楽しいむ〜さん一家

【4年ぶり】山陽鉄道フェスティバル2023 鉄道模型コーナー

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事前申込み無しの開催となった「山陽鉄道フェスティバル2023(10月28日)」。昨年は無かった鉄道模型コーナーが4年ぶりに復活しました。

Nゲージより大きいHOゲージの鉄道模型運転会は、市販されていない手作り車両が多く登場することで「模型鉄」と呼ばれる方々の間では有名でした。山陽電車では2000年から20年にわたり運転会を実施。最初は山陽電車の模型だけが走っていましたが、いつの頃からか線路がつながっている連絡各社の車両を増やした結果、もはやどこの鉄道の運転会か分からないという状況に。写真は前回2019年の模様です。この頃は300両近い車両が集まる関西最大級の規模に発展していました。
4年ぶりとなった今回「原点に立ち返る」というコンセプトで、23年前と同じ「山陽電車だけを走らせる」運転会となりました。ただ、当時50両だった模型は倍の100両以上となり、山陽電車だけでも車庫を埋め尽くしています。

今からちょうど20年前、2003年の山陽鉄道フェスティバル。3000系現塗装が初登場。アルミカーと合わせ現行車両が3編成となりました。会場は現在機械室となっている1階会議室でした。(2003.10.19)

コロナ禍で休止中の間も実は新作が登場し続けていました。写真の200形214-215。2扉車と3扉車が組み合わさった唯一の編成です。今回新作の一つです。
山陽電車と言えばかつては様々な電動貨車が活躍していました。中央が無蓋化されたクモト3+クト61の2両編成も今回初登場です。
実際にアルミ板で組み立てられた5702編成。側面の飾りを外し明石・姫路開業100周年ドア横ステッカーやヘッドマーク2枚掲出。現在の姿を再現した秀作です。
この他、3002号アルミカー編成(いちばん左)、2012号アルミカー編成(右から2番目)など今回初登場の新作が目白押し。山陽電車だけでも恐るべき運転会でした。

みんなで鉄道模型を走らせるのは「運転会」が正しいと思います。「走行会」という表記がありますが、模型鉄歴の長いむ~パパは実際聞いたことのない単語(恐らくカワサキワールドが初出かな、と。神戸以外では恐らく通用しないと思われます。)なので、この原稿では「運転会」表記を採用させていただきました。

【3072号】復活!ホワイトエンジェル(その1)

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かねてより内装を中心とするリニューアル工事を受けていた3072号がこのほど完成し、試運転を経て先月末より営業運転を開始しています。久しぶりの大きな話題にむ~パパ、早速取材してきました。

3050形アルミカーとしては初めてリニューアル工事を受けた3072号。今回目を引くのは車体が白く塗装されたこと。溶接痕などアルミカー特有の汚れが目立つようになってきたためでしょう。磨き出しても元に戻るわけではないので、塗るほうがきれいに仕上がると判断されたようです。ただ、クリーム色の鋼製車と同じ色ではあまりにも芸がないと考えられたのか、やはり日本のアルミカーではパイオニアである山陽電車、かつてアルミカーに合わせた塗装で名をはせた3619号「ホワイトエンジェル」と同じ色(いわゆる灰色9号)に塗装されました。実にカッコ良いです!
(2023.9.2 須磨浦公園~山陽塩屋)

加古川橋梁で1両ずつサイドビューを狙ってみました。

3641(4号車)
3541(3号車)
3073(2号車)
3072(1号車)

