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【阪神】武庫川線の廃線部分を歩く(その1)

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5000系・5030系の直通特急が行き交い、山陽電車沿線のようではありますが・・・。
ここは阪神電車武庫川駅。阪神電車には川の上にホームが設けられている駅がいくつかありますが、川幅の広い武庫川を横切り、その両岸に改札口がある武庫川駅はそうした駅の代表格と言えましょう。冬のやわらかい日差しが川面に反射して・・・、にしても、寒い!

武庫川駅からは短い支線「武庫川線」が走っています。む~パパが小さい頃は2つ先の洲先駅まででしたが1984(昭和59)年に武庫川団地駅まで延長され、現在の営業キロは1.7㎞。編成ごとに違うカラフルな色に塗られた5500系が専属で活躍しています。写真は本線改札内から見た武庫川線のホーム。中間改札が設けられていますね。

今回この武庫川線の「廃線部分」を歩いてみます。武庫川線は浜手にあった軍需工場(川西航空機→現在の新明和工業)への従業員輸送および資材搬入のために建設されたもので、1943(昭和18)年に武庫川~洲先間が、その後武庫川駅より北側の路線が国鉄(現JR)甲子園口駅を経て西ノ宮(現西宮)駅まで建設されました。途中、阪神国道(現国道2号線)との交差部には武庫大橋駅が設けられ、阪神電車はここまで運行されていました。国鉄からは資材運搬のため貨物列車が乗り入れており、武庫大橋駅以南は狭軌と標準軌両方の列車が入れる3線軌条となっていました。

さて、武庫川駅から北側を見てみます。堤防に沿って線路が北上しています。左側から合流するのは阪神本線との連絡線で、車両を本線から出し入れするためのもの。む~パパ、小さいころから何やら怪しげな線路が北へと続いているのを見て「いつかは歩いてみたい」と思っていまして、まだ武庫大橋駅のホームが残っていたころに行ったことはあるのですが、久しぶり(40年以上ぶり!)の再訪となります。
※あらかじめお断りしておきます。この廃線跡については多くの方がブログ等で紹介されています。今回の記事はこれらを参考にさせていただき、実際に歩いてみたものです。

線路が敷かれている部分は、現在も引上げ線として必要な長さのみのようです。昔はもう少し短かったような気もしますが、気のせいかも知れません。
さて、ここからは廃線跡の探索です。いきなり現れる遺構。線路は無いのに道路下を潜れるようになっています。む~パパが前回歩いたとき、洲先駅より南は3線軌条が残っていたのですが、武庫川駅以北は線路があったのは覚えているものの、詳しい記憶はありません。写真を撮っていなかったことが悔やまれます。この先に見える家は線路跡に建っているものです。

ここから先、堤防に沿った線路跡にきれいに住宅が建ち並んでいます。写真は比較的最近分譲された区画のようで、少し前の写真ではまだ姿が見えません。

ここから武庫大橋駅までの線路跡には隙間なく住宅が建ち並んでいます。川に沿ってカーブしている廃線跡がそのまま宅地となっています。以前歩いたときはまだ空き地で付近の方が畑などに使っており、少し掘り返せばレールが顔を出す状態でした。

国道2号線との交差部。武庫大橋駅があったところです。ここからはまだ北へ線路が続いていましたが、交差部は埋められ痕跡は無くなっていました。

武庫大橋駅跡。少し広くなっており、行き違いのできる駅構内の雰囲気をわずかに残しています。
1982年当時の武庫大橋駅跡。真ん中に立っているのは、かつてのむ~さんパパです。ホームがきちんと残っていましたが、レールは3線軌条ではありませんし標準軌のようです。国道下に北側へ抜ける開口部(前述のとおり今は埋まっています)が見えます。このとき撮った写真はこの1枚のみ。もっとあちこち撮っていればと悔やまれます・・・。

※追加情報がありました。かつてはここから北側に狭軌の線路が残っていて、国道2号をくぐるところに境目があり、線路が食い違っていたそうです。謎は深まります。

次回は武庫大橋駅以北を訪ねます。

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