友人の遺した写真をご遺族から譲り受け、公開しています。今回は懐かしい阪神電車の姿をご紹介します。直通特急が走り始める12年前、仲良く阪急電車と須磨浦公園で折り返していた時代の記録です。
こちらへもどうぞ!→【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて
→【1986年】あのころの阪急電車・須磨浦公園にて
友人の遺した写真をご遺族から譲り受け、公開しています。今回は懐かしい阪神電車の姿をご紹介します。直通特急が走り始める12年前、仲良く阪急電車と須磨浦公園で折り返していた時代の記録です。
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見馴れていたからということはあるでしょうが、赤胴車青胴車と呼ばれた頃の車両は同じ型式の中にも個性がありましたね。7801型のラインデリア車両が特に好きでした。扉のガラスが大きくて絶妙にマッチしていました。おそらく他にもこの車両のファンはおられるでしょう。
村雨堂さま コメントありがとうございます。
扉のガラスが大きいのはジェットカーを含め阪神の両開き扉車に共通の仕様だと思いますが、徐々に交換され窓の小さい(一般的には普通の)サイズになっていきました。ご指摘の7835~も扉窓は大きいものでしたが、私が撮影した方向幕取付け後はすでに小さくなっています。方向幕取付けと扉交換はどちらが早かったのか、それとも同時なのか・・・。
そうですね、私が撮った写真を見てもはっきりした記録が無く、その経緯は確めることができないのがとても悩ましいところです。どなたかご存じの方がいらっしゃれば教えて欲しいですね!
村雨堂さま コメントありがとうございます。
このあたりは熱心な阪神電車ファン(あえて阪神ファンとは書きません(笑))に見解を聞きたいところですね。
2灯のおでこヘッドライトのスタイルは昭和30年代、他の私鉄でも主流になっていましたね。特に京成電鉄は車体や塗装も赤胴車とかなり似ていました。関西でも京阪電鉄の2000系から2600系30番台まで特急車、一般車ともに阪神とよく似たスタイルでした。
E7系とW7系さま コメントありがとうございます。
電車の前照灯はかつて夜間だけ取り付けるカンテラのようなものでした(現在でも基本的に昼間は点灯しなくてよい)が、固定式になって以降1灯の頃は真ん中の上部にあるものが多かったと思います。路面電車はおへそライトも多いですが・・・。これが恐らく球切れ対策等で2灯になるようになり、その配置が中央なのか阪神・京阪式なのか、腰に降りてくるのか各社のデザインが分かれたところです。京急は長らく1灯のまま頑張っていましたが、切れたらどうしてたのでしょうか。運行標識で代用可としていたのでしょうか?