各車とも屋根に付いていたベンチレータ(通風器)が外されています。ドアは全て新品に交換されていますが、ステンレス製で未塗装のため元のイメージを保っています。側窓もユニットサッシごと交換されています。従来のリニューアル車同様、車端部は1枚ガラスの固定窓となりました。ドア間は上段下降・下段固定とされていますが、鋼製車のように黒く塗装されていないため、こちらも元のイメージのまま。写真で見ると上段より下段が広くなったのが分かる程度です。床下機器には変化は見られません。
(2023.9.2 尾上の松~高砂)
3633号。現在鋼製車は3638号以外リフレッシュ工事を受けていますが、黒いサッシ窓や中央にレールのある側扉など、今回とは仕様が異なることが分かります。
(2023.9.2 尾上の松~高砂)
リニューアル工事前の姿を最初の写真と同じ「スマシオ」で。登場時は1号車3072号の補助電源装置がMGでしたが、写真はすでに140kVaのSIV(静止型インバータ)に交換された後のものです。
(2018.1.13 須磨浦公園~山陽塩屋)
少し資料を探してみたところ、MGを搭載していた頃の写真も発見しました。旧シンボルマークが付いていますね。ちなみに3072号は1983(昭和58)年、3100号と同時に製造されたもので、登場して数か月間はシンボルマークが付いていませんでした。(2007.2.6 東二見車庫)

それでは次回、車内を見てみることにします。

旧シンボルマークのあれこれ

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復活した旧シンボルマーク。その「現役時代」、あれこれを少々語ってみましょう。

鋼製車がツートンカラーだった1983(昭和58)年に制定されたシンボルマーク。よく考えれば当時は3050形アルミカー(3068以降)のみに取り付けられている、比較的限定されたものではありました。写真の3078号は1985(昭和60)年、5000系登場前年に製造された3000系最後の新製車です。
※新製時からシンボルマークを取り付けていたのは3074号以降の3編成のみと思われます。
(2003.9.15 東二見車庫)
1986(昭和61)年に登場した5000系。シンボルマークの下に「SANYO」とロゴが入りました。実はこのロゴが入ったためか5000系のシンボルマークは3050形のものより「やや小さい」のです。ご存じでしたか?今から思えば、きちんと測っていれば良かったかも、と・・・。(2004.5.5 東二見工場)
1986(昭和61)年、初めて現塗装になったのはこの3024号でした。同時にシンボルマークが付きました。実は在来の鋼製車でシンボルマークが付いたのは、この編成が最初になります。前面の帯位置が他の車両よりやや低い位置なのと、側面の赤帯幅がやや太いのがこの編成の特徴です。
(2006.2.18 東二見車庫)
3054号。本来シンボルマークの上辺は客窓の上辺に合わせてあるのですが、この編成は側ドアの上辺に合わせてあり少々位置が高いため違和感がありました。「貼り間違えた」ものと思われます(笑)。(2006.8.15 東二見車庫)
新シンボルマーク化後の3054号。取付け位置が修正され、他の編成と同じになりました。
(2012.8.13 東二見車庫)

3000系の帯については、ひょっとしたら一冊本が書けるかも知れないくらい、いろいろと語りたいことがありますが・・・、今となっては思い出の1ページになってしまいました。

【1983年】旧シンボルマーク誕生

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明石~姫路間開業100周年を記念し、復活した旧シンボルマーク。ファンからは「太陽マーク」とも呼ばれ親しまれていましたが、このマークはいつ登場したのでしょうか?山陽電車所蔵の写真から当時を振り返ります。

3050形アルミカーに取り付けられたシンボルマーク。ニューアルミカーは、あまりにも自然な感じなのと、鋼製車がまだツートンカラーだったときから付いていたので、最初から付いているものと思われがちですが、必ずしもそうではありません。(2006.12.5 東二見車庫)

「山陽電気鉄道100年史」によると、このシンボルマークは山陽電車創立50周年(宇治川電気から分離して現在の山陽電車が成立したのは1933〈昭和8〉年)を記念し社員に対する公募により、1983(昭和58)年5月に制定されたと記載されています。3050形アルミカーは1981(昭和56)年から毎年1~2編成製造されています。少なくとも1981年製3068号と1982年製3070号にはシンボルマークが無かったことになります。

3050形アルミカーのうち無塗装で登場した2本目3070号。写真は新造当時の姿で1982(昭和57)年6月、西代の側線に搬入された直後に撮影されたと思われます。もちろん側面にシンボルマークはありません。
こちらが3本目、1983(昭和58)年6月に竣工した3072号。同時に4本目となる3100号も仲間入りしました。すでにシンボルマークが制定されていますが、この写真を見る限りまだ車両には付いていなかったことが分かります。
【3619号】ホワイトエンジェルの39年 | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)
でもご紹介しましたが、3619号も当初はシンボルマークが付いていませんでした。時期的にこの2編成がシンボルマーク無しで営業運行に就いていたかどうかは、ちょっと定かではありません。
1983年頃に撮影されたと思われる写真(写真提供:アルプス銀水さま)。シンボルマーク取付けにあたり、色や大きさを検討していたようです。紺色のものがあるのは、当時はまだ鋼製車がツートンカラーだったので、そちらのイメージなのだろうと思います。
山陽電車だけでなく、阪急電車の「H」マークや、神戸電鉄の「K」マークも実寸(?)で作り、参考としていたことが分かります。なかなか面白い写真ですね。(写真提供:アルプス銀水さま)

む~パパ、暑くて外で立ちんぼできず、まだ旧シンボルマーク車両を撮影できていません。もう少し涼しくなったら出掛けようと思います。

【831号】最後まで東二見に残った820形

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山陽電車820形は1948(昭和23)年、我が国戦後初のロマンスカーとして登場しました。形式としては800形だったようで、中途半端な820から車番が始まっているのは運輸省から割当てを受けたモハ63形(63800~63819)が下3桁(800~819)を使い元は800形と称されていたので、その続番であるというのが通説です。しかし、近年の研究によるとモハ63800~63819は正式に「800形」と呼ばれたことはなく、あくまで「モハ63800形」であり、ゆえに「いわゆる820形が本当の意味での800形である」という最初の話に戻るわけですが、そもそも国への届出上は「クモハ3000」など単体のものだけであって、「3000系」という呼び方は会社内や鉄道ファンの間で呼び慣わされているに過ぎない、実ははあやふやなものなのです。

が、まあそれはともかく。
820形はトップナンバー「820-821」が東二見車両工場に保存されていましたが、老朽化のため解体されたというお話は、以前ここ(←リンク先へ飛びます)でしました。実際にはこの他にも残された車両がありました。

ラストナンバー編成である830-831号のうち830号は、西代本社にあった教習所の教材として使用されていました。青一色の車体が新鮮で、車庫が西代から東須磨に移った後もしばらく置いてありました。車籍は無かったため本線走行はできなかったものと思われます。いつのまにか解体されてしまいました。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
東二見車両工場に鎮座していた256号(左)と831号(右)の車体。830号と820-821号解体で、820形はすべて失われたと思われた中で、人知れずひっそりと残っていたのがこの831号でした。820形のうち最後の4両(828~831)は1973(昭和48)年に廃車となっています。相方の830号が教習車となり、この831号は車体のみが活用されたようです。皮肉なことに831号が800形(820形・850形)で最後まで生き残ることになりました。(1997年頃 写真所蔵:山陽電気鉄道)

その後、東二見車両工場敷地の一角はセブンイレブンとなり、831号はあえなく解体、831号のあった場所に256号が移動して据えられています。両方とも解体されると思われましたが、256号は何とか生き残りました。

831号があった場所に移り現存する256号の車体。台車は東京メトロ(当時は営団地下鉄)に寄贈され、地下鉄博物館所蔵の「日本最初の地下鉄(東京地下鉄道1001号)」に取り付けられています。
その時の記事は→こちら

830-831号の現役時代。日本初の軸はり式台車OK-3を履いています。教習車になった後の姿と外観は変わりなく、最後まで前面の方向幕は取り付けられなかったと思われます。831号の台車は1973(昭和48)年の廃車時に失われたものと考えられますが、830号の台車は残り、現在も東二見車両工場と川崎車輌本社に1つずつ保存されています。(1968.5.17 東二見車庫 所蔵:山陽電鉄OB)

日本の鉄道史に名を残した貴重な車両ではありましたが、保存するのは難しかったでしょうね。



【資料】山陽5000系を模型目線で見る!⑤

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1986(昭和61)年から1995(平成7)年まで数次に渡って製造された山陽5000系。今回はあまり人の目に触れることのない妻面の小変化にこだわって観察してみました。

こちらは1986(昭和61)年製造、最初に登場した5600号の連結面側。こちらから見ると車体断面以外は3050形アルミカーと同じ外観で、ステンレス製の雨どいが妻面に別パーツとして取り付けられています。1次車である5000~5013・5600~5606および2次車と言える5500・5501が該当します。
(2013.1.19 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
5000号および5002号を3連→4連とするため1988(昭和63)年に製造された5500・5501は、2次車に分類されますが、外観は1次車と同じで妻面雨どいは車体とは別パーツです。2.1次車と呼んでも良いでしょう。写真は5500号です。
(2013.1.19 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
1988(昭和63)年末から登場した5014~5019・5607~5609はファンの間では2次車に分類されますが、5500・5501とは異なり、妻面の雨どいがアルミ製で車体と一体化されました。2.2次車と呼んでも良いかも知れません。写真は5609号。
(2004.5.5 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
この2.2次車には5004・5006号に組み込まれた5502・5503が含まれます。5500・5501とは妻面雨どいの形状が異なります。写真は残念ながら阪神尼崎車庫で事故に遭い廃車となった5503号。
(2018.5.18 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
1990(平成2)年より登場した3次車は5020~5023・5504・5505・5610・5611が該当し、当初は4両編成でしたが、同年末5200~5205・5506~5509が増備され、5008・5010・5012号が3→4連に、5018・5020・5022号が6連になりました。このタイプから妻面の上部にあった足掛けが廃止されています。屋根上を歩く際、隣の車両に移るためのものと思われますが、さすがにこの時代になると、そうした作業は危険とみなされていたのでしょう。写真は5507号。
(2004.4.12 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
再掲となりますが5011号の姫路寄り妻面。1次車はパンタグラフの空気作用管が雨樋の上を通っています。
(2007.6.13 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
こちらは2次車の5019号。空気作用管が雨樋の内側に移ったため、妻窓上部で少し車体から浮かせるよう斜めに曲げてあり、苦心の跡がうかがえます。
(2004.5.15 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
3次車5021号。3次車以降は設計変更され、あっさり屋根側と最短でつないであります。2次車で製作に苦心したので簡単に作業できるようにしたものと思われます。
(2004.7.10 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)

5000系は、細部を見ていくとマニアックで面白い車両です。次は何にコダワリましょうか。

【資料】山陽5000系を模型目線で見る!④

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連載4回目。4号車5600号をご紹介します。

姫路寄り先頭車5600形のトップナンバー5600号を山側から。モーターが無い以外は1号車5000号とよく似た機器配置で登場時はMG(電動発電機・予備のもの)、CP(コンプレッサー・電動空気圧縮機)を搭載していました。2000年の直通特急増発に伴い5000系と5030系の混結6連が登場した際、入場時等に予備編成として使用するため、MGを撤去しSIVを搭載する工事を受けています。写真は原型に近いスカートの頃。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)

同じく5600号を浜側から。比較的原型を保っている山側とは異なり、浜側はSIVが付いたり阪神線内用列車選別装置が付いたりしたため、登場時とは印象が異なります。ちなみに5030系と組成している5602~5605が同じ機器配置となります。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
では、模型ファン必須の真横からの床下写真。こちらは山側。空気系機器が主に取り付けられています。CP(コンプレッサー)が右端にあります。細部は異なりますが、1号車5000号とほぼ同じ機器配置なのが分かります。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
こちらが浜側。中央部の大きな機器は補助電源装置SIV(静止型インバータ)で、登場時は無かったものです。5000系は4両編成が2本あり、もう1本が5002号ですが、こちらは5012~5022編成用の予備車でSIVが必要ないため、4連使用時に必要な予備のMGが残されています。このため4号車5601号は登場時に最も近い床下機器配置を唯一残す貴重な車両です。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
参考として全て5000系で組成された、6両編成5016編成の5608号浜側床下をご覧ください。MGが撤去されたため、上写真の5600号と同形式ながら中央部に機器の無いすっきりした床下となっています。5606~5611が同様の機器配置です。(2014.2.21 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)
今回は特徴ある1次型登場時スカートに迫ってみましょう。開口部の少ない独特の形です。登場時は点検用のような開口部があったように思いますが、この写真ではなくなっているようです。旧型車から流用した仮台車に注目される方もおられることでしょう。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)
同じくスカート部分を真横から。車体との関係がよく分かります。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)
スカートを裏側から。支持物がよく分かりますね。実際模型でここまで再現される方がおられるかどうかは「?」ですが・・・。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)

次回以降は製造年次による違いに迫ります。乞うご期待!

【資料】山陽5000系を模型目線で見る!③

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何となくマンネリ化している感もありますが、3号車5500号をご紹介します。

5500号は5500形のトップナンバーで、当初3両編成だった5000系に後から加えられた車両。基本編成の2年後となる1988(昭和63)年に登場しました。当初普通車専用だった5000系が4両編成となり特急に使用されるようになったという意味では、山陽電車の歴史に残る車両だったと思われますが、元々3両編成を2つつないで特急に使うという現在の6000系のような使い方が計画されていた5000系にとって、方向性が怪しくなった出来事だったとも言えます。写真は山側から。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
こちらは浜側。5000号の編成はなぜか窓の縦桟が黒く塗装されているのと、方向幕がLED化されたため原型とは外観が異なっています。ちなみに5000系基本編成は1次型(5000~5012編成)のみ妻面の雨どいがステンレス製で車体に外付けとなっていますが、5500形では5500・5501の2両だけが1次型スタイルを踏襲しており、5502以降は2次車5014以降と同じ車体一体型のアルミ製となっています。このあたりは今後ご紹介していきましょう。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)

模型ファンお待たせ床下機器側面写真を。探したのですが浜側の写真しかありませんでした。基本的に配電盤やブレーキ関係の機器だけなので、付随車らしいすっきりした床下です。「5500」車番の右下あたりに付いているのが偏差アダプタ(連結器の異なる阪神車と山陽車を連結するための中間体)収容箱で、直通特急対応として後年設置されたものです。登場時の5000系を再現しようという模型ファンは付けないでください!(笑)(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)

山側の機器類はこの配置となっています。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)
上写真の続きです。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)

今回は特別サービス!5500号を下から見てみましょう。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)

ブレーキ制御装置の裏側に空気ダメが横向きに吊ってあります。表から見えにくい部分だけに要チェック。(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)
アダプタ収容箱。床下から足を組んでぶら下げてあります。直特仕様で製作する模型ファンのみなさま、ぜひ再現を!(2013.1.19 東二見車両工場 撮影:山陽電気鉄道)

まだまだ続きますよ~。

【資料】山陽5000系を模型目線で見る!②

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その①に引き続き、今回は2号車5001号を模型目線で見てみましょう。

2号車5001号。こちらは山側。1986(昭和61)年に登場した1次車です。写真は登場時のPK-55菱形パンタグラフを搭載した姿。現在は下枠交差型のPK-80に交換されています。
(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
それでは模型ファン向きに。5001号を山側から。ブレーキ制御装置やバッテリーはこちら。右寄りに並んでいるのは抵抗器です。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
同車を浜側から。励磁装置、制御器、遮断機等が並んでいます。模型的には箱型の機器が多く作りやすい部分ではありますね。(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
抵抗器部分。ガイシはグリスを塗ってあるため緑色に見えますが、本来は白です。
(2004.5.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
5001号ではありませんが、同じ1次型5011号の姫路寄り妻面。パンタグラフから来る高圧配管は3000系と同じく姫路寄りに下ろされています。下部はなぜか左右対称ではありません。
(2007.6.13 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
こちらも模型ファン必須の屋根配管。写真は5005号(現5802号)を神戸寄りから。現在見られないPK-55パンタグラフと、パンタ鍵外し装置一式が写っている貴重な写真です。ちなみに避雷器は現在のスタイルのものに交換後。
(2004.9.17 東二見駅 撮影:山陽電気鉄道)

こちらは3次車5021号ですが、姫路寄りパンタグラフ周辺。現在は見られない旧型の避雷器が写っています。ベンチレーターに車番が記入されていますが、模型化される方は是非再現を!
(2004.9.28 東二見駅 撮影:山陽電気鉄道)

次回以降も5000系の細部に迫ります。

【資料】山陽5000系を模型目線で見る!①

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電車の模型も大好きなむ~パパ。先日とある鉄道模型の集まりで、お友だちに真ちゅう板から切り抜いて山陽5000系の模型を自作している製作途中の車体を見せてもらいました。いや、それがまたよく出来ていまして、恐らくそのうちコンテストで賞を取って雑誌に掲載されるのでしょうが、このブログに載せる許可を得ていないので、また今度ということで。さて、今回はこういった模型を作る方々に必要だろうと思われる目線で、写真を何点か出してみます。出し惜しみするつもりは無いのですが、少しずつということで。今回は山陽電車を代表する5000系の神戸寄り先頭車5000号をご紹介しましょう。

5000系トップナンバー5000号の顔。3000系の流れを組みながら新しい感じに仕上がっています。1986(昭和61)年に登場し今年で36年になりますが、む~パパ的にはデザインが陳腐にならず、うまく6000系に引き継がれ、工業デザインとしては非常に成功した部類ではないかと思います。
(2014.6.15 大塩駅)
こちらも同じ5000号ですが、1次車にあたる7編成(5000~5012)は開口部の少ないスカートを付けていました。これは当時3両編成を2本つないで6両編成にする構想があり、密着連結器と電気連結器を装備して任意に増結・解放できるよう準備されていたためエアホースなどをつなぐ必要がなく、このような形状になっていたそうです。3両編成を2本つなぐという発想は6000系で本格化しましたが、電気連結器を用いて簡単に増結・解放するという形にはなっていません。
(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
5000号を山側から。旧タイプのスカートを付けていた頃。この編成は側面の方向幕がLED化されているほか、側面の窓柱が黒く塗装されており外観上の特徴となっています。また、この方向から見ると先頭部のスカートすぐ横に阪神線内用の列車選別装置が取り付けられていますが、もちろん登場時にはなく、直通特急の予備車として整備された際に取り付けられたものです。このような形で1両ずつ撮影したものを「形式写真」と言い、鉄道写真のひとつのジャンルです。
(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
同じ5000号を浜側から。3000系と同じく乗務員室は運転席側が広いため、左右非対称の側面デザインとなっています。このため乗務員扉(側開戸)の位置が山側とは異なっていますが、これは国鉄(JR)車両によく見られるものの、私鉄車両では数少ない作例と思われます。3000系の運転台部分が当時の国鉄車両を参考に製作されたため、これを5000系も引き継いでいるものと考えられます。
(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
模型ファンには必須の床下機器配置。こちらは山側。ブレーキ制御箱やコンプレッサーなど、いわゆる空気系の機器が配置されています。5000系は3000系と同じく1号車に補助機器が、2号車に制御器があり2両で1ユニットとなっているため、電動車ですが5000号が単独で走ることは出来ません。
(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)

こちらは浜側。SIV(静止型インバータ)やバッテリーなど電気系機器はこちらに配置されています。ちなみにSIV起動装置(SIVの右側)は交換され新しい形になっていますので、登場時の5000系を再現したい模型ファンには注意が必要です。
(2012.12.15 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)
(参考)5022号の浜側床下。5000号もSIV起動装置は登場当時この形でした。機器配置が時代を経て変化しているのが分かります。(2004.1.23 東二見車庫 撮影:山陽電気鉄道)

いかがでしたか?2号車以降も次の機会にご紹介しましょう!