再び線路際に戻っています。

分かりにくいですが地上時代の当該地点。西代駅方向。踏切から細い道が線路に沿って付いていますが、写真右の自転車に乗った人物が写る付近で道が無くなり、民家が線路際まで迫っているのが分かります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

現在の同所を西側から。左手に黒っぽい車が走っている部分が地上線跡。航空写真で道路が線路を避けて少し折れている部分に当たります。

東側の線路際へ出ていた部分。奥が地上線跡となります。

地上線跡に出てみました。向こう側が板宿方向。元々線路際まで家が建っていた部分だけ歩道幅が狭くなっているのが分かります。この写真では手前の広い歩道部分のうち、右半分は地上線跡、左半分は元々線路際にあった道路ということになります。

過去の航空写真を見ていると、西代から山陽電車に沿っていた道路が、この辺りで左にカーブする線路と分かれ、板宿方向へまっすぐ伸びているのが分かりました。その延長線上が板宿本通りのアーケードが折れている部分と一致しており、妙法寺川に沿って北上する神戸三木線(県道22号線)の旧道であろうと思われます。近年は区画整理により大半が失われ、現在の航空写真ではごく一部が残るのみとなっているようです。

続いて西代駅付近を探索しています。クリックにもご協力を!
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【とれいん】旧標準色3030号が特集記事に!

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今月発売の鉄道模型誌「とれいん」通算563号で、山陽電車3000系の旧標準色車3030号が特集記事となりました。

表紙にどど~ん、と山陽3030号!一般書店に流通する商業雑誌の表紙に山陽電車が登場したのは、鉄道ピクトリアル誌「山陽・神鉄特集」2001年12月号以来20年ぶりではないでしょうか。また、3000系が表紙になったのは、機芸出版社「鉄道模型趣味」1985年12月号以来36年ぶりと思われます。いやはや、こんなマイナー私鉄を表紙にしていただいて、ありがたいことです。

今回は3030号の旧標準色車にスポットを当て、塗装変更の過程を詳しく紹介。

鉄道模型誌ゆえ、模型製作に必要となる山側・浜側両面の側面写真。床下機器が両面とも掲載されています。ここまで載せている雑誌は「とれいん」だけ。

これも鉄道模型製作に必要な詳細図面付き。床下機器配置図に加え、屋上配管図も掲載されており、3030号を模型で再現しようと思われる方には十分な資料となることでしょう。

公式サイトはこちら↓気になる方はご購入ください!
月刊とれいん公式サイト (etrain.jp)

定価1,595円。全国の書店で発売中です。クリックにもご協力を!
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【あと2両】3000形3次車の今【山陽3000系】

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6000系増備により編成単位での3000系未更新車は全て姿を消しました。特に淘汰対象となったのは3000形3次車と3050形初期車で、例外的に2次車の一部に廃車が出たものの、未更新だった大部分の車両が姿を消したことになります。結果として現在3000系は未更新車がわずかに残るものの3000形2次車(3004~3020 ※3004は廃車)の更新車と3050形のうち空気ばね台車で登場したものだけとなりました。今回は3000形3次車のうち、去就が注目される「ホワイトエンジェル」こと3619号と、偶然1両のみ更新され残存した3506号をご紹介します。

アルミカー3100号の3号車として長らく活躍している3619号。旧標準色時代は非冷房で、冷房化と同時に現在の白色となったため、鋼製車ですが現塗装をまとったことはありません。アルミ製3500・3501とともに更新工事から外れ、今後の6000系増備により去就が注目されます。なお未更新車には3066号の4号車3638もあり、こちらの動向も気になります。(山陽塩屋~滝の茶屋間)

3060号。写真手前から2両目(3号車)に連結されている3506号。3次車では唯一更新工事を受け、今後も残存すると思われます。(東二見~西二見間)

(参考)3000形2次車の付随車3504号。3050形に組み込まれており、編成では1両だけ金属ばね台車を履いています。2次車は登場時、車外スピーカーが無く片側1か所ずつ後日取り付けられました。床面が低く3050形空気ばね台車編成とは車体形状が揃っているため違和感がありません。(東二見車庫)写真:山陽電気鉄道

こちらが3次車で唯一更新工事を受けた3506号。3500形のうち3506~3508は3次車で、3507・3508が廃車となったためこの3506だけが残っています。車外スピーカーが当初から片側2か所に取り付けられています。また3次車は3050形初期車とともに床面が高いため側窓位置も高く、他の3000系とは印象が異なります。3506号はこのタイプの車体では唯一の更新車で、現在3060編成と床高さを合わせたため屋根が他の3両より低くなっています。上の編成写真でも雨どいが1両だけ低いのが分かります。(東二見車庫)写真:山陽電気鉄道

更新工事のため大阪車両へ向かう3506号。隣の3061号の妻面には有名だった黒いHゴムが残っているのが分かります。(2012.8.6 東二見車庫)写真:山陽電気鉄道

3619号が姿を消せば3506号が唯一の3次車となります。クリックにもご協力を!
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【祝】山陽5000系デビュー35周年

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主に直通特急として活躍中の山陽電車5000系。1986(昭和61)年7月10日に営業運転に投入され、今年で35周年を迎えました。当時一挙に7編成が登場し旧性能車を置き換えたことはむ~パパの記憶には新しいところですが、もうあれからずいぶん長い年月が経ったものです。ちなみに5000系は制御方式が異なるものの同スタイルの5030系と合わせると、2000(平成12)年まで14年間にわたって増備されたため、非常に多くのバリエーションがあり趣味的には面白い車両なのですが、それは追々ご紹介するとして、今回は登場時の5000系の姿を追ってみましょう。

登場時、市販されていた下敷き。川崎重工構内で撮影されたトップナンバー5000号の貴重な写真です。右上に書かれた文字「フレッシュ!マロンシートカー」「普通車でデビュー!」にご注目。登場時の5000系は旧性能車の置換えという位置付けであり、全て3両編成で通常は普通車のみに使用されていました。また、先頭車と中間車では座席の色が異なっており、先頭車は茶色系、中間車は赤色系でした。「マロンシート」という言葉は当時沿線学生の間では流行りましたが、鉄道ファンにとっては意味の分からない単語でした。シート色も特に栗色という感じではありませんでしたし・・・。(所蔵:む~さんパパ)

高架になる前の西飾磨駅で行き交う5000系。網干線は当時ワンマン運転にはなっておらず、3両編成だった5000系も運用されていました。1986年に登場した1次車7編成(5000~5012)のうち、最後の5012号(写真右)は川崎重工の試作ボルスタレス台車を履いて登場しました。のち5018号の台車と交換し他の1次車と揃えられました。山陽電車では以後ボルスタレス台車の採用はありませんでしたが、現在阪神電車から乗り入れて来る9000系・9300系・1000系にはボルスタレス台車が採用されています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

登場時の座席。これは先頭車のもので中間車はこげ茶とワインレッドの組み合わせとなっていました。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

試運転中5000号の貴重なショット。震災まで存在した地上時代の西代駅で。後方は現在もそのままの姿で建っている山陽電車の本社。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

同じく試運転中の5000号。舞子公園駅。明石海峡大橋の完成や橋上駅舎化により風景は激変しました。駅の北側にあるマンションもまだありません。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

同じく舞子公園駅で、今は無き3202号。3号車の3621号はOK台車を履いています。まだ現塗装車は登場していません。(記録によると1986.7.15に登場したとのこと。)
(写真所蔵:山陽電気鉄道)

それにしても豪華な普通車が登場したと驚いたものです。クリックにもご協力ください。
